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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第6章 死に損ないの真実
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忌まわしい再会 1

 珠姫が初めて過ごす皇都の初夏は、雨や水の匂いがしないものだった。

 さすがは国一番の都というところか。馴染み深い緑や土の香りが住人の生活臭にかき消されるくらい、土地が拓かれているのだ。

 故郷ではない場所、知らない土地で暮らしている。拠り所のないことがいまはありがたく感じられた。


(また、旭が死んだ夏がやってくる)


 夏が来れば、嫌でも旭が死んだときのことを思い出す。

 しかし薄垂れ衣の向こうに見えるのは、木漏れ日の降る緑の森ではなく、人や荷車が行き交う賑やかな都の風景だ。

 衣替えを済ませた人々は身軽な質感の装いで、買い物だ文使いだ、商品を卸さねば、と忙しくしている。他の者からすれば珠姫もその風景の一部になって見えるはずだ。


 突発的に休暇を与えられて、仕事は取り上げられたようなもの。旭の件を調べたくとも、参内できなければ巫術寮の蘇芳一族に接近することもままならず、本家本邸は遠目から様子を窺ってみたが数時間程度では成果を得られるはずもない。

 そうして仕方なく市中に出てきたが、一人になってみると、如何に気が立っていたかを思い知らされてため息が出た。これを見越して休みを言い渡した玄夜を思うと吐く息はより苦く深くなる。


(私みたいな面倒なやつはさっさと放り出して、もっと優秀な巫術師を引き入れればいいのに)


 何事もなかったような顔をして多忙な日々を送っている玄夜の気が知れない。

 心がささくれ立つのは、珠姫もまた、過去や素性を明かすことなく日常に戻ってしまったからだろう。


 二度と戻れないと覚悟したはずの墨染邸に帰った珠姫を待っていたのは、玄夜が言った通りの状況だった。当主付き女房の清子には「急なことで大変だったわね」と玄夜への文句混じりに労われ、真弓や桃子からも詳しく話を聞かれることはなかった。ただ桃子をはじめ一部の者が妙にそわついていたのが気になったが、巫術寮に出勤したときにその理由を理解した。


 玄夜には恋人がいる――という噂が、珠姫に影響していたのだ。


 巫術師たちは、巫術師の珠が、恋人宅へ赴く当主の付き添いをしていると思っていた。

 使用人たちは、女中の珠が、ご主人様に頼まれて恋人の邸で時々働いているのだと思っていた。

 だから誰一人として珠姫の不在を怪しむどころか、逃げ出したことにすら気付かなかったらしい。宮廷巫術師たちから「本当なのか」「どんな女だ」と詰め寄られ、真偽を確かめようとする冬路にも事情を尋ねられて、ようやく事態を理解したときは目眩がした。


 しかし噂の原因は自分だ、などと言えるはずがない。

 話を複雑化させるとより面倒なことになると判断して、沈黙を選び、釈然としないまま今日に至る。


(まあ、変装すれば情報収集くらいはできそうだとわかったのは収穫だったけど)


 この日も珠姫は清子の要望で、濃淡違いの萌葱色の袿と単を身に纏っていた。前回の着せ替えで味を占めたらしい清子は「いい出会いがあればいいわね」とうきうきして珠姫を送り出してくれたが、その気はないので 期待には添えそうもない。


 出会いから背を向けるように、市街から西の白秋川を越える。

 冬の頃は一面の雪に覆われていた農耕地はすっかり様変わりしていた。田に水が入り、畑の植え付けが終わって、畦道を若草が彩っている。地中に呪詛が埋められていたことがあるとは思えない長閑さだ。


「お母さーん! 蛙がいるよー!」


 水田を覗き込んでいた子どもが大きく手を振っている。顔馴染みの住民と立ち話をしていた母親はそれに手を振り返しながら「田んぼに入っちゃだめよー!」と叫び返した。それで満足したらしい子どもは頬を緩めて、水田の蛙の観察を再開する。熱心な様子に、珠姫は密やかに笑った。


(すっかり元気になったみたい)


 呪詛で苦しんでいた子どもも追い詰められていた母親も明るい顔をしている。父親も回復して仕事に精を出していることだろう。彼女たち家族だけでなく、集落全体が活き活きしているように思える。

 しかし声をかけることはせず、農地や住人の穏やかな暮らしぶりを眺めて、街へ戻った。


 次に向かったのは西側の住宅街、巫術師の邸宅が並ぶ地区だ。

 大内裏に近付くほどに墨染邸のような名家や有力な巫術師の住む広大な住居が建ち、離れるほどに家格が落ちる。とはいえ、珠姫のような身分では豪邸といって差し支えのない家々が立ち並ぶ。さてこの立派な家の住人のどれだけが巫術師の責務を果たしているのか、と底意地悪く考えてしまう。


