罪と夜明けの記憶 9
「お前のせいだ!」
篝火を焚いて闇を払った楓屋敷に、怒声と打擲の音が響いた。
一族の巫術師たちによって旭とともに回収された珠姫を、緋左子がこれでもかと殴りつける。蒼白な顔を歪め、拳を震わせて、何度も、何度も何度も何度も。
「お前が、お前が殺したんだ! お前が!」
「……あ、旭……旭っ……あぁああ……!」
突っ伏して号泣する梅乃。茫然自失でへたり込んでいる丹造。
嘘だ嘘だと子どものように泣き喚く朱葉や、信じられないという顔で立ち尽くす楓屋敷の人々や巫術師たち。
「お前さえいなければ! お前のせいで、お前のせいでっ!」
泣きながら無茶苦茶に叩きつけられる手はいつの間にか割れて血が滲んでいる。痛みに構うこともできないほど緋左子の悲しみは深い。その光景を前にした誰もが同様の悲しみに暮れ、緋左子を止めることを思いつかないようだった。
「旭様は呪われたのよ!」
目と鼻を真っ赤にした朱葉が突然金切り声をあげて珠姫を指す。
「そいつに呪われたの、きっとそうよ! 旭様が羨ましくて妬ましくて、どうにかしてやりたいと思ったんだわ!」
「そんなこと思うもんか!!」とそれだけは絶対にあり得ないと異議を唱えた直後「黙れ!」と緋左子に蹴り飛ばされ、反論を封じられる。
蹴られ、踏みつけられる珠姫を皆が見ていた。同じ怨嗟と憎悪を抱く人々はまるで揃いの仮面を被っているかのようだ。
「不吉な女が産んだ、不吉な子。よりにもよって旭様を呪い殺すなんて!」
「呪ってな、っぐ!」
「生かしておいてやったのに、恩知らず。やっぱりあのとき殺しておけばよかった!」
珠姫を滅多打つ手足は、蘇芳一族の怒りと憎悪。
「お前が死ぬべきだったのに!」
鬼女の顔をした梅乃の叫びは、蘇芳一族の嘆きと怨嗟。
「お前のせいで旭は死んだ! お前さえ大人しく死んでいれば、旭は死なずに済んだ! 蘇芳の当主になって、巫術師の、この国の頂点に君臨できたのに! それを、お前が……!」
清く正しい強い心を持ち巫術師の才に恵まれた次期当主。
一族の繁栄と栄華を約束する希望の光。
その名の通り、世をあまねく照らす光のようだった蘇芳旭の死は、蘇芳一族を絶望の底へと叩き落としたのだ。
「次期当主を殺した『それ』を追い出せ!」
目を爛々とさせて丹造が吠えた。
一族の巫術師たちが一斉に動き出し、珠姫の髪や手足や着物を無造作に掴んで、ずた袋のように屋敷林の向こうへ放り投げる。
「蘇芳に二度と近付くな!」
丹造の憤怒は巫術による二匹の真っ赤な犬の姿になって、珠姫に牙を剥いた。犬たちは悲鳴を上げる珠姫の腕に噛みつき、牙を食い込ませて、獲物にするようにずるずると闇の中に引きずっていく。
腕に開いた穴と流れる血、石や枝が刺さり、硬い木にぶつかる痛みに珠姫が麻痺し始めた頃、唐突にそれが終わった。巫術の犬たちは消滅し、森の冷たい闇の中に珠姫一人が取り残される。
楓屋敷の外だった。
いつか、と夢見ていた自由は、旭の喪失と一族からの追放という形で叶えられたのだ。
(……痛い……)
珠姫は泣いた。痛い。身体も心も痛い。けれど旭はもう痛みを感じられない、楽しい、嬉しいと思うこともない。彼の死と引き換えに生き残ってしまった珠姫が痛みを覚えることは途方もない罪だった。
けれど、どうすればよかったのだろう。皆が言うように母が亡くなったときに死んでしまった方がよかったのか。暴力に身を任せて命尽きる日を待つべきだったのか。旭を忘れ、関係を断っておけば、きっとこんなことにはならなかったのだと思う。妖に襲われる珠姫を旭が助けることがなければ。
(…………)
違う、そうじゃない。
そんな『もし』『あのとき』の話は意味がない。
(私が……)
どうすればよかったのかなんてわかりきっている。
(私が、弱かった)
そう――きっと、ずっと前から、わかっていた。
旭に生きていてほしいのなら珠姫が守るべきだった。妖と戦える巫術師になって、旭と力を合わせることができれば、大怪我を負ったとしても二人とも生きていられた。
