第九十四話 シズクからの秘匿通信
メクトとの戦争が事実上終結したという報せは、帝国全土へ一斉に伝えられた。
既にジソリアンを破り、“零五の奇跡”を成し遂げたトウガたちには、三日前に高級将官向けの軍事連絡で詳細が届いていた。
将官用と民衆向けの情報速度がほとんど変わらないという事実が、帝国軍部がどれほどこの吉報を待ちわびていたかを如実に示していた。
帝都セレニャールでは、新たな元帥府の活躍と、それを成し遂げたシズク女公・トウガ公、そして新たな英雄となったカイ侯を称える声が溢れていた。
トウガとカイは、それぞれの旗艦で束の間の休息を取りながら、首都星ニャニャーンへ向けて凱旋の航路を進んでいた。
トウガは端末を操作し、カイへ通信を開いた。
「カイ、シズクの活躍は知っているな?
民間放送においてもあれほど民衆を沸かせている。
お前が奇跡の英雄になったことも民衆を喜ばせたが……シズクもよくやる。
あのメクト相手に、ほとんど犠牲を出さずに完勝しやがった」
カイは頬を掻いた。
「はい、さすがシズク女公です。
俺の功績も霞みそうですね」
トウガは首を振った。
「いや、お前の零五の奇跡も捨てたものじゃない。
俺は若いころ、ハナ大将の“零七の奇跡”を知って胸が躍ったものだ。
お前がそれに並んで称されるだけでも感無量だよ」
「父上、おやめください。気恥ずかしい。
実際は父上の活躍無くして果たせなかったことです」
その時、トウガの端末が低く震えた。
シズクとの事前取り決めによって設定された“秘匿回線”が、突然接続されたのだ。
トウガは眉をひそめた。
「ん?……すまん、少し野暮用が出来た。通信を切るぞ」
「はい」
通信を切ると、トウガは胸騒ぎを覚えながら、何重にも施されたセキュリティを解除していく。
そして、現れた文面を見た瞬間、目を細めた。
『そのまま第2艦隊と第5艦隊はセレニャールへ帰港せよ。
ただし、“トウガ本人だけは隠密で”ここから二つ隣のニャーレントル星系の惑星ニャーレンに向かえ。
そしてストーニャン地区のホテルストーニャンを十五日後に訪れよ。
そこにいるケイトリン伯爵夫人を訪ねればすべてが分かる。
くれぐれも誰にも悟らせるな。お前は提督室にいるよう見せかけよ。』
この回線は、シズクとトウガしか使えない。
つまり――これはシズクからのメッセージに間違いないのだ。
だが、シズクがいるニャロンメラン星系は、ここから帝国領の反対側。
行き来するだけでも半年はかかる。
先日メクトを打ち破ったばかりのシズクが、十五日後にストーニャンへ現れるなど物理的にあり得ない。
ケイトリン伯爵夫人――
その者がシズクに代わって何か重大な情報を提供しようとしているのだろう。
おそらく、陛下に関わる情報だ。
そう考えるのが自然だった。
トウガはカイを呼び寄せ、直接会うことで、シズクからのメッセージを共有した。
そして、自分がこれより離脱することを伝え、第2艦隊の指揮と情報操作を任せた。
カイは力強く頷いた。
「任せてください、父上」
「おそらくこれは陛下に関わる情報だ。下手は打てん。
俺はこちらに集中する。お前にはここを任せる」
トウガは静かに席を立ち、小型艇を使って秘密裏に惑星ニャーレンへ向かう航路へと移った。
帝都への凱旋を目前にしながら――
トウガは、別の戦いへ向かっていた。
・ ・ ・
惑星ニャーレン。
ストーニャン区の中心街は、夕刻の柔らかな光に包まれていた。
観光客向けのホテルや商店が立ち並び、どこか牧歌的な空気が漂っていた。
その中に、ひときわ古風な外観を持つ建物があった。
《ホテル・ストーニャン》。
帝国の古い建築様式を残した、静かな高級宿だ。
トウガは一般平民の服装に身を包み、帽子を深くかぶってホテルの玄関をくぐった。
軍服の威圧感を完全に消し、ただの旅人として見えるように細心の注意を払っていた。
受付に名を告げる。
シズクからの秘匿通信に指定されていた偽名だ。
偽造身分証のデータも添付されていた。
「……ジャバリ=パジャヴィキーノと申します。
ケイトリン伯爵夫人にお取り次ぎを」
受付係は一瞬だけ目を細めたが、すぐに丁寧な笑みを浮かべて頷いた。
「承っております。伯爵夫人はお待ちです。」
案内された応接室は、落ち着いた色調の家具が並ぶ静かな空間だった。
窓からはストーニャン区の街並みが見える。
人々の往来は穏やかで、戦争の影などどこにもない。
ほどなくして、扉がノックされた。
入ってきたのは、淡い灰色のドレスをまとった女性――
ケイトリン伯爵夫人だった。
上品な仕草で一礼し、静かにトウガへ視線を向ける。
