第百四話 忠臣への引導
帝都セレニャール。
帝国軍第5艦隊本部。
その日、カイ・クリムゾン大将の執務室に、内務大臣シズク・アジュール女公が訪れていた。
シズクの隣には、一人の女性将官リーナ・シェルバが立っている。
白を基調としたシンプルな軍服に、中将の階級章。
長い水色の髪はうなじの辺りで一本にまとめられ、眼鏡をかけたその姿は、普段よりも大人びた印象を与えていた。
カイはリーナを見た瞬間、思わず目を奪われた。
「…………」
「カイ大将?」
シズクに呼ばれ、カイは我に返った。
「あ、ああ。失礼しました」
「どうした?」
「いえ……。随分とイレーネとは印象が違うもので」
カイは改めてリーナを見た。
事前にシズクと父トウガから話は聞いている。
新たに第5艦隊の参謀長として着任するリーナ中将。
その正体が、謹慎中のイレーネ大将であることも承知していた。
だが、実際に目の前に立たれると、いつものイレーネとは随分と違って見える。
髪型も化粧も変わっている。
自由なデザインが許される大将用軍服とは異なり、規定の軍服だ。
普段の気の抜けたような雰囲気まで薄れ、落ち着いた美しい女性将官に見えた。
「……本当にイレーネなのか?」
女性はにっこり笑った。
「はいぃ。お久しぶりですぅ、カイさん」
その声を聞いて、カイはようやく納得した。
いつもの間抜けた言い方に少し噴き出す。
「……やっぱりイレーネだな」
「ひどいですぅ」
シズクが呆れたように口を開いた。
「イレーネ。その喋り方だと変装にならんぞ?」
「申し訳ありません~。
どうすればよいかは、一応ちゃんと考えますぅ」
「……もういい」
シズクはカイへ向き直った。
「紹介する。リーナ・シェルバ中将だ。
本日付で第5艦隊の参謀長に任命した」
「承知しております」
「軍歴、身分証明、過去の配属記録は全て用意してある。
軍務省にも正式に登録済みだ。
表向きは地方艦隊から抜擢された中将ということになっている」
「随分と手の込んだことをなさいますね」
「イレーネ大将は現在も謹慎中だ。
だが、このまま遊ばせておくには惜しい」
シズクはイレーネを一瞥した。
「それに、今の第5艦隊にとっても、損はあるまい」
「ありがたいお話です」
カイは素直に頭を下げた。
イレーネの能力はシズク以外の誰よりも知っている。
かつて対峙したことも、共闘したこともある。
カイが知る最高の頭脳の一人だ。
ただし、一つだけ問題がある。
「イレーネ、“一応”ではない。
対策は必須だ。
すぐにその言葉遣いを直せ」
「はいぃ?」
「お前の喋り方は特徴的すぎる。
折角の苦労が水の泡だ」
「そうですかぁ?」
「だから、その喋り方だ!」
「う~ん、困りましたねぇ」
イレーネは少し考えた。
そして、何かを思いついたように笑った。
「じゃあ、これからは喋りませんよぉ」
「……参謀長が喋らなくてどうする?」
「大丈夫ですぅ。
カイさんと内緒話しますぅ」
「内緒話?」
イレーネはカイの横へ回り込んだ。
そして、顔を耳元へ近づける。
「こんな感じですぅ」
「うわっ!?」
カイは思わず身を引いた。
「お、おい! 近い! 息がかかる!」
「でもぉ、これなら他の人には聞こえませんよねぇ?」
「いや、不自然だろうが!?」
「そうですかぁ?」
「だから耳元で囁くな!」
シズクは二人のやり取りを眺めていた。
「……お前たち、遊んでいる場合ではないぞ」
「申し訳ありません!」
「すみませんですぅ」
カイは姿勢を正した。
イレーネも何事もなかったように、カイの隣へ戻った。
シズクは二人を見比べたあと、話を切り替えた。
「さて、本題に入る」
・ ・ ・
シズクは執務室の中央にある戦術表示装置を起動した。
帝国辺境の星系図が浮かび上がる。
「カイ。
近いうちに、軍務省から第5艦隊へ出撃命令が下る」
「父上からですか?」
「ああ。リュシェール伯爵家の討伐だ」
カイの表情が変わった。
「……リュシェール伯爵家?」
「知っているな?」
「もちろんです。
かつてアジュール家に忠誠を誓った貴族でしょう」
リュシェール伯爵家は、帝国辺境に領地を持つ古参の貴族だった。
当主のリュシェール伯爵は、派手な軍功こそないものの、領地経営に優れた堅実な人物として知られている。
かつてアジュール家が有力貴族として勢力を広げていた頃から、その陣営に属していた。
シズクへの忠誠も厚かった。