(私が、誰の助けも必要ないくらいに強くなるべきだったんだ)
――力が欲しい。
旭が当主になって正しいことを成そうと志したように。
肉親や血縁の庇護の必要はなく、理不尽な暴力に抵抗し、戦い、死ねばいいとほざく輩と関わらずに生きていける力が欲しい。
大切な人を傷付ける脅威を退けられる強さが、嘆くよりも怒りとともに戦える心が、力ない者に寄り添える優しさが欲しい。
「……[此の天願に仰ぎ奉る 掛けまくも畏き 四竜を拝み奉りて 恐み恐みも白さく]……」
渇望に似た切なる願いは、ごくごく自然に四竜への祈りになった。
いま自分にできること、精一杯の巫術で妖除けを施して歩き出す。殴られ蹴られた身体が痛み、牙が食い込んでいた腕はずきずきとして上手く動かないけれど、足が動くのだから問題ない。
(私は、巫術師になる)
それが、力を求め、強くなると決めた珠姫の選択だった。
巫術師になるには、師や指導者を得るか、独学で学ぶ必要がある。しかし珠姫には心当たりがあった。
(旭の、最初の巫術師の師匠)
幼くして稀有な才能を示した旭に、巫術師とは何かを説き、巫術の基礎を教えた人。
『師匠がいなければいまの僕はいない』とまで旭に言わしめたその人は、きっと丹造や緋左子とは真逆の人物だったのだろう。教育係の役目を解かれて旭から遠ざけられると、間を置かずに一族を出奔したと聞いた。いまはどこかで辻術師として人助けをしているらしい。
その人に教えを請う。才能がなかったとしても、限界まで鍛え上げて敵に一太刀浴びせられる刃になろう。
とりあえず身を休めようと風雨を防ぐ岩陰に座り込む。巫術が問題なく使えるだけの体力が必要だった。
まずは旭の元師匠のところへ辿り着かねばならない。
だが珠姫は外の世界に不案内だった。母と暮らしていたのは五歳まで、その後は楓屋敷で生活していた。過剰な量の仕事で行動を制限され、外出する機会も許しも得られずにきたため、近隣の村や集落がどこにあるのかも、蘇芳一族本家本邸のある皇都の所在もよくわかっていない。義母たちは珠姫を死ぬまで飼い殺すつもりだったのだとやっとこのとき気が付いた。
(もう二度とあの人たちのところには戻らない)
陽が昇ったら道を探す。明るくなれば周囲の様子が掴めるしおおよその方角もわかる。いまより容易く森を抜けることができる。決して楓屋敷には戻らない。
身体を抱えて、休め、と強く命じながら目を閉じた。
しかし、眠れるわけがない。目蓋の裏に旭との幸せな思い出が映る。彼の笑う顔が、楽しげな声が聞こえる。それらが一瞬にして妖の咆哮と鮮血に彩られる。彼を失う光景を何度も見る最悪な微睡みを繰り返した。
夢と現が曖昧になって、自分がいまどこにいるのかもわからなくなり始めた頃。
(……鳥の声が変わった)
季節や時刻の移り変わりは人よりも動植物や虫たちの方がよく知っている。夜に鳴く虫の声はそのままに、明るい鳥の鳴き声が混ざり始めた。珠姫の目には暗く映ろうととも少しずつ夜が明けようとしている。
――旭を失って、最初の朝だ。
けれど珠姫は動けなかった。燃え立つような決意の代わりに押し寄せた痛みと悲しみが立ち上がる力を奪っていく。
血塗れだった旭はちゃんと清めてもらえたのだろうか。葬儀は、墓はどうなるのだろう。きちんと弔うことができないまま追放されてしまった。けれど墓に参ることは叶わない。
(ちゃんと『ありがとう』って言いたかった)
瞳に涙が滲む。
(私、一人になっちゃった)
――そのときもたらされたものは、いったい誰の計らいだったのだろう。
膝を抱く珠姫を姫を一条の光が照らす。
枝葉の隙間を縫い、幹や岩に遮られることなく真っ直ぐに、強く鮮烈に打つその光の名は――。
「あさひ」
夢から覚めた心地で呟いた珠姫は、ぐいっと目元を拭い、勢いをつけて立ち上がった。
恐らく全身は痣だらけ、着物はずたずたで、腕の傷は未だ生々しく、息をするだけでどこかが痛む。
それでも行く。
足を止めることがあっても必ず前に進む。決して歩みは止めない。止めさせない。
――もう誰にも奪わせない。




