第8話 旅立ち
しばらくの間、ラファイユは粘って、情報を聞き出そうとしていたが、おれは手早く朝食を片づけると、カフェから引き上げていった。
本校舎へと向かう。
目的は、”旗を振るもの”の脱退手続きだ。
正面のエントランスから入り、まっすぐ突き当たりにあるのが、受付コーナーだ。
カウンターがあり、そこに五人の受付嬢が並んで、依頼やアイテムの受領、換金などの処理をしている。
その左端——堂々と居眠りをしている受付嬢のもとへと、向かう。
一見、やる気のなさそうに見えるが、本当にやる気のないのが、そのレステだった。
おれが、アリアンフロッドになりたての時に、はじめて受付をしてもらったのが彼女だった。
死に戻りをしていることを含めると、彼女とも相当、長い時間を共にしている、と言える。
それなら、最後の受付も彼女にして貰うのも、いいのではないだろうか。
「レステ……レステ!」
器用に頬杖をついていた彼女は、おれの声に瞬きをした。
「眠ってませんって……はい? あら、フィルじゃない」
レステは、長い睫を震わせながら、おれを見た。
栗色の前髪を掻き上げ、椅子に座りなおす。
水色の瞳をさらに細くして、おれを見上げる。
「どうしたの? 午前中の居眠りのノルマを果たしていた、この私にわざわざ、話しかけてくるだなんて」
「レステ。脱退手続きの申請に来た」
「脱退? あぁ……”旗を振るもの”だっけ? 聞いてる。えーと、書類は……」
レステは隣の受付に話しかけ、それから、カウンターに書類の束を置いた。
「ほら、これがそう。適当にサイン、書いておいて。問題があっても……ま、なんとか、なるでしょ。 んで、次に所属する小隊って、もう決まっているの?」
「いや……」
「いやって。どうすんのよ」
「学園も辞めるつもりだ」
「はぁ? なに言ってんの。引退するつもり?」
「そうだが……故郷に戻るよ」
「まじなの? 本気? 冗談じゃなく?」
レステが、椅子から立ち上がった。
終業時間前に、彼女が椅子から腰を上げたのは、はじめて見た気がする。
「ああ。手続きが終わったら、すぐこの学園を発つつもりだ」
「あー、目が完全に覚めちゃった。すぐ? ねぇ、私と食事をする時間もない?」
「昼食には、ちょっと時間があるからな。グレンたちとは、あんまり顔を合わせたくないんだ」
「それは、わかるけど……」
「悪いな。それは、また今度ということで」
おれは、書類に目を通すと、ペンを取り出して、サインを書いていった。
確認をしてから、それをレステに渡す。
「それじゃ、レステ。またな」
「フィル……あんたの故郷って、どこだっけ?」
「教えてなかったか? エレミエル王国とペルセネ公国、フィリフォー王国の三国に挟まれた、アリハタナっていう、ちっぽけな村だよ」
「アリハタナ? ……って、エレミエルって、リア河の向こうじゃない! あんた、そんなところから、ここまでやって来ていたの?」
リア河、というのは、ラディウス地方を北東から南西へと、ふたつに分断する、大きな河のことだ。
風景や地勢も、河の西岸と東岸では異なり、一般に学園のある西域は土地も豊饒で、水場や森なども多いのに対し、東側は丘陵や山岳が目立ち、土地や川の利権、それに食物を巡っての争乱が多いところとなっている。
「あ……ごめん。そっか、それぞれ、事情があるもんね。うん、わかった。アリハタナ村ね」
再び、レステが立ち上がった。
両手で、握手してくる。
「出来れば、引退は撤回して欲しいし、あんたが、そんな村のなかで収まるような人間じゃないと思うけど。またね」
「ああ、レステ。それじゃ」
受付カウンターを離れると、おれは、本校舎を出た。
脚を止めて、振り返る。
学園では、それなりに忘れられない思い出というものがあったが、ここには二度と戻ってこないつもりだ。
こうして、黄昏月の十二日を迎えられることになるとは、まったく考えてもいなかった。
どうして、自分が死に戻りを繰り返してしまっているのか、さっぱりわからないが、ずっと、この状態は続いていくものなのだと、思い込んでいた。
円環の呪いから、やっと解放されて、ここからは、自分の好きなことをしていけばいい——。
そう言われているような気がした。
故郷のアリハタナ村は、騒乱が絶えず起こり、それにうんざりとしてしまい、おれはリア河を越えたのだった。
といっても、死に戻りのスタート地点はいつも、”旗を振るもの”の新規メンバーとして活動をはじめた頃なので、故郷のことなど、もうずっと記憶の底となってしまっている。
それなら、故郷に一度、戻ってみてもいいだろう、と思ったのだ。
悔いがあるとしたら——エレナや二番隊の仲間たちと、最後の挨拶が出来なかったこと、か。
コーヴェニアに一度、戻ってみる、ということも考えてはみたが、グレンとは二度と、顔を合わせたくない。
殺したい、と思わせるほど、どうやらおれは、グレンに憎まれているようだ。
それに、二度と関わるな、と宣言したのは、おれのほうだ。
今度、顔を合わせることがあれば、グレンと本気で殺し合うことになるのだろう。
そして、その日はいつか、必ず訪れることになる。
その心構えはしておいたほうがいいだろう。
おれは、正門から学園の外に出ると、まっすぐ乗り合い馬車の待合場所へと歩いていった。