だが、ラートリーが帝国の実権を掌握してからは、旧アジュール派の貴族たちに対する締め付けが強まっていた。
リュシェール家も例外ではない。
交易上の不利益を受け、領地の利権を奪われ、中央政府からも圧力を掛けられていた。
そして今回、隣接するゲラルド伯爵家との紛争が発生した。
ゲラルド伯爵はセリオン派の貴族である。
以前からリュシェール家との間で領有権を巡る争いが続いていたが、最近になって対立が激化していた。
ついには双方が私兵を動員し、武力衝突へ発展したのである。
中央政府は停戦を命じ、帝国軍も介入したが、戦闘は収まらなかった。
「しかし、シズク女公」
カイは困惑した。
「私の知る限り、リュシェール伯爵は堅実な人物です。
軽々しく反乱など起こす男ではありません」
「分かっている」
「今回の件も、ゲラルド伯爵家が仕掛けた紛争だと聞いております」
「それも承知している」
「ならば、なぜリュシェール家だけが討伐されるのですか?」
シズクは星系図を操作した。
リュシェール伯爵領が赤く表示される。
「セリオンの仕業だ」
「……皇配殿下の?」
「ああ。ゲラルド家を使ってリュシェール家を追い詰め、武力衝突を引き起こした。
かねてより、セリオンは自らの権限と影響力を使って準備していたのだ。
リュシェール家の悪事とされる証拠を、あることないことかき集めている。
リュシェール家だけを反逆者として処分できるほどにな」
「そんな馬鹿な!」
カイは思わず声を荒らげた。
「双方が私兵を動かしているのでしょう!?
それなのに片方だけが反逆者になるなど!」
「セリオンは既に手を打っている」
シズクは別の資料を表示した。
「リュシェール家の違法な私兵動員、中央政府からの停戦命令への不服従、帝国軍への抵抗。
これらの罪状については、すでに証拠を揃え、法的根拠も固めた上で、正式な手続きを進めている」
「ですが、それは……」
「ゲラルド家が先に仕掛けたことだとしても、リュシェール家が武力で応じた事実は消せん。
どれほど不公平な裁きであろうと、法に従った手続きである以上、覆すのは容易ではない」
カイは唇を噛んだ。
「……法を使った悪質な言いがかりではありませんか」
「そうだ。だが、完全に詰められている」
シズクは淡々と答えた。
「リュシェール家を救うことは、もうできん」
「…………」
「このままでは討伐命令が発令される。
そして第5艦隊が、その任務を負うことになる」
カイはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……シズク女公。
本当に私が討伐してよろしいのですか?」
「構わん」
「しかし、リュシェール伯爵はあなたに忠誠を誓った人物です。
それは今もなお……です」
「知っている」
「その人物を、私の手で討てと?」
「ああ」
シズクはカイを見据えた。
「救国の英雄たるお前の手で、引導を渡してやれ」
「しかし!」
カイは思わず身を乗り出した。
「リュシェール伯爵は、決して帝国を裏切るような男ではありません!
それを反逆者として討伐するなど、あまりにも……!」
そこまで言いかけて、カイは口を閉じた。
シズクの表情に気づいたからだ。
普段のシズクは、滅多なことでは感情を表に出さない。
どれほど不愉快な報告を受けても、まず状況を分析し、最も合理的な判断を下す。
ところが今、シズクは拳を握りしめていた。
その指先に力が入り、関節が白くなっている。
「……シズク女公?」
シズクは答えなかった。
しばらくして、低い声で言った。
「……私とて、好きでリュシェールを見捨てるわけではない」
「…………」
「あの男は長年、アジュール家に尽くしてくれた。
私が苦しい時にも、忠誠を曲げなかった」
シズクは目を伏せた。
「堅実で、領民のことをよく考える男だった。
あのような者が反逆者として討たれることになるとはな」
カイは何も言えなかった。
シズク自身が、誰よりもリュシェール伯爵を救いたいと思っている。
それができないことに、シズクは怒っているのだ。
やがてシズクは顔を上げた。
「カイ。リュシェール伯は救えん」
「……はい」
「だが、きっかけとなったゲラルド伯爵には、命と領地で償ってもらう。
せめて仇を討ってやる」
カイは目を見開いた。
★★ライト層読者さんへの簡単説明コーナー★★
はーい!作者子ちゃんによる、簡単に