第10話 中隊部屋にて
グレンが、部屋のなかを歩いている。
脚の運び方から、彼が苛ついているのがわかった。
が、それはこちらも同じだ。
言ってやりたいことや、反論は既に用意してきている。
——それにしても本当に、かび臭い部屋……。
グレンの中隊部屋へ呼ばれる、というだけで、胸のむかつきは増してしまっている。
あたしは、窓へと視線を向けた。
せめて、窓を開ければいいのに……。
黄昏月、と言えば、初夏をすぎて、そろそろ、本格的に暑くなってくる頃だ。
グレンの中隊部屋は、冷涼の呪文がかけられていて、ずっと温度は適度に保たれているのだけど、この臭いだけは本人が鈍感なので、どうしようもないのだろう。
とにかく、早く会話を終わらせたいものだ。
「なぁ、エレナ。ラーマの翼蛇の討伐の際、おまえが三番隊に、戦場からの離脱の指示を出した、という報告を受けているのだが、それは本当か?」
あたしが座る椅子の後ろに回り、グレンがそう声をかけてきた。
——正面から、あたしの顔を見られないのかしら?
「はい。その通りですが」
「なぜだ。怖じ気づいたとは、おまえらしくもないな」
「あのまま、戦場に留まっていてば、三番隊は間違いなく、全滅していたと思います」
「それは、正しくないな。ラーマの翼蛇の討伐は完了しているんだ。一番隊は、かなりの損害を出したけどね」
グレンは三番隊が離脱したから、一番隊の被害が増えた、と言いたいらしい。
それこそ、正しくはない。
だいいち、ラーマの翼蛇の討伐、と口にしているが、討伐は実際には果たしていない。
結果的に、ラーマの翼蛇が姿を消してしまっているので、都合よく、そう口にしているだけなのだ。
「亡くなられた方は、一番隊の新規のメンバーでしたか」
「……そうだ。若いアリアンフロッドだったが、残念だよ」
——残念?
あたしは、深呼吸をした。
コーヴェニアに向かう前、グレンは一番隊に新規メンバーを入隊させていた。
しかも、他の隊員に新規メンバーのことがすぐ、わからないように、コーヴェニアで合流させているのだ。
新規のメンバーは十人ほどで、全員が灼赤砲の操作に回されていた。
灼赤砲——というのは、強力な魔道兵器だ。
射線上のすべてのものに、打撃を与える、というもので、主に攻城戦で使われることが多い。
新規のメンバーは全員、その灼赤砲の操作を担当していたらしい。
死亡したアリアンフロッドは、ラーマの翼蛇との戦闘で亡くなったのではなく、灼赤砲の操作を誤ったから、のようだ。
残念、というグレンの言葉には、命が失われてしまったことよりも、せっかく、”旗を振るもの”に入れてやったのに……という響きがあるように感じられた。
「そうですか——あれだけの灼赤砲を用意するのは、大変だったのではないでしょうか」
戦闘後、灼赤砲は回収されていったようだ。
個人や中隊程度のアリアンフロッドが、灼赤砲のような兵器を持つことは許されておらず、グレンはどこからか、調達してきたようだ。
「ああ。だが、充分、役割を果たしてくれたよ」
皮肉のつもりだったが、グレンには伝わらなかったようだ。
聞いた話だが、回収された灼赤砲は大半が、粗悪な品物だったらしい。
砲撃も一度か二度程度がせいぜいで、あれがラーマの翼蛇に対する攻撃の切り札となった、とはとても思えない。
「灼赤砲を前もって準備されていた、ということは中隊長は、ラーマの翼蛇がコーヴェニアに潜んでいる、と知っていたのですね」
「ああ、その通りだ。私の見立て通り、出現してくれた」
「あたしは、聞かされておりませんでしたが」
「だろうね。だって、事前に教えていたら、任務に参加しない隊員もいるかもしれないからね」
その言葉を聞いて、かっと怒りが身体のなかを突き抜けていった。
自分の作戦の無計画さを反省するどころか、仲間たちに対して、そんな言い方をするだなんて——。
中隊長といっても、代表に過ぎない。
騎士団なら、上官の命令は絶対的なものだが、アリアンフロッドは軍隊ではない。
階級は存在するものの、指揮系統を明確にするためのもの、以上の意味はない。
あたしは、拳を握りしめた。
振り向いて、殴りつけてやろうか、と一瞬だけ、思った。
情に動かされず。常に戦場では冷静たれ。
エレナの生家、アラリック家の教えだ。
ここは、直接、剣やライフルを構える場所ではないが、ある意味、戦場とも言えるだろう。
「もうひとつ——フィルですが、追放したというのは、本当のことですか」
「彼が、今の”旗を振るもの”に必要だと思うかい? フィルの天恵は、アリアンフロッドでなら、有用かもしれない。しかし、騎士団では役立たずとなろう。むしろ、このタイミングで中隊から脱退させたことに、感謝してもらいたいものだ」
あたしはぎゅっと、双眸を閉ざした。
「それに、奴はラーマの翼蛇の討伐から逃げ出しているんだ。本来なら、懲罰がなされるはずだが——まぁ、いいだろう。エレナ、おまえも私を失望させないでくれよ。これからは、アリアンフロッドとしてではなく、騎士のひとりとして、活躍してもらう。役立たずは、おれの中隊には必要ないからな」
——それなら、あたしも追放してください……。
言葉が洩れそうになったが、あたしはどうにか堪えた。
騎士団の昇格など、興味はないが、没落したアラリック家の再興のためには、今は資金が必要だ。
一時の感情だけで、身の振り方も考えずに行動することは、無責任に過ぎない。
ばたん、と音をたてて閉ざされた扉を、グレンはしばらくの間、見つめていた。
それから、ゆっくりとため息をつく。
部屋を横切り、奥にある執務用の椅子に座る。
デスクに肘を付き、「イセングリム!」と名前を呼んだ。
「……はい、こちらに」
部屋の隅から、返事があった。
黒ずくめの、漆黒のローブを頭からすっぽりと被った男が、一歩、踏み出してくる。
闇が人の姿をとったような、不気味な男だった。
フードを深く、被っているせいで、表情なども見えない。
ただ、あごの周りと唇の動きだけが、覗いている。
「フィルはどうしている?」
「変わらず……今は、ケリオン傭兵領を離れ、リア河の向こうへと移動しております」
「生まれ故郷へと向かっている、ということか」
「どうしますか。今度こそ確実に、殺りますか」
イセングリムが、腰のベルトに並べられた、いくつもの鞘から一本の短剣を取り出した。
息を吹きかけ、曇った刃に丁寧に布で拭き取っていくのを、何度も繰り返す。
「いや——偵察だけでいい。ふむ……おまえがはじめて、暗殺に失敗した、と聞いた時は信じられなかったが、これはやはり、死に戻りが鍵となっているようだな」
「……今度は負けません。あいつが何度、人生をやり直しているとしても、中途半端な天恵に頼っているような奴にはね」
「まだ、その時ではない。いずれ、な」
「……わかりました。今度は剣ではなく、得意の短剣で始末してやりますよ」
イセングリムは、フードの下の唇を歪め、それから、短剣を鞘に戻した。