「……あなたが、ジャバリ=パジャヴィキーノ殿ですね。」
トウガは深く頷いた。
「はい。クォンニャワニョ公爵より指示を受け、参りました。」
これもシズクからの指示通りだ。
ケイトリンはその言葉を聞いた瞬間、わずかに目を伏せた。
その表情は読み取れない。
驚きでも、安堵でも、警戒でもない。
そして――彼女はゆっくりと手招きした。
「こちらへ」
短く告げるとトウガを廊下へ導く。
ホテルの廊下は静まり返っていた。
絨毯に吸い込まれる足音だけが響く。
ケイトリンは振り返らず、迷いのない足取りで奥へ進んでいく。
やがて、一つの客室の前で立ち止まった。
「どうぞ」
鍵を開け、扉を押し開ける。
トウガは一瞬だけ息を整え、その部屋へ足を踏み入れた。
何が待っているのか――
それはまだ、誰にも分からない。
ただ、この静かな客室の奥に、帝国の運命を左右する何かが潜んでいることだけは、本能が告げていた。
・ ・ ・
トウガは案内されるまま部屋に入るが、平静を装いつつも気を全方位に張り巡らせた。
部屋に怪しい点はないか、人は潜んでいないか。
ケイトリンの表情に変化はあるか。
「おかけください」
ケイトリンがソファを指した。
トウガは手をソファに這わせて違和感ないことを確認したあと、浅く座った。
すぐにでも立ちあがれるように、そしてケイトリンを押さえつけられるように。
「警戒を解いていただきたい」
それに気づいたかのようにケイトリンがトウガに告げる。
トウガは諦めて、深く座りなおした。
「トウガ・クリムゾン公」
静かにケイトリンが告げる。
その一瞬でトウガの筋肉に血が駆け巡った。
殺気を解放し、一気に飛び掛かった。
だが首元を掴もうとしたトウガの手は、まるで合気道かのようにケイトリンにいなされた。
それでも流れるようにトウガが回し蹴りを見舞った。
ケイトリンは焦らず、腕を交差して受け止めた。
力を受け止めきれずに後ろに吹き飛んだケイトリンは、宙返りしたあと両手両足で受け身を取り、すぐに立ちあがった。
「伯爵夫人の動きじゃねーな」
「落ち着いてください。トウガ公」
トウガの凄んだところで、ケイトリンは冷静な表情を崩さない。
まるでケイトリンはトウガが本気ではなかったとわかっていたかのようだった。
「私は敵ではありません」
「話を聞こう」
「まずお伝えしなければならないことがあります。
これは帝国内の高級将官でも、まだ知る者が限られる情報です」
「この俺が知らない情報か?」
「はい、これを知るのはラートリー元帥閣下、セリオン候。
そして私を含めて一部の女官のみです」
「シズクも……か?」
「はい、公式には伝えられておりませぬ」
(公式には……か。
非公式に情報を取得したシズクが、この女を使って俺にも伝えようとしている。
そういうことか)
「これは元帥令で内々に決定したことです。
再来月には発表されることでしょう。
すでに元帥閣下によって過半数を超える上級貴族の指示を取り付けたと聞きます。
貴族連合も合意しています」
「もう覆せない決定事項だと?」
「はい。
ウララ陛下がセリオン候とご成婚なさいます」
トウガの顔が怒りで震えると共に言葉を失った。
胸の奥で、何かが焼けるように軋んだ。
★★ライト層読者さんへの簡単説明コーナー★★
はーい!作者子ちゃんによる、簡単に説明するコーナー!
硬派な人はスルーしてくださいね。ちょっとやってて恥ずかしいので…。
第九十四話「シズクからの秘匿通信」、今回は衝撃の事実が明かされました!
凱旋を目前にしてトウガさんがこっそり単独行動するのが緊張感ありましたね。「ジャバリ=パジャヴィキーノ」って偽名、シズクさんがわざわざ用意してるのが細かいです!
絶対に被らなさそうなヘンテコな名前ですね。
トウガさんもよく覚えていたと思います(笑)
ケイトリン伯爵夫人に「正体を知ってる」と言われた瞬間にトウガさんが即座に飛び掛かるの、さすがの反射神経です!
「伯爵夫人の動きじゃねーな」って、受け止めた後に言えるトウガさんも流石ですが、宙返りして受け身を取るケイトリンさんも只者じゃないですね。
そして最後の衝撃。
「ウララ陛下がセリオン候とご成婚なさいます」って……。
ラートリーさんが72話で話してた計画が、もうここまで進んでいたんですね!
しかも「覆せない決定事項」として、上級貴族も貴族連合も合意済みとは、本当に手が早いです。
「胸の奥で、何かが焼けるように軋んだ」って、トウガさんのウララ陛下への忠誠心と、この状況への無力感が伝わってきて、本当に辛いです…。
次回も、絶対見逃せませんよ~!




