浜の博士、雲の彼方に
翌朝、ミオは海上にいた。
大阪の南港からチャーターされた船で南港へ。
慌ただしく積み込み作業を行い、船が出航したのは深夜になってからだった。
ミオもチカも、旅行気分で昨日は就寝し。
今朝はデッキの上で、水平線を眺めながら風を全身に受けている。
ここのところ狭い区域に閉じ込められていた二人にとっては久しぶりに味わう解放気分だった。
「なんかどんどん話が大きい所に行くなぁ」
朝の海風を受けながら、ミオがしみじみと語る。
「ホント、東大阪で学校に通ってたのが遠い昔みたい」
チカもそれに頷いた。
ここ1カ月ほど、宇宙人のせいで別世界に来てしまったような感覚である。
そして、今度行くのは宇宙だという。
いまだ地球を救うという事すらピンと来ていないのに、宇宙とは。
ミオはいまだ実感が湧かないでいた。
「で、今から行く種子島ってどんな所?」
そして、ミオの疑問はこれから向かうという種子島と言う場所に向いていた。
それにチカはスマホで検索しながら確認する。
が、つながらない。
どうやら、衛星がない現状では、もはや通信が不可能なほど沖に来てしまっているようだった。
仕方なくチカは自分の記憶を手繰りながら回答する。
「たしか、大型のロケットを飛ばせる発射台があるんだとか」
「アンゴルモア星人に壊されてなかったん?」
「日本が抵抗しないまま、和平交渉に入ったから標的になってなかったんだって。世界では無事に使える唯一の宇宙基地だとか」
「最初にろくに抵抗せんかったのも、悪い話やなかったんやなぁ」
ミオは、様々な偶然が重なっていることに運命じみたものを感じていた。
軍事基地でないこともあったのだろうが、ろくに抵抗もしていなかったので、彼らには攻撃する意味どころか、発見することもできなかったのだろう。
「二人とも種子島を旅行気分みたいやが、ここからが勝負やで。なんせあそこを仕切っとるのはJAXAやからな」
二人の背後でそう言ったのは、朝食を遅れて終わらせばかりのヒロシだった。
父の言葉から飛び出した謎の組織の名前に、ミオは思わず聞き返す。
「JAXA?そんな凄い人らなん?」
それにヒロシは大きく頷き、遥か水平線を眺めながら腕組みをして答えた。
「そう、JAXA。奴らは正真正面、日本のモノづくりの頂点に立つ奴らや。あいつらにとっては、ワシら東大阪の町工場など、下請けの一つにすぎん。あいつらが100分の一ミリの注文を付ければワシらは従わざるをえん。逆らえば静かに取引を斬られて終わりや。国の財力を背景にした、まさに国家直属の技術屋集団や。なめてかかったら、ウチらみたいな町工場に仕事が入って来るかどうか……」
「そ、そんな凄いとこなん?」
想像以上の話に震えるミオ。
チカはそれに、
「……ミオちゃん、当たり前のことを言ってるだけだよ」
と、小さく首を振っていた。
船でようやくたどり着いた種子島はロケットの発射台を供えた宇宙基地が存在する島だった。
海から発射台を眺めたミオ達は、そのまま荷下ろしの為に港に向かう。
一晩かけた船旅を終えた一同が船から降りると、そこには大阪の下町には居そうもない、技術屋というよりはエンジニアと言う一同が待ち構えていた。
「あ、あれがJAXA!」
あまりの空気の違いに気圧されるミオ。
パリッとしたジャケット姿であるにも関わらず、にじみ出るエリートのオーラにミオは思わず、一歩退いた。
だが、ヒロシはそんなミオの肩を優しく支えると、娘の肩を叩く。
「大丈夫や。ここはワシの出番や」
ヒロシはそう言うと、一歩前に出た。
「天王寺さん!」
「スーパーロボット作ろう会」の荒田さんや長田さんが、心配そうに声を上げる。
それにヒロシは、
「名刺交換してくる」
と静かに言い放った。
どよめく一同。
「どういう事?」
尋ねるミオに答えたのは荒田だった。
「……名刺交換。これは文字通り、商売人同志の挨拶や。だが、相手が初対面、しかも営業先となると、事は一分の隙も許されない、まさに食うか食われるかの真剣勝負の場と化す! 些細なミスで話を聞いてももらえんどころか、名刺を破り捨てられてしまう事もある!」
「……おとん、まさかそれを?」
ミオは戦慄した。
あんな無礼と自由が服を着て歩いている男にそんな事ができるのか?
