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四季巡る竜の国の巫術師  作者: 瀬川月菜
第6章 死に損ないの真実
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幻夢 2


 うたた寝からの目覚めは、びったん、と薄く固いもので頭を叩く音と衝撃を伴っていた。


「職場で堂々と居眠りとは、いいご身分だな」


 墨月一族に当てがわれている巫術寮の庭を望む広庇には、初夏らしい心地よい風が吹いている。

 そこに座して目を閉じていた玄夜は、手にした竹簡を振って呆れ顔をする冬路を振り仰ぐと、にやりと笑って言った。


「ああ。これでも私は巫術師一族の当主なんだ」


「言ってろ」と言い捨ててどかりと隣に座る冬路に笑みを向けた玄夜だったが、未だにまとわりつく眠気に欠伸が込み上げて、口元を覆った手の中に大きく息を吐き出した。


(毎夜遅くまで読み物をしているとさすがに眠いな……)


 図らずも知ることになった、蘇芳旭の死にまつわる疑惑と蘇芳一族の暗事の可能性。

 巫術師としても護国に尽くす者としても見て見ぬふりができるはずはなく、玄夜はここ数日、様々な文献を当たって情報収集に努めていた。巫術や巫術師の歴史、蘇芳一族が関わった儀式の記録、家系図など目を通すべきものは膨大にあり、夜を徹する日々が続いている。


 そうして眠い目元を拭っていると、冬路がまじまじとこちらを見つめていた。


「どうした?」


 凝視していたくせに「あ、うん、いや」と冬路の態度ははっきりしない。当然逃がす気はなく、じっと視線を注いでいると、冬路は覚悟を決めたような面持ちになって玄夜に向き直った。


「なあ、玄夜。――結婚間近の恋人がいるって、本当か」


 玄夜は眉を跳ね上げた。

 からかっているのかと思ったが、いつも軽やかな冬路は真剣そのものの顔をしている。

 どこぞの姫か宮仕えの女房が都合のいいことを言いふらしているのか。過去の経験からいくつかの可能性を考えながら、玄夜も冬路に向き合って、言った。


「恋文を交わしている女性も、結婚を約束した人も、いない。そういった誘いはすべて断っている」

「……だよなあ!?」


 詰めていた息を吐き出すように大きく叫んだ冬路は、肩をどっと落とすと、問いに至った理由を話し始めた。


「お前に女がいるって噂になっててさ……仕事の見学を許すような相手なら間違いない、この前留守にしていたのは恋人と物詣に行ったんだ、もう結婚を言い交わした仲なんだ、なんて話で持ちきりなんだよ」

(ああ、珠……珠姫のことか)


 仕事の見学、というのは上巳の祓の準備日のことだろう。あの日の彼女は笠と薄垂れ衣で顔を隠した年頃の娘らしい格好をしており、玄夜も知り合いとだけ説明してあったが、誰一人としてその正体に思い至らなかったようだ。

 しかしこれまで女性からの誘いをことごとく断っていた玄夜が、知り合いとはいえ異性を、しかも重きを置いている巫術師の役目の最中に近付けたことは、周囲にとって予期せぬ出来事だったのだろう。いつにも増して大きな噂となり、冬路が問いただしてくるほどに広まったのだと考えられた。


「お前の単独行動はいつものことだから今回もそうだろうと思ってたんだけど、いつもと雰囲気が違う気がしてさ。噂に真実味があるっていうか。でも、椋人は何も知らないって言うし、珠にも話を聞こうとしたら明らかに動揺して、……ってなんだ、どうした!?」


 笑いを堪えて俯いた玄夜は、いや、と首を振った。


「珠は、なんて?」

「『違います、勘違いです』と言って、慌てて『私にはわかりません』と付け加えてたな。あとは『玄夜様に聞いてください』って、可哀想なくらい顔色がおかしくなってたぞ。あんないい子をあんまり困らせるなよな」


 当事者なのだから動揺もするだろう。思いがけない噂を聞かされて動揺し、衝動的に否定を口走って、はたと我に返って冷静になろうと努力する彼女の姿が目に浮かぶようだった。


 玄夜が出奔した珠を追ったことや蘇芳一族にまつわる疑惑については、まだ誰にも話していない。

 情報収集のために人を使ってはいるが、いまは蘇芳一族の動向の監視と宍雄が語った話の裏付けを取るのに留めている。


 珠もまた、何事もなかったかのように日常に戻った。多少の躊躇いはあったようだが、何も知らない邸の者や巫術師たちに囲まれて骨惜しみせず働いている。

 だが後ろめたさと責任感からか、これまで以上に雑務を抱え込んでいると報告を受けたため、今日は強制的に休暇を取らせていた。何もせずに過ごすことができないようなので、いまごろは街歩きでもしているかもしれない。


(この他愛ない噂で、少しは気が紛れているといい)


