誇り高く、勇ましく、晴れやかに 2
「……どうして」
「うん?」
どうしてあなたは私にここまでしてくれるの? とは、もう問わない。この人は珠姫を珠姫自身以上に大事にしようとしてくれているのだと知れたから。
「玄夜様は、どうして巫術師になったんですか?」
代わりにこう言うと、玄夜は面白いことを聞いたように口元を歪めた。
「名家に生まれて、巫術師にならないことはそうそうないな」
巫術師の一族に生まれれば巫術師になるのが宿命だ。名家であればなおさら、宮廷巫術師以外の道を選ぶことは許されないと言っていい。自由になるためには宍雄のように一族を離れなければならない。
「だから、です」
だからこそ、生まれ持った宿命に従った玄夜のことが知りたかった。
玄夜はふと唇の端に笑みを浮かべると、少し考えるように目を伏せてから、夜空を仰いだ。
夏の夜らしい空だった。天を青く地を白く染める清らかな月が輝き、大小の星々が光溜まりを作っている。旭と再会できる夏を心待ちにしていたときもこんな月を見上げていたような気がする。
「……巫術師が季節を呼んでいると思ったから、かな」
ぽつりと零した玄夜は、珠姫の視線に気付くと照れくさそうに小さく笑った。
「宮廷巫術師の主な仕事は?」
「……国を守ること?」
「そう。穢れを祓い清め、脅威と戦い退ける。季節の移り変わりに合わせた多くの歳事はそのためにある。父も祖父母も巫術師だった私は幼い頃からそうした儀式に馴染みがあってね、見習いになるよりもずっと前から、季節の移ろいと護国に奉仕する者たちの巫術を見てきたんだ」
幼い玄夜を想像してみる。可愛らしい顔をした、大人が顔を引き攣らせるほど舌鋒鋭く、時々冷めた目をする利発で生意気な子どもが思い浮かんだ。
「いま失礼なことを考えただろう」
「気のせいです」
珠姫の嘘などお見通しだったはずだが、いまは見逃すことにしたらしい。玄夜はくつりと笑い、珠姫が居心地悪く視線を逸らす様をしたり顔で見やってから話を続けた。
「しかし巫術や巫術師を知るほどに、そして周囲を見る度に、巫術師が真の意味での神官だった時代は遠く過ぎ去ったのだと思うようになった。そんな単なる行事でしかなくなった儀式を、父や祖父のようにこなしていくのが墨月一族本家の生まれた私のさだめだ。不満に思うことはなかったが、言い様のない虚しさと失望感があった」
ああ、と珠姫は心の内で息を吐いた。何故、玄夜が能力に長けた巫術師を探していたか、一人でも多くの者に協力を求めようとしていたのかがわかった気がした。
「その思い込みが覆されたのは、この国が旱魃に見舞われた夏のことだった」
「旱魃、というと……」
「十七、八年ほど前だな。私は数えで五歳だった」
珠姫が生まれているかどうかの頃だ。過去にそういうことがあったと宍雄から教わっただけで、詳しいことは知らない。ただ、多くの死者が出たこと、国と民のために大勢の人間が動いたことは聞いている。
「この国難に、当代皇王陛下をはじめとした巫術師たちが集い、死者の御霊を鎮め、災厄を祓い、祈雨の儀式を行なった。その祈りは無事に四竜へと届き、まもなく雨が降った。まさしく恵みの雨だった」
雨乞いや地鎮のような儀式は、年中行事とは違い、機に臨み変化に応じて適切な手段を施さねばならない。それを可能にするのは優れた巫術師だけだ。宮廷巫術師の立場に甘んじているだけの者では決して成し得ない。
玄夜がしみじみと語るそれは、きっと美しく清らかな巫術だったのだろう。
「大地を潤した雨が止むと、夏がやってきた。水の満ちた稲田、飛び交う虫たち、草木の甘い緑の香。乾いて朧だった月の光が涼しげに澄んでいて、ああこれが巫術師の仕事なのかと思ったんだ」
それは、もしかしたら、静かに絶望した少年の夢と理想が息を吹き返した瞬間だったのかもしれない。
「四竜より与った術でもって、つつがなく四季を巡らせる――」
春の上巳が済むと桜花が咲き、緑が溢れ、夏越の頃には空に眩い星河が流れている。秋の重陽で四竜に豊かな実りを感謝し祝い、それを終えると霜が降りる。雪が舞い、ひととせの区切りとなる追儺式を経て、新たな芽吹の気配を感じるようになる。
花の咲く様、命溢れるとき、豊穣、生死を祈り祝う、この国に生きる人と季節の営みを彼は詠う。
ここは天願。
四竜の神と巫術師なる代行者が守護する、四季巡る国。
「こうして私は巫術師になった。そしていまは墨月一族の長、宮廷巫術師の一人として、人心を惑わす凶つ神の討伐に赴かんととしている、というわけだ」
最後はふざけたように言うと、唇の前で人差し指を立てて「内緒だよ」と笑う。
「こんな話でも君の助けになったかい?」
この世には尊敬に値する巫術師がいる。少なくともここに一人いる。役目を忘れて私利私欲に溺れるのではない。力を振りかざし、弱者を食い物にするわけではない。生まれ育ちに従うだけでもない。
そのことが復讐心を燃やして煤だらけになり、血族の巫術師の道を外れた行いに擦り切れた珠姫を慰めてくれる。
「はい」
だから私はきっと、まだこの世に絶望しなくていい。
「知ることができて、よかったです」
穏やかな気持ちのままを告げると、玄夜は満足そうに笑みを深めた。それを見て、不意に、初めて会ったときのことを思い出した。
寒月の下、お互いの正体を知らないまま、巫術をぶつけ合い、刃を交えた。
椿の花の咲く雪の庭に立つ漆黒の立ち姿に見惚れ、堂々とした居住まいや厳しいほどに真っ直ぐな物言い、ふと緩む眼差しに心を揺さぶられた。
季節は巡り、いま。花橘の残り香のする夜に取り止めのない話をしながら、不思議なほどの心地よさを覚えている。
(私はいつの間にか、この人のことを誰よりも近くに感じている……)
その感覚の源や正体を知りたくて少しずつ前のめりになっていたらしい。気配を察知した玄夜と目が合い、珠姫は慌てて元の位置に座り直した。
「し、失礼しました。すみません」
不用意に近付くなんて、我ながら何を考えているのだろう。玄夜が不思議そうな顔をしているのがまた居た堪れない。気まずさに内心身悶えしながらそろそろ部屋に戻るべきか考えていたとき、玄夜がにやっと口元を歪めた。




