第29話 女神との会話
がっくりと、おれは膝をついた。
視野が狭まり、顔を上げるのすら、億劫に感じてしまう。
疲労は極めに達し、全身から激しい戦闘の結果、出血している。
レイドアーマーは切り裂かれ、肌が露出している部分は火傷を負っていた。
痛みと苦痛で、手にした斬奸刀で、床をついて、倒れないでいるのが、やっとだ。
額から血の雫が垂れ、片目を閉ざした。
「エーオルイドさま……」
おれは、永夜の帷の間に刻まれた、砕けた魔法陣に背中を向け、段を下って、彫像の台へと近づいていった。
帷の間を見渡せるように設えられた台の上には、既に女神像はなく、そのすぐ側には、純白のトーガを身にまとった女性が、座り込んでいた。
封印を解除されて、受肉した姿で解放されたのだ。
彼女のもとに、近寄らねば——と思うのだが、おれは傷だらけの自分の姿を思い浮かべて、脚を止めた。
「フィル——第一の信徒よ、そのままで。ようやく、肉眼を使って、あなたの顔を見ることができました」
綺麗な声だ。
透明感があって、耳に快い。
ずっと聞いていたい、とそんな風に思うような声だった。
ふわりと、金髪をなびかせて、エーオルイドが立ち上がった。
ほのかに、彼女の全身が輝いていることに、おれは気づいた。
女神が動くと、風が舞い、空気が動いた。
ここは——どこなのだろう。
石の祭壇のような場所だが、その外には何もない。
ただ、荒野が続いているばかりだ。
そして、頭上には見慣れた青い空はなく、星空が静かに瞬いている。
中天には見慣れた双陽が、リングの向こうに輝いているのが見えるのだが、雲はいっさいない。
星空と双陽が同時に見える——なんてことが、本当にあるのだろうか……。
女神が口のなかで小さく、なにか囁いた。
と——おれの全身につけられていた傷口が綺麗に消えていった。
火傷の痕も含めて、痛みもすっかりなくなってしまっている。
女神の癒しの力、ということなのだろう。
「……女神さま。感謝します」
「感謝するのは、わたしのほうです。あなたがわたしの信仰を復活させ、生き返らせたのですよ」
女神が、手を差し出してきた。
手を握られ、それから、立たせられる。
額を寄せて、顔を覗き込まれた。
目と目が合うと、視線を逸らすことができなくなってしまう。
「フィル——よく、わたしが授けた天恵をここまで成長させてきました。アリハタナ村で果たした盟約を覚えておりますか? 魂の牢獄からわたしを解放し、務めを果たされました。次はわたしの番ですね。あなたの望みを聞き届けましょう」
おれの望み——?
唇が動く。
言葉を紡ごうとしているのを、おれは別人を見ているように、自分を見下ろしていた。
びゅうびゅうと、強い風が吹き、ふたりの会話をそれ以上、おれは聞き届けることができなくなった。
身体が浮かび上がり、引っ張られるように、夜空へと舞い上がっていった。
そして、意識も徐々に薄れていき、おれは目を開けていられなくなり、瞳を閉ざした。
■ △ ▲ ▽
「……フィル!」
名前を呼ばれて、おれは瞬きをした。
背中を支えられて、ゆっくりと腰を下ろす。
意識が一気に戻ってくる。
色が戻り、音も聞こえてくる。
顔をあげると、おれは石碑の前で膝をついていることに、気づいた。
リンが、すぐ隣でおれの顔を覗き込んできている。
「だ……大丈夫だ……」
ここは……地下遺跡の石碑のある舞台のようだ。
戻ってきた、ということになるのか。
あれは、夢だったのか、それとも、意識だけ飛ばされていたのか——。
「リン。どのくらい、意識を失っていた?」
「意識? いや、石碑に触れて、すぐに倒れかかったから、支えたんだけど」
「……そうか」
あの出来事は、夢なのかもしれない——が、そうではないことを、おれは確信していた。
石碑を通して、女神さまが直接、話しかけて来たのだ、と。
おれは、女神像を見上げた。
それにしても、今まで、どうして女神さまのことを忘れていたのだろう。
天恵である、『大地神の祝福』が進化したのだって、女神さまが関係しているから、なのだろう。
——おれが一度、故郷に戻りたい、と思ったのも、もしかすると、女神さまに導かれたからなのかもしれない。
石碑全体が、琥珀色に輝きはじめた。
今度は、文字だけではなく、石碑そのものが仄かに光を放つ。
立ち上がり、リンに手を差し伸べる。
石碑の周囲に、円形に描かれている陣が明滅する。
ばさり……とゆうが翼を広げ、リンの肩に降り立った。
がくん、と地面が揺れた。
石碑の向こう——壁際から、床が段差をつけて迫り上がっていき、階段へとなっていった。
おれはリンと顔を合わせ、それから、どちらからともなく、頷きあった。
「行こう……」
階段へと脚を進めようとすると、リンが先に階段を昇っていった。
おれは肩をすくめると、リンを追いかけていった。