そう心配して、父を見たミオは、その姿後ろ姿に目を見開いた。
「おとんの寝癖が……ない!」
それはいつもの作業服を着てはいるが、数時間前、見た父の姿とは全く別物の姿だった。
寝癖は整えられ、無精髭は完全になくなっている。
作業服も、昨日クリーニングからおろしたばかりのような清潔さを保ち、そして、その下には糊のきいたワイシャツにネクタイが綺麗に締められていた。
靴はビジネスシューズ、加齢臭も、綺麗に消えている。
ヒロシは、一介の技術屋を飛び越えた経営者としての風格を漂わせていた。
そして彼は、堂々とJAXAのエンジニア達の前に立ったのである。
「責任者の方でしょうか?」
ヒロシは、そう言って代表者を確かめると、流れるような仕草で懐から名刺を取りだした。
「「スーパーロボット作ろう会」代表兼天王寺製作所社長、天王寺です。よろしくお願いします」
軽く会釈しながら名刺を両手で差し出す。
やや低い目の姿勢で謙虚さを表現する。
まさに、完璧な作法にのっとった、名刺の渡し方。
そして、わざとらしさのない、無邪気と言って良いほどの笑顔。
東大阪やネット上で「人たらし」と言われてきた男の、これが戦い方だった。
それは、厳しい時代を生き残り、戦い抜いてきた中年男の体にしみ込んできた所作とも言えた。
ミオはその、笑顔の裏に隠れた気迫に圧倒された。
「……普段のちゃらんぽらんな姿からは感じることもできないすがた。腐っても経営者なんやな」
まさに経営者の矜持。
だがヒロシは、それだけで終わる男ではなかった。
その違和感に気づいたのは長田だった。
「……いや待て! あの名刺入れ!」
長田の言葉に、ヒロシの手にした名刺入れに目をやる一同。
彼らはそれに声を上げる事もできず凍り付いた。
それは、ロボットアニメの意匠の入った名刺入れ。
一見、その筋の知識が無ければそうとは見抜けないが、明らかにビジネスシーンに相応しいものではない。
そして、それだけが使い込まれており、明らかにこの状況から浮いている。
新品の名刺入れと並べられた使い込まれた名刺入れ。
それは、美しい絵画に落ちた一点の黒いシミのように目立っていた。
ここまでやっておきながらこんなミスを犯してしまうのだろうか?
否、ミオの知る父は、そのような半端な男ではない。
自分は一介の技術屋、一介の経営者の前に一人のオタクである。
自分の今の立場には、それが土台として、前提条件としてある。
そのどうしようもない自己の矜持を、下手をすればその場で名刺を突き返されてしまうかもしれないという危険な場で、彼はあえて示して見せたのだ。
その姿に、ある者はヒロシの意地の張りように戦慄し、またある者はその堂々たる意思表示に涙を落とした。
そして、JAXAの男が動き出す。
「恐れ入ります。頂戴いたします」
彼はそう言うと名刺を受け取る。
そして胸元で、名刺を確認し。
「天王寺様ですね?よろしくお願いします」
と、にこやかに切り返した。
受け取った!
一見無礼とも見られかねない、名刺の渡し方に男はにこやかに答えた。
気づいていないのか?それとも?
一瞬の安堵に包まれる一同。
だが、次の言葉で一同は再び凍り付いた。
「あいにく名刺を切らしておりまして」
それは、解釈の難しい言葉だった。
本当に切らしているのか、はたまた渡したくない口実なのか?
こちらから、そこを問いただすことができない、実に絶妙な言い回し。
にこやかに、そう言う彼の言葉に、ミオはじめ「スーパーロボット作ろう会」の一同に動揺が走った。
ヒロシはしくじったのか?
そう思えたその全員の視線の前で、おもむろにJAXAの男は笑顔でジャケットのジッパーを下に下げる。
「どうも、今回のプロジェクトリーダー、安野です」
そう言う彼の、ジャケットの下から現れたのは、ヒロシがあえて見せた名刺入れロボットアニメと同じキャラのTシャツだった。
職場に着ていくにはあまりにもリスキーなその趣味全開のキャラTシャツ。
立場がある程度上だと着る事が難しいどころか、立場を逆手にとってこんなものを身に着けている。
彼もまた、技術屋を、そして役人を越えた一個のオタクである。
安野と名乗った男は、そう示して見せたのである。
ヒロシと安野、二人は、ただ、無言で握手を交わしていた。
「やりましょう、地球防衛」
同じコンテンツを愛するオタク二人にそれ以上の言葉はいらない。
ましてやアニメと同じシチュエーションの地球の危機とあればなおのことである。
そこには、もはや信仰と言ってもいい価値観と目的を持ち合わせた、二人のオタクの強い連帯感があった。
まるで長年の友人に出会ったような二人。
その二人の様子を見てミオは思った。
こいつも親父と同類か、と。
隣のチカは、ツッコむ気も起きないのか、ただあきれ果てた顔で呆然としているだけだった。