(確かこの辺りだったはず……)


 日が出ているにもかかわらず奇妙なほど人の行き来のない道をしばらく行く。

 角を曲がった途端に強い風が吹きつける。広い敷地が打ち捨てられているからだ。崩れた檜垣から覗き見えるのは、そのままの車宿や厩舎、そして何かに押し潰されたように屋根だけを残して倒壊した母屋だった。


 いまや廃屋となった、かつて土器(かわらけ)で呪詛を行った巫術師の邸だ。


 玄夜からその後について軽く聞いたことがあったが、おかしな死に方をしたという噂のせいで隣近所は引っ越してしまったらしい。捜査は一段落したのか宮廷巫術師や検非違使(けびいし)の姿はない。侵入者検知の結界なども張っていないようだ。果たして倒壊した家屋の下敷きになったという巫術師の遺体は掘り起こされたのか。


(一度話を聞いてみたかったんだけど、遅かったか)


 捜査を担当しているのは宮廷巫術師の一席を占める白鷺一族だという。下っ端の雇われとはいえ墨月一族の所属している身で話をするのは難しいと思い、一般人を装って聞き込んでみようと思っていたのだが機会を逸してしまったようだ。


(仕方がない。捜査資料を見せてほしいと玄夜様に頼んでみよう)


 状況が目まぐるしく変化して余裕がなかったとはいえ中途半端な仕事をしてしまったことを恥じながら、速やかにその場を離れた。


 市中に移動して人通りの多い大路まで来ると、ほっと息が漏れた。


(買い物をして、帰ろう)


 死やそれに似た静寂は心が揺れて弱っている珠姫には強すぎる。


 まとわりつく陰の気を払い落とすように、人々の声や生活音の雑多な気配で溢れる大通りを進む。車が三台並んでも十分に広い道の左右には、貴族や豪族御用達の大店が軒を連ねていた。主人の使いと思しき小綺麗な使用人が店から出てきて「今後ともご贔屓に」と店の者に見送られたり、車力が荷車から木箱をせっせと下ろしていたりするところに遭遇する。


 目的の店の近くまで来ると、甘く香ばしい匂いが立ち込めていた。

 軒先の見世棚には、菓子を扱う店らしくあられや干し果物、季節にちなんだちまきが並んでいる。


「ごめんください」


 声をかけながら店に入ると、土間を上がった奥の部屋から、髪に白いものが混じった店員が現れた。


「いらっしゃい。何をお探しで?」

「木菓子をいただけますか? お世話になっている方々に差し入れがしたいんです」


 ちらりと不審と値踏みの視線を寄越してきた店員に、数と予算を伝える。どうやらそれが店の客にふさわしいものだったらしく、店員はわかりやすく顔を綻ばせて、珠姫は内心で苦笑した。

 普段立ち寄ることのない高級な菓子屋を訪ねたのは、迷惑をかけ通している真弓や清子、桃子たち墨染邸の人々に少しでも感謝と誠意を伝えようと考えたからだった。玄夜に協力している分の給金が上乗せされているおかげで、気軽にこうした買い物ができるようになった。寒翁の御用達だそうだなので味はお墨付きだ。


「でしたら炒った椎の実と栗はどうですか? 甘い木菓子は喜ばれますし、ご予算内でご用意できますよ」


 確かに比較的安価な椎の実と値が張る栗の組み合わせは喜んでもらえそうだ。「ではそれをいただきます」と伝えると、店員は「少々お待ちください」と言い、呼び寄せた他の店員とともに袋詰めを始めた。


「お嬢様は、当店でのお買い物は初めてでいらっしゃいますか?」

「はい。良くしていただいている方が甘味を好んでいらして、木菓子ならここだと教えていただきました」

「左様でございましたか。差し支えなければ、その方のお名前を窺っても……?」


 はっきりと寒翁の名を出して迷惑をかけてはいけないと思い「墨月一族の方です」と曖昧に答える。


「墨月様のご紹介でしたか! それは、大変失礼いたしました」


 だが巫術師の名家の名の威力は絶大だった。恭しく頭を下げられたかと思ったら上がり框に座って待つように言われ、お茶まで出されそうになって、苦笑しながら固辞することになってしまった。しかも気付いたときにはおまけが付け足されて倍以上の荷物になっている。


「よろしければ、お住まいまでお届けに上がりましょう」


 愛想よく言う店員に、珠姫は諦めの境地で「お願いします」と頭を下げた。

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