光を呪い闇を祝うもの 3
「――っ!?」
珠姫は玄夜を庇うように刀を構え、巫術を発動させようとしていた巫術師たちも手を解き、周囲を警戒する。
結界は、無事だ。後方支援の巫術師たちがいまなお三重の結界を維持している。
しかし一足早く夜に染まった木立の奥から、得体の知れないものの蠢く気配がする。
「……ご当主様」
「狗神を討つ」
玄夜の返答は澱みない。異変を感じる者たちへ冷静に告げる。
それぞれに果たすべき役目がある。椋人たち一族の巫術師が援護を行い、冬路たちが楓屋敷の監視と対処を担っているように、珠姫たちの役目は狗神討伐だ。
「急ぐぞ」
「はっ」
ざざっ、と草の間を走る音がした。
声を上げる間もなかった。視界の端に赤いものが見えたと思ったときには、切り落とされたはずの狗神の首が牙を剥いていた。そうして人どころか牛馬を飲み込む巨大な顎で、咄嗟に身を捻った巫術師の左腕を易々と奪っていった。
「柊吾ぉっ!」
柊吾と呼ばれた巫術師は体勢を立て直すことができないまま、血を撒き散らしながら弾き飛ばされた。
「あいつ、首だけで!」
「追うぞ!」
腕を食いちぎった狗神は森の奥へ逃げ去ろうとしている。
駆け出す彼らを「待て!」と玄夜の険しい声が引き止めた。
「不用意に近付くな!」
その理由は、いままさに起こり始めた変化にあった。
地を走っていた首がむずがるように震えたかと思うと、その断面から、大水のごとく穢れが噴き出した。黒い水とも微粒ともつかない穢れは大気を汚し、地に飛び散って草木を枯らしていく。人や動物が受ければたちまち呪いに侵されて死に至る。
そのとき、玄夜がはっと息を呑んだ。
「こちらもか……!」
視線の先には、氷柱に刺し抜かれた狗神の本体がある。
びくっ、びくっ、ぶるぶるぶる、ぶるぶるぶるぶる。
それが先ほどの頭部よりも激しく震え出した、次の瞬間だった。
――ぼっ、と音らしい音を立てずに破裂した。
凄まじい勢いで噴射された穢れは、高く伸びた木々に飛び散り、枯れた枝葉ごと滴り落ちてきた。地にぶつかった枝は砕け、葉が塵になる。立葵の赤い花は生きたまま腐り落ち、大地を黒く染めていた。夏の緑の香りが腐臭に変わる。
いち早く玄夜が結界を張っていなければ、珠姫たちの命はなかっただろう。
(森が、死んでいく……)
愕然としながら朽葉の降り注ぐ森を仰いでいた珠姫はぎくりと息を飲んだ。
「結界が!」
三重に敷いたはずの結界が、すべて虫に喰われたように綻び始めていた。
撒き散らされた穢れだけでなく、汚された木々や草花、土、水が新たな汚穢となって、結界を破壊したのだ。
それに引き寄せられるように、天地もまた夜に覆われていく。――闇の時間がやってくる。
「早く狗神を、っ!?」
追わなければ、と頭部の行方を探して、珠姫は目を見開いた。
それは、森の闇が見せる幻のように不穏をまとって現れた。鮮やかな赤の着物を乱し、虚ろな目をして、呪術師が操る屍のような不気味さで佇む――囚われているはずの、蘇芳丹造だった。
何故、という問いに答えるように人の声が聞こえ始める。
叫び、怒号、獣の声。そして巫術の光。後方支援の巫術師たちが敵と交戦している。恐らく楓屋敷も同様の状況だろう。
「ご当主様……」
「負傷者を保護して、いますぐここを離れろ。救援要請は事前の打ち合わせ通りに」
狗神は逃亡し、蘇芳丹造が現れ、激しい戦闘が始まった。刻々と状況が変わりつつあるいま、逃げるならいましかない。
玄夜はそう判断し、一族の者もそれを理解していた。当主がその後どうするつもりなのかということも。
それゆえの「ですが」という抵抗を、玄夜は視線を向けずに拒絶した。
「行け!」
弾かれたように巫術師たちが仲間を抱えて走り出す。
そうして後を追わせまいと玄夜が丹造の前に出る、その隣に、珠姫も並び立った。




