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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第8章 復讐の花咲く
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復讐の花咲く 3


 楓屋敷の敷地内図と使用人の配置は、珠姫の当時の記憶から起こしたものを玄夜に共有してあった。それは帯同した巫術師たちにも周知され、庭や屋敷林を含めた辺り一帯を封鎖するために用いられた。


 土足で踏み入った屋敷の中に、墨月一族の者以外の人の姿はない。前庭でのやり取りを覗き見ていた使用人が屋敷の人間に知らせに走ってどこかに隠れている、あるいはすでに見つかって捕らえられているというところだろう。


「厨に行って、女中頭や古参の者を押さえます。厨にいなければ倉庫か蔵へ」


 役職付きを捕まえるのは、顔と名前を照合させて一人残らず捕縛するためだ。変わっていなければ使用人の大半は厨にいる。姿がなければ倉庫か蔵だ。当座の食料や金銭に変えられるものを持って逃げるはずだった。


「見つからなければ、この屋敷で最年少と思われる男を二人ほど連れてきてください。人質にします」

「人質?」


 静まり返った廊下で珠姫の声は足音以上によく響く。

 そのせいなのか椋人が珍しくぎょっとしたので、珠姫はついくすりとしてしまった。


「この屋敷の年嵩の女たちは好き者なんです。色目を使っているはずなので、彼らを人質にすれば恋人を気取って、助けてくれ、私が彼の代わりになる、などと言って泣きついてくると思います」


 彼女たちの娯楽の一つが、特に優れたところのない使用人の男性を若いというだけで甘やかし、誰が最も相手に好かれているのかを競うことだった。やがて男の方も欲を出して、より恩恵が受けられるようにしたり女同士で競わせるようにしたりする。そのうち女が恋人を気取り、男がそれを疎んじるようになるのがお決まりの流れだ。その一方で若い女を徹底的にいじめ抜いて笑う光景を、珠姫はまだ鮮明に覚えている。


「かなり口汚くてうるさい人たちなので、覚悟してください」


 そこまでなのかと嫌な顔をした椋人を小さく笑って、珠姫は厨に踏み入った。


 珠姫が知る楓屋敷の厨は、噂話や誹謗中傷が飛び交うかしましい場所だった。

 しかしいまは不気味なほどの静寂に包まれている。竈の火は消されていたが、鍋からは湯気が立ち、作業中と思しき道具や食材は投げ出されたまま、隅の方に十数人の女中や下男たちが集められていた。


 先んじて踏み込んで彼らを監視していた二人の巫術師が、珠姫と椋人を目礼で迎える。


「状況を教えてください」

「事前に出入り口を封鎖した状態で臨みましたので、逃がした者はおらず、この場にいる者ですべてです。直後の混乱により、多少の打ち身、火傷等を負った者がいると思います」

「お二人はご無事ですか?」


 珠姫の問いに、巫術師たちは揃って微笑した。


「巫術で防ぎましたので無傷です。ご心配、痛み入ります」


 使用人たちの場合は驚いて手を滑らせたり転んだりしたときの負傷だろうが、巫術師たちは物を投げるなど攻撃されたのだろう。だがそのときの巫術のおかげで抵抗しても無駄だと悟らせることができ、全員大人しくしているという状況に至ったようだった。


 捕縛した使用人は中庭に集めることになったと巫術師たちに伝えると、一人が移動に付き添う人員を確保するために厨を出て行った。


「家人の顔を確認できる者に心当たりはありますか?」


 珠姫は「はい」と頷いて、身を寄せ合う使用人たちに近付いた。


「栗皮色の小袖に腰布を巻いているのが女中頭、白髪を束ねた海松茶みるちゃ色の小袖の老女が最古参の厨女くりやめです。この二人なら屋敷の人間をすべて把握しているでしょう」


 的確に示した珠姫に、仰天して目を剥く者、自分が名指しされないよう慌てて顔を伏せる者、指された二人を恐る恐る見遣る者と、使用人たちは様々な反応を見せた。当人たちは青い顔を強張らせながら勝ち気な表情を崩さずにいるが、虚勢であることは明白だった。




「あんた……」




 そのとき、まじまじと珠姫を見ていた老爺がはっとしたように声を上げた。




「もしかして腹違いの……末のお嬢さんか? 確か、名前は……」




「珠姫!」




 年嵩の厨女が、ぎょっとした者たちを押し除けるようにしながら珠姫の前までやってきた。


「ああ、本当に珠姫だ! 懐かしい。ずいぶん綺麗になって……見違えたよ!」

「…………」

「あれからどうしたんだろうって思っていたんだ。いまは墨月様にお世話になっているのかい? きっとよくしてもらっているんだろうねえ。あんたは仕事のできる子だったから」


