光を呪い闇を祝うもの 4
「何をしている」
「私は墨月一族の人間ではありませんから」
「珠姫」
軽口を叩ける状況でないことは脅すような声を出されずともわかっている。だから言った。
「これは、私の復讐でもあるんです」
旭と出会い、彼を失い、強さを求めて巫術師になって、いまここにいる。
風になぶられる髪をそのままに、珠姫は剣を構えた。
「…………貴様らのせいで…………貴様らが来なければ…………」
ぶつぶつと呟く声が聞こえる距離になったとき、丹造が裸足で、衣服が赤黒く汚れていることに気が付いた。それは楓屋敷もなんらかの騒乱に飲み込まれたことを意味している。
国の結界を成す鎮守社を抱えた蘇芳一族の守護地は、いまや四竜の加護を失いつつあった。
風は腐り、大地は汚れて、辺りには夜よりも濃い闇が漂っている。死者が行く根の国に至る道は、もしかしたらこのような景色なのかもしれない。
「玄夜様は狗神を追ってください。あれを片付けて、すぐ後を追います」
疑念を滲ませる視線に「大丈夫です」と応える。
「『お前は蘇芳一族で最も優れた巫術師だ』と、師からお墨付きをいただいています」
そう言われたのは独り立ちのときで、狗神の力を与えられた丹造は比較対象に入っていなかったけれど。
あのときよりも澄んだ熱と強い感情が全身を駆け巡っていた。しかし不思議と心は凪いでいる。いまならどこまでも高く、高く、遥か遠くにまで祈りを届けることができるような気がした。
珠姫は玄夜を見つめた。
蕾が緩むように、自然と唇が綻んだ。
「――信じて」
玄夜は不意を突かれたように目を見張った。
そして、微笑んだ。氷が溶けるのによく似た笑みだった。
「ああ。――頼む」
一呼吸の後、走り出した。
互いに背を向け合うようにして、玄夜は狗神を追い、珠姫は丹造へと向かう。
「[四竜の大前に 恐み恐みも白す]!」
「[ミハカ=ワガ イモウ=タクス]ッ!」
巫術と妖術が激突する。
疾走する玄夜を狙って丹造が炎を放つ。蛇のようにしなる炎を、珠姫は風の刃でもって切り刻んだ。
そうなると信じていた玄夜はこちらにちらとも視線をくれず、狗神を追って戦線を離脱していく。
「どうやってここまで来た? 監視役の巫術師たちは!?」
丹造は問いに答えるどころかしつこく追撃をせんとしたが、珠姫がそれを許さない。進路を阻むが如く白く光る刃を振りかぶった。
「叩っ斬るッ!」
「馬鹿め!」
珠姫の刀は、丹造ではなく、その手から吹き出した火炎を切る。
だが断ち切ったはずの炎はぐるりと炎を描いたかと思うと、赤い獣の姿を取って背後から襲いかかってきた。
「っ!」
思いがけない新手だったが、一頭は避け、もう一頭は刀で受け流して逃れる。
獲物を仕留め損ねた二頭の獣は、丹造の傍らに降り立つと憎々しげに牙を剥き出して唸った。
「は、ははは……! 見たか! これがわしの真の力だ!」
唾を撒き散らして丹造が叫んだ。
「わしが、わしこそが、神の寵愛を受けた唯一の巫術師だ!」
しかし歓喜を迸らせておきながら、血走った目は濡れ、拳は震えるほど強く握り締められている。まるで丹造こそが追い詰められているかのようだった。
「行けぇっ!」
血の色をした犬たちが向かってくる。
その動きを見定めようとしていた珠姫の胸に、ふと、近く遠い過去が去来した。
――闇が下りた森。血の匂い。怒鳴り声。牙を剥く赤い犬。
噛みつかれた腕が痛かった。それより心が痛かった。旭はもう痛みも喜びも感じられないのに、珠姫は痛み苦しんで涙を流している。珠姫にとって、生きていることは罪だった。
それでも生きて、ここにいる。
あの日の贖罪はいまも続いている。これからも。ずっと。
だから。
(すべてを背負って、行く)
過去の罪も、現在と未来で犯す罪と罰も、すべて。
「――[四竜の大前に 恐み恐みも白す]」
この決意を、四竜の神に謹んで申し上げる。
地を蹴って、獣の牙の前に自ら飛び込んだ。
振り抜いた刃で犬の胴を断つ。そのまま流れるように斜めに斬り下ろしてもう一体を叩き落とした。
「なっ、な……っ!?」
珠姫が墨月一族の当主の影に隠れているだけだとでも思っていたのだろう。剣術や体術を習得しているとは考えもしなかったのか、丹造は唖然として何も言えなくなっていた。虐げられていた者がなんの手段も持たずに敵の住処に戻ってくるわけがないだろうに、よくここまで人を舐めてかかれるものだ。
「[青竜 白竜 赤竜 黒竜]!」
この機を逃さない。
駆け抜ける珠姫の背後で踏みつけた朽花が舞う。
「[安鎮を得んことを 慎みて]」
「来るな、くっ、来るなぁあああ!!」
なりふり構わず繰り出された力が再び赤い犬となって珠姫に襲いかかる。
だが、劣弱だ。与えられた力がどれほど強かろうと、それを扱う者の意思が弱ければ、本来の威力を発揮することはない。ゆえに刀を振るう必要もなく躱した瞬間に形を維持できずに消滅する。
そうやって障害を越え、反撃をあしらい、踏みつけて、巫術の間合いと刃の届く距離に至る。
「あっあぁああああ――っ!!」
絶叫することしかできない老いた当主の目に映るのは、幼く無力な娘ではない。
髪は乱れ、身だしなみを欠き、汚れていても、高らかに刀身を掲げて祈る一人の巫術師だ。
「[四竜に願い奉る――祓え清めさせ給え]!」
剣をしるべに降ろした四竜の力が地を染める闇を白く照らす。清らかな光は炎となって、蘇芳丹造と一つの因縁を焼き払った。




