暴かれる闇 3
ひぃい、と細い笛のような悲鳴を上げて丹造が倒れ、梅乃と緋左子が逃げ出そうともがく。恐怖に歪んだ顔は涙のせいで化粧が溶け出して、とてもではないけれど見られたものではない。落雷に驚いたらしい朱葉はとうとう気を失ったが、実母である緋左子にはどうでもいいようだ。それよりも早くこの場を逃れようと、梅乃を押し退け、破れるはずのない壁を蹴っている。
「死にたくない、死にたくなぃい……!」
「死にたくないと叫んだのは、生きていたいと願ったのは、お前たちだけじゃない!」
叩きつけるように珠姫は叫んだ。堪えることなどできなかった。
巫術師でもそうでなくとも、人は誰しも幸福や安寧を得る権利がある。他者のそれを踏み躙り、奪っておきながら、戦いもせずに喪心し死にたくないなどと泣き喚く、その弱さにかつてないほどの怒りを覚えた。
「蘇芳一族当主、蘇芳丹造殿」
叫声や感情が荒れ狂うなかで、玄夜の呼びかけはいっそ心地よいほど強く響いた。
「生まれは違えど名家と呼ばれるものの本家に生を受けた者同士。さだめられた役割や、守るべき一族と血、背負うものや義務については私もよくわかっているつもりです。だからこそ、あなたには年長者として尊敬できる巫術師になっていただきたかった。若輩者の私や、その後に続く者たちの手本となる先達者に」
残念です、と静かに告げた、それが終わりを知らせる言葉だったのか。
丹造は、うー、ううぅ、と低く唸っていたが、それ以上口汚い罵声を発することはなかった。
「た、助けて……」
だがここにきてまだ這いずってきた緋左子が玄夜の裾に縋りつく。
玄夜の無感情な視線を向けられた緋左子は「知らない、知らない!」と激しく首を振った。見ている方の顔が歪む醜さだったが、最後まで見届けるのが義務だと信じて、珠姫は緋左子を見据えた。
「私は何も知らない! あいつらが悪いんだ! あいつらが勝手に……!」
「何も知らないわけがない」
背後から発せられた声を、珠姫はすぐに聞き分けることができなかった。
「ご当主様の愛人だったあなただ。きっと睦言代わりに聞かされていたんだろう?」
「香介っ!」
墨月一族の巫術師に付き添われて現れたのは、緋左子の夫であり朱葉と珠姫の父である香介だった。
香介は目の前の惨状を悲しむように眉をひそめた。そして呆然と立ち尽くす珠姫に複雑そうな微笑を浮かべると、玄夜たちに向き直って深々と頭を下げた。
「蘇芳一族分家本流が家長、香介と申します。里におりましたため、戻るのが遅くなってしまい申し訳ございません。事情は付き添ってくださった一族の方から伺いました」
そうして膝をついて頭を床に擦り付ける。
「蘇芳は巫術師一族にあるまじき大罪を犯しました。謹んで罰をお受けいたします」
いてもいなくても変わらないから、姿がなくてもさほど気に留めていなかった。声などすっかり忘れていた。物心ついてから話すところを見たのは数えるほどだったけれど、ちゃんと喋ることができる人だったのか。そんな人でもここでは唯一まともに見える。
「勝手なことを言うな!」
思いがけなかったせいか珠姫は取り止めのないことを考えていたが、そこで、きぃー、と動物のように吠えた緋左子が平身低頭する香介に飛びついてどかどかと殴り始めた。
「何も知らないくせに! 私が悪いという証拠がどこにあるんだ! 夫なら私を守れ! こんな若造にへこへこ頭を下げて、ああ、ああ、恥ずかしい!」
ばきっ、と容赦ない音がした。頬に平手を食らった緋左子は吹き飛び、信じられないという面持ちでわなわなと震えていたが、耐えきれなかったようにわっと泣き伏した。これまで虐げてきた香介に始めてやり返されたのだった。
「入り婿のくせに! 傍流の貧乏家のお前を見初めてやったのに!」
内輪揉めとしか言い様のない状態に陥ったとき、ため息を吐きながら冬路が前に出た。
「さて、ここらへんで打ち止めかね」
混沌とした状況は未だ続いているが、さらなる情報を引き出すには時間をかけなければならない。蘇芳一族の罪を突きつけ、凶つ神の正体を暴くという目的は果たしたのだから、冬路の言う通り一度切り上げるべき頃合いだろう。
「こっちは引き受けるから、お前たちは戦いに備えて少し休め。後で調書を持っていく」
「ありがとう。助かる」
玄夜がそう言って「珠姫」と呼び招く。宍雄は残るつもりらしく頷いてみせたため、珠姫は冬路たちに頭を下げて広間を後にした。
(師匠、目が真っ赤だった)
復讐に駆られる珠姫を諌めていた宍雄が、あれほど強い怒りを露わにしたのは初めてだった。一族を出奔してから監視し続けていたこと、長い時間を費やさせた憎悪の理由は、きっと名前を呼んでいた誰かなのだろう。
(……それから、あの人……初めて奥様に逆らった……)
最初に一度珠姫を見た後は、床に頭を擦り付けて頭を上げることのなかったあの人。珠姫とは異なる形で虐げられていたあの人もまた、復讐するときを待っていたということなのだろうか。侘しいような虚しいような、複雑な心境は、父だと思っていないことを自覚させられたせいもあるのだろう。
「珠姫」
振り向いた玄夜が珠姫の手を取った。そうされて、自身の手が冷たく強張っていることに気付く。
「よく頑張った。あともう少しだ」
たったそれだけの言葉が静かに、しかし強く、珠姫の胸を打った。
「――はい」
一人じゃない――胸のうちで呟いて、珠姫は玄夜の腕に抱えられながら溢れそうになる涙を堪えていた。
遠く、雷鳴が聞こえる。
決戦のときが近付いていた。




