第9話 コーヴェニアの掃討
「う……撃てぇ、撃て! 撃てぇええええ」
霧の向こうから、グレンの声が聞こえてきている。
いつもの、不遜で自信に溢れた声ではない。
焦りが感じられた。
あたしは、鞍の上からそれを聞き流しながら、ゆっくりと馬を歩ませていた。
霧がいつからか発生して、あたしたちの視界を奪ってしまっていた。
ラーマの翼蛇が、この霧を作り出しているのかは、わからない。
自然的な霧、ではないようだ。
霧は全体的に土地を覆い隠しているのではなく、濃いところと薄いところの差がくっきりとしている。
それに、魔力もこの霧にはいくらか、含まれているようだ。
呪符や戦闘スキルなどを阻害するほどのものではないが、標的の場所を特定する呪文は、まったく受けつけないみたいだった。
「エレナ隊長……撤退したほうが、よろしくないでしょうか」
イオが声をかけてくる。
顔まではわからないが、馬に跨がった彼女の姿が、霧の向こうでうっすらと浮かんでいる。
つい、三十分ほど前までは、フィルと行動を共にしていたのだが、いつの間にか、はぐれてしまったようだ。
そして、副官のイオと合流すると、あたしは彼女が用意してくれた馬に騎乗して、移動していた。
ラーマの翼蛇相手では、三番隊では正直、手の出しようがない。
強力な魔術による攻撃なら、ダメージが通るかもしれないが、それだけでなく、充分な準備とよく練られた戦術が必要だろう。
フィルの『大地の加勢』があっても、さすがにラーマの翼蛇には通用しないか……。
撤退命令は、まだグレンから出されてはいない。
まさか——グレンは、あのラーマの翼蛇を討伐できる、と考えているのだろうか。
霧の向こうから、赤い射線が走り抜けていった。
それが、ラーマの翼蛇らしきものに、命中する。
大きな火花が散り、音が鳴り響いた。
それに少し遅れて、今度はどーん……という地響きが地面を通して伝わってきた。
馬が興奮したかのように、上体を引き起こす。
なだめようとしていると、今度は遠雷の音がした。
霧の向こうで空が光り、轟音が聞こえてくる。
閃光が走り、あたしの視界いっぱいに白い色が広がる。
そして、圧倒的な音が耳を塞ぐ。
落雷の呪文だろう。
アッシュウルフを一掃した呪文だが、ラーマの翼蛇相手にはどうだろうか。
そして、先程の轟音よりも、大きな音——おそらく、ラーマの翼蛇の叫び声が響いた。
風が吹きつけてくる。
あたしは身の危険を感じて、鞍から降りた。
風は次第に強くなり、立っていられないほどになった。
大きな岩が地面から突き出しているのを見つけて、あたしは馬の手綱を引いて、その陰へと身を隠した。
「隊長——三番隊だけでも、離脱したほうがよろしいかと。このままでは……」
イオが同じく、岩陰に入り込みながら、そう告げた。
——グレン……。
あたしは、唇を噛んだ。
霧のせいで戦況がわからず、判断が遅れているのだろうか。
あたしは、エーテル・リンケージをストレージから取り出した。
メニューから、三番隊のメンバー表を表示させてみる。
通話などは出来ないが、メッセージ程度なら送れることは可能だ。
もう、限界だろう。
躊躇いはあったが、あたしはメンバーに離脱を指示するメッセージを送った。
合流地点を、コーヴェニアの表門にして、グレンにも離脱する内容を送信した。
風が少し、弱くなってきた。
今ならば馬に乗れば、何とか移動できるだろう。
「イオ。行くぞ」
立ち上がると、鞍に跨がった。
振り返ると、霧の向こうで巨大なラーマの翼蛇の影がゆっくりと、移動しているのが目に入った。
再び、赤い射線が霧のなかを走り抜けていくのが見えた。
さっきよりも、多くの射線が押しよせていく。
あたしは、そちらに背を向けて、馬を走らせた。
霧の薄いところを見つけて、そこを辿らせる。
戦場から撤退するのは、”旗を振るもの”の旗揚げをしてから数回あったことだが、ここ数年はなかった。
屈辱だが、同時にグレンに対する疑惑も生じていた。
「はッ!」
手綱をぴしりと鳴らし、あたしは馬を走らせていった。
■ △ ▲ ▽
その後、コーヴェニアには、三番隊は全員、無事帰還することが出来た。
一方の二番隊は信じられないことだが、フィルが行方不明。
隊員は、アッシュウルフとの戦闘で既に重傷者となっている者がおり、数人が戦場から離脱していた。
一番、悲惨だったのは、一番隊だろう。
半数が重傷となり、そのうち、ひとりだけだが、死亡者を出してしまっていた。
コーヴェニアのほうには、被害は出なかったようだ。
ラーマの翼蛇は、”旗を振るもの”と交戦の後、姿を消してしまったらしい。
数日が経過しても、ラーマの翼蛇は姿を現わさず、そのことから、”旗を振るもの”が単独で討伐をした、という噂が流れはじめていた……。




