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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第9章 天命と赦しのとき
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天命と赦しのとき 3

「[断ち切れ]ッ!」


 嵐を宿した白刃はその力でもって狗神の一尾を斬り落とす。


『ぎっ、ぃ、あああああァアあッ!!』


 残った二尾が癇癪を起こしたようにのたうつ。

 舞い上がる枯葉と土埃を自然の目眩しにして珠姫は狗神の足元に迫ると、流れるように追撃を放った。


「[切り裂け]!」


 地から天へと振り抜いた刃は、しかし尾を斬るには至らない。あと少しというところで狗神が身を返し、巫術から逃れると同時に穢れを撒く尾で振り払ってきたからだ。


『おのれ、おのれぇえ!』


 狗神が風の力を己の爪牙として投じてくる。

 尾を躱して間合いを図っていた珠姫は素早く結界で防戦した。


『哀れな四竜の下僕! 如何に祈り身を尽くそうとも、真に竜神どもが応えてくれることはないというのに!』

「っ、[撃ち落とせ]!」


 珠姫の巫術は、見据えていた狗神ではなくその背後を襲った。

 ぎゃんっ、という甲高い悲鳴と砂の落ちるような音がして小型の眷属が消滅する。波打つ木の根を踏んで狗神に迫りながら、次から次へと急襲するそれらを残らず祓っていく。


(誰がやられるか!)


 狗神も眷属も、供物を喰らうことで回復または強化される。

 そのうち眷属をけしかけてくることは予想済みだ。髪の毛一本、血の一雫も喰わせてやる気はない。


『あくまで己が意志を貫くか、かくも哀しき四竜の下僕よ!』


 憎悪の声を聞きながら狗神に接近して、脚や背を斬りつける。払っても払ってもまとわりつく羽虫のような攻撃だろう。苛立った狗神の唸り声が地を震わせている。


(狗神は頭だけでも動いていた。恐らく、頭部が神体だ)


 頭部を斬り落として祓い清めれば調伏できる。

 だがそれには玄夜が準備したような大掛かりな巫術が必要になる。それが叶わない現状では致命傷を負わせることは不可能、せいぜい不意を突いて尾を切り落とすので精一杯だ。


(だから夜明けを――朝を迎えるまで、やつを抑える)


 朝になれば必ず事態が動く。

 珠姫の役目はそれまでできる限り狗神を食い止め、可能なら弱らせておくことだ。


『この、供物ごときが!』


 斬り、払い、避けて、また避けて、駆けて駆けて、跳び、斬り下ろす。

 死角から狙ってくる眷属を巫術で祓い、隙を突こうとする妖術を清い力で相殺する。


 けれど、息が苦しい。身体が重い。足が縺れる。刀が重く、巫術が思ったように使えなくて苛立つ。


(あまり長くは、っ!)


 体力が保たないことを思い知らせるように、飛来した小石が珠姫の頬を傷付けた。


「うっ」


 狗神の力が込められた砂礫は小さな刃を浴びせかけられるようなものだ。

 鋭い痛みに一瞬怯んだそれが隙となって、続け様に砂礫を浴びせかけられ、刀を弾き飛ばされる。右腕を持っていかれる前にと身を隠そうとしたが、それよりも早く、木々の折れる音と巨大な影が珠姫に降りかかった。


 しまった、と思う暇などない。

 巫術も間に合わず、珠姫は倒れかかる倒木の影に飲まれた。






「――――……」






 気付けば、辺りは不穏な静寂に支配されていた。


 枯葉の落ちる音。みしみしと軋む倒木。それらの残骸が舞う乾いた風。地面に伏している自分自身の不規則な呼吸音もよく聞こえる。


(いったい、何が……)


 ばりばりばり、と雷光が天を裂く。






「――――っ!!」






 鳴り響く轟音に、慎重に身を起こそうとしていた珠姫の悲鳴が掻き消される。




 激痛を叫ぶ身体は、倒立した大木の枯れ枝によって地に縫い止められていた。


 顔や心の臓、鳩尾といった急所は運良く外れていたが、肩や肘、足の付け根や腿に太さの異なる枝が突き刺さっている。浅く皮膚を突き破っているものもあれば、腱を傷付けるほど深いものもあった。変形した小枝は鉤針に等しく、わずかに身動ぐだけで身体のどこかから激痛が走って息もできない。




『これでもなお四竜に祈るのか? 救いを求めるお前に手を差し伸べることのない神に?』




 杭を打つがごとく、珠姫に枯死した木を突き立てた狗神の邪悪な笑い声が降る。


『我に叛意した愚かさを悔いるがいい』


 せせら笑った狗神が背を向ける。巫術どころか動くこともできない巫術師など恐れるに足りないということだ。


「ぐっ! ぅぐ、ぁ、あぁ……っ!」


 待て、と言いたいのに声になるのは痛みを伴った呻きと叫びばかりだ。巫術を使おうにも、全身を走る激しい痛みに意識がばらばらになる。生理的な涙がぼろぼろと零れた。


(逃げられる! 行かないと、早く……追いかけて……!)


 痛みに耐えながら足で地を蹴り、起き上がろうと試みると刺さっていた枝がさらに深く潜り込んだ。本能的に迫り上がる悲鳴を押し殺す。こめかみから冷や汗が流れ落ちた。




 ――なお四竜に祈るのか?


 ――手を差し伸べることのない神に?




(うるさい)


 思考を占領する声に怒りを返す。




 ――如何に祈り、身を尽くそうとも、真に竜神どもが応えてくれることはないというのに?




 持ち上げようとした身体が落ちた。


 呪詛のように繰り返されるそれは珠姫の心に狗神の語った影が存在しているからにほかならない。――苦しい。辛い。疲れた。この戦いに意味はない。信念のために命を賭けるなんて愚かなことをしている。望みも復讐心も捨ててしまえばこんな思いをせずに済んだに違いない……。


 力が抜ける。身も心も何もかも重い。








 ――珠姫。


 そのとき、声が聞こえた。

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