 珠姫が黙っていることに気付いていないのか、厨女は夢中になって話し続ける。しかしその視線は過去に思いを馳せているどころか、珠姫の絹の上衣や見事な拵えの脇差、さりげなく翡翠をあしらった髪飾りに貼り付いていた。


「こっちは相変わらずだよ。ご当主様もそうだけど、緋左子奥様や朱葉お嬢様はやりたい放題で、使用人なんて人間じゃないような扱いさ。それに聞けば、何か大層な罪を犯してこんなことになったそうじゃないか。いつかやると思っていたけれど、まったく仕方のない奴らだね。今度こそ愛想が尽きたよ。あんな連中にもう恩も義理もない。だからあんたに協力させておくれ」


 きっぱりと言った、その直後、厨女は機嫌を窺うような上目遣いになった。


「ただその代わり、少しでいいんだ、墨月の偉い方に口を利いてもらえないかねえ……?」


 そんなことだろうと思った。




「言いたいことはそれだけですか」




 ぱしっ、と乾いた音がした。媚びるために伸ばされた手を、珠姫は毅然と振り払った。


「では、あなた方には庭に移動してもらいます。女中頭とあなたの二人で、屋敷の人間が全員揃っているか点呼確認をしてください。虚偽を申告したり一人でも存在を秘匿したりした場合は相応の罰が下されますから、よくよく理解した上で行動をお願いします」

「ちょ、ちょっと、あんた」

「私は身勝手な言い分を聞き入れるつもりはありません。その権限も持ちません。わかったら口を閉じて、指示に従ってください」


 発した声は我ながら冷たく鋭い。情の一欠片も感じられないのだから仕方がないだろう。

 突き放した物言いに厨女はさっと顔色を変えると、拳を振り上げながら声を荒げた。


「なんだい、その言い草は。偉くなったつもりかい!? この、」

「『この恩知らず』」


 見事に言葉が重なって「ははっ!」と思わず笑ってしまった珠姫に、厨女は握った拳を解くことを忘れて呆気に取られている。


「言うと思いました。本当に、相変わらずですね」


 くつくつと肩を揺らすそれが皮肉と嘲笑だと理解できたらしい。厨女は怒気で顔を真っ赤していたが、珠姫は薄い笑みを浮かべてそれを受け流すと、固唾を飲んでいる使用人たちに告げた。


「私は蘇芳一族と関係者を捕らえるためにここにいるのであって、思い出話をしにきたのではありません」


 語れるような思い出もないだろうと使用人たちを見回せば何人かは気まずそうに目を逸らす。


「大人しく従えば悪いようにはしません。ただし逆らえばその限りではありませんから、無駄なことをして罪が重くならないようお互いに注意しあってもらえると助かります」


 連帯責任にする、嫌なら監視しあえ、という意図を理解した者たちの顔が強張った。やがて先ほどから騒ぐ老いた厨女に注がれる視線は険しく苛立ったものになっていく。


 珠姫は、厨女と、前に出てくることなく様子見を続けていた女中頭を順に見て、告げた。


「いましがた伝えたように、家人の点呼確認をお願いします。よろしいですね?」


 諾する以外は認めない。

 冷え切った空気と丁寧な口調に織り交ぜた圧に屈したかのように、しばらくの間、誰一人として口を開かず物音すら立てなかった。


「……わかったよ」


 その沈黙を破ったのはこれまで一言も発さずにいた女中頭だった。




「『わかった』ではありません」




 だが珠姫は首を振った。




「『仕事をくださってありがとうございます』だと、私に教えたのはあなた方でしょう?」




「――……ッ!」




 無表情でいた女中頭もとうとう感情を抑えきれなくなったようだ。きつく珠姫を睨み、怒りで全身をわななかせていたが、報復と呼べるだけの言葉が思いつかないのだろう、口をはくはくと開け閉めしても聞こえてくるのは乱れた呼吸音だけだった。


 そして、ぽたり、と冷や汗の滴る音がした。


「………………し、……し、仕事を……くださって、あ、ありがとう、ございます…………っ」


 沈黙の中でなければ聞こえない声量でそう言うと、屈辱に耐えきれなかったように突っ伏した。

 珠姫が続けて厨女を一瞥すると、彼女もまたその場に崩れ落ちるように平伏した。




 力を求め、強さを望み、生きるための力を身につけた。

 脅威に抗い、泣くのではなく戦って、傷を負っても助けられてよかったと笑える巫術師になった。


 無力を嘆いた十二歳の珠姫は、もういない。




「協力に感謝します」


 良くも悪くもしたたかになった十八歳の珠姫は薄い笑みを置いて、なんの未練も残さないまま、速やかにその場を立ち去った。

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