 ――少しでもこちらを意識してくれたら、と思うが、それはわがままだろう。


「当主殿」


 愚かな己を笑っていた玄夜を、寒翁が呼んだ。

 ゆったりとした足取りでやってきた寒翁は「取り込み中かね」と玄夜と並んで冬路を見る。玄夜が「いいえ」と首を振ると、料紙を綴じたものを手渡された。


「頼まれていた調べ物だ」


 玄夜は軽く目を見張って笑みを零した。


「ありがとうございます。……さすが、早いですね」


 受け取った冊子は分厚い。思わず口をついた感嘆に、寒翁はにやりとした。


「だてに長く巫術師をやっとらんよ」


 寒翁のような古参は、多数の妖祓いを経験しながら生き残っている巫術師だ。彼らにとって玄夜や冬路は一人前どころか半人前の小童だろう。

「だから頼んだんです」と言いながら冊子にざっと目を通し、己の人選が正しかったことを確信すると、関わりたくなさそうにしている冬路に有無を言わせずそれを押し付けた。


「……なんだ、これ? ええと『四竜(しりゅう)黄記(こうき)』『天願国(あまはらのくに)神統譜(しんとうふ)』……『巫術(ふじゅつ)外典(げてん)』『呪能伝(じゅのうでん)』『禍ツ日命(まがつひのみことの)世記(せいき)』……」


 冬路はみるみる顔を引き攣らせて、ついに黙り込んだ。


「……なあ、これ……しれっと禁書が混じってるんだけど……」

「ああ。巫術書やそれに類する資料から、死について明記された部分、特に巫術やその他禁術、呪法の代償になっているものを重点的にまとめてもらった」


 蘇芳一族で発生していたという、多数の不審死。


 何故傍流の者たちの命が続け様に奪われていたのか。それを突き止め、企みを暴いて阻止することが護国を使命とする玄夜の務めであり、後ろ盾になった珠にしてやれることだと思ったのだ。


 暗躍する者たちの目的は不明だが、やはりなんらかの巫術ないし禁術が関わっている可能性が高い。そう考えた玄夜は寒翁に協力を頼んだ。長く呪薬に携わってきた寒翁には禁書や呪術の知識があり、冬路が言うような禁じられた文献にも詳しく、内密に動くことにも慣れているからだ。


「……持っているだけで、墨月に謀反の疑いあり、とか言われてしょっ引かれるぞ……」

「察しが早くて助かる。持ち出しも口外禁止もだ」

「そもそもこんなものを作らせないでほしいんだけどな!?」


 触るのも嫌だ、恐ろしいと身震いして玄夜へ資料を押し付け返す冬路に、寒翁はやれやれと呆れ顔だ。


「ただの文書を恐ろしがって、情けないのう。真に恐るべきは過去にそれらを実行した者や試みた人間の方だろうに」


 ――遥か神代から最上級の奉仕とされる、人身御供。

 巫術師が神官や巫女だった時代から時は流れ、生贄を捧げる儀式は、皇族の執り行うごく一部の重要な国事を除いて禁じられるようになった。巫術が体系化され、人々の暮らしが少しずつ豊かになっていくにつれて、残虐だ、人道にもとると考えられるようになったからだ。


 しかし、命を捧げるのに見合った対価を得られることから、供犠はいまなお絶えることがない。


「だが、冬の坊の言うことも一理ある」


 それを玄夜以上によく知る寒翁は、皺に埋もれそうな目を鋭く尖らせた。


「何をしようとしているのかは知らんが、足元を掬われんようにせいぜい気を付けることだ」

「ご忠告、痛み入ります」


 穏やかに応じると、玄夜がそう従順な人間でないことを思い出したのだろう寒翁は「当主殿も困ったものだ」とぼやきながら去っていった。


「玄夜」


 控えめに諌める冬路に「わかってる」と返す。寒翁の警告はもっともなものだ。一族郎党が巻き込まれかねない状況を憂うのは、年長者なら当然のことだろう。


(そうなったら徹底的に巻き込んでやるさ)


 一族の若い巫術師が寒翁と入れ替わりでやってきたのは、玄夜が心の中でうっすらと笑ったときだった。


「ご当主様。お取り込み中のところ、失礼いたします」


 これを、と跪いて差し出されたのは漆塗りの文箱だ。

 開いてみると、青々とした桜葉の枝に結んだ薄紅色の料紙の文が入っている。どこからどう見ても差出人は女性、しかも私的なやり取りを思わせる手紙だ。

 文箱を持ってきた巫術師はそれが気になって仕方がないらしく、礼儀正しい姿勢を保ちながらちらちらと玄夜の様子を窺っている。例の恋人の噂を思い浮かべているのだろう。


 だから、文を手にしながら、とびきりの呆れ顔を作って言ってやった。


「先日顔を見たばかりだというのに、もう呼び出しか」


 決して甘い誘いなどではないのに、密かに息を飲んでそそくさと下がっていく巫術師は、この後周囲の者たちにあの噂は本当だったなどと吹聴して回るのだろう。


「おい、玄夜……」

「宮廷巫術師ならもう少し腹を読むことを覚えろと言っておいてくれ」


 巫術のようなすべを操るわけではないのに千年生きたような妖めいた人間や、同じ人とは思えない無慈悲で残酷な者たちが、宮中にはひしめいているのだ。玄夜の冗談を本気にして言いふらすようではそのうち骨までしゃぶられる。


「少し出てくる。後はいつものように」


 玄夜は枝から解いた文を懐に入れると、『危険物』の冊子を「封印して執務室に」と冬路に託す。


 私的な文なのも差出人と先日会ったばかりなのも本当のこと。

 文を読まずとも呼び出しだとわかるのは、玄夜宛の赤い料紙の結び文がその合図だと事前に取り決めたからだ。


(さすが、こちらも長く巫術師をやっているだけある)


 そしてさっそく報告事項があるという宍雄と落ち合うため、市中へと繰り出した。

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