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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第9章 天命と赦しのとき
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光を呪い闇を祝うもの 2

 幼子の高音と老爺の低くしゃがれた音が重なったような、男かも女かも曖昧な、声と呼ぶのも憚られる雑音が、珠姫たちを嘲笑う。


『四竜の下僕が如何ほどのものかと思ってわざわざ出てきてやったのだ。もう少し楽しませてくれまいか』

「ぅあああっ!?」


 言うが否や、距離を取っていた巫術師が一瞬にして水流に包まれた。

 珠姫ともう一人はすぐさま結界を纏い、迫る炎の壁や風の刃を打ち消したが、息を吐く間もなく狗神が迫る。来るのは爪か、牙か尾か。


「っ!」


 襲ったのは尾だった。

 目前に迫ったかと思うと後ろに跳躍し、逃げると見せかけて、鞭のようにしならせた尾で巫術師の一人を太刀ごと打ち上げた。さらに球遊びのごとく落下する身体を横殴りに打ち飛ばした。


『はは、ははは! 面白いほどに飛びよるなあ!』


 強い。

 たった一人残された珠姫のこめかみを汗が伝う。人外の巨体に獣の動き、人の言葉を弄する知恵、そして妖の力。敢えて先に他の者を狙って珠姫を残す陰湿さがおぞましい。


『さあ、残ったのはお前だけだ。我が供物』

「…………」

『まずは四肢を一本ずつ捥いでやろう。柔らかな肉を喰らい、白い骨まで存分にしゃぶってやる。恐怖の涙と血に塗れたこうべと胴部はさぞかし美味かろう。そうして得た力で、下僕どもに新たな子を授けてやってもいい』


 珠姫は黙って打刀の鞘を払う。

 狗神の牙よりも細く短い白刃でどこまで戦えるものか。

 だが黙って嬲られる気はさらさらない。ははは、はははは、と高らかに笑う鼻先に刃を突きつけた。




「そんなこと、絶対にさせるものか!」




 これ以上、旭のような犠牲を生まないために。


 旭と過ごした記憶が、別離の言葉と最期の笑みが、戦う力になる。




「[四竜の大前に]!」

『贄は贄らしく泣いておればいいものを!』


 憎々しげな歓喜の咆哮とともに、無数の蔓が地を割って現れた。

 高く伸びた植物が空を切って迫る。しかし珠姫は刃を振るわず、左に右に、後ろにと回避を選んだ。次々に襲ってくる蔓を切って払ったとしても、そのうち刀を奪われるか自分自身が拘束されるかのどちらかだと判断したからだ。


『舞え、舞え! 無様に舞い踊れ!』

「っく!」


 背後を取られまいと反転した直後、体勢を崩した。隆起して割れた地面に足を取られてしまったのだ。


 隙を見せること、それは、終わりを意味する。




『神に挑む愚かな供物! その御魂ごと愛でるように喰うてやる!』




 しかし、珠姫は一人ではない。




「[御働きを現し給え]」




 凛と力強く響く宣詞(のりと)




 珠姫は、囮だ。墨月一族の巫術師たちとともに狗神を引きつけ、戦い、可能な限り弱らせる役目がある。叶うなら凶つ神をこの手で倒して仇を討ちたい。しかしそれにはまだ力が足りない。


 だから、託した。




「[御支配あらせ給え]」




 振り上げられた太刀が、昼と夜の混じる空に第二の月のごとく白く輝く。


 立葵を蹴散らしてきた玄夜が狗神の後背を取る。結界の外で宣り上げた秘技と呼ぶべき強力な巫術を叩き込むために。


 珠姫もまた真っ向から白刃(しらは)を振り抜き巫術を放つ。




「[萬物(よろずもの)を祓い清め給え]!」

「[(えやみ)の災いを祓い退けさせ給え]――!」


『な、がああぁあアァッ!!』




 天と地から放たれた斬撃と巫術が、狗神を無慈悲に蹂躙した。


 だがそれだけでは終わらない。


 倒れ伏していた巫術師たちが次々に起き上がり、複雑な印を交えた浄祓の巫術を組み上げる。




「[此の天願(あまはら)に仰ぎ奉る 掛けまくもかしこき 四竜を拝み奉りて (かしこ)み恐みももうさく]」


「[此く出でし禍事罪穢(まがごとつみけがれ)を祓え給え、清め給え、守り給え]」


「[一切衆生(いっさいしゅじょう)の愚かなる心を戒め給え、脱ぎ去らしめ給え、祓え清め給え]」


「[吹き払う事の如く、解き放ち押し放つ事の如く、打掃(うちはら)う事の如く]」


「[罪という罪はあらじと 遺る罪はあらじと 祓え給い清め給うことを 四竜に聞こし召せとまおす]」




 氷槍の形を成した降伏の力が、一斉に狗神に降り注ぐ。


 全身を貫かれて声を発することのないただの肉塊に近しいものとなって、ようやく狗神は動きを止めた。数多の鋭槍に突き刺されて倒れることも許されない姿は、あたかも磔刑に処された罪人のようだった。


「…………」


 ふう、と息を吐く音が重なった。


 それに気付いて苦笑を交わす珠姫と玄夜のもとに巫術師たちが駆けつけてくる。


「お二人とも、ご無事ですか」

「私は、なんとか。皆さんは?」


 珠姫の問いに、彼らは笑みを返してくれた。


「こちらも大事には至っておりません。身代わりの護符がありましたから」


 そうは言いながらも、腕を痛めたり肋骨を折ったりなどしたらしい。傷や痛みを緩和する巫術で回復を試みている。


 身代わりの護符は、一度だけ致命傷を回避する効果がある。それゆえにたった一枚で人間一人の人生を賄えるほどの価値がある、宝物と呼ぶべき貴重なものだ。

 それを狗神と交戦する珠姫たち七名は所持していた。しかし護符の効果で命を落とすことはなくても無傷ではいられない。やはり仲間が攻撃されると動揺する。そのおかげで狗神の不意を突くことができたとも言えるが、貴重な護符を惜しみなく提供して戦いを命じた玄夜もそれに諾と答えた巫術師たちも、珠姫の知らない巫術師の在り方だと思った。


「ご当主様」


 一族の巫術師の呼びかけに、玄夜は狗神から目を離さないまま「ああ」と頷く。


「首を落とし、心の臓を刺し貫いて、最後に巫術で清め祓う」


 緩みかけた緊張を、玄夜の声と握り直された太刀が引き締める。


 妖、特に凶つ神になるようなものは、人と同じ急所を突いたとしても確実に命を奪えるわけではない。そのため首や四肢を落とし、心の臓を潰して動けない状態にした上で、清祓(せいばつ)の巫術でもって消滅させるのだ。


(今度こそ、終わる……)


 巫術師たちが浄祓の巫術を撃つべく所定の位置についた。

 珠姫も打刀を握って玄夜の後ろに控えながら、ここまできたのだ、と思った。


 ――楓屋敷での日々、旭との出会い、二人で過ごす時間のささやかな幸せ。それを失った悲しみと弱い自分への怒り。強くなりたいと願い、巫術師になったこと。旭を殺した妖を討ち果たしたときの歓喜と安堵。終わっていなかった復讐と真の敵の存在。そして、いま。


(旭……)


 玄夜が宣詞を唱える。巫術を纏った太刀が、狗神を斬るにふさわしい力を帯びていく。


「――はッ!」


 黒銀の一閃のもと、狗神の首が落ちた。






「あぁああああああぁァア――!」




 しかし夕闇に包まれる森に響き渡ったのは、獣じみた人間の絶叫だった。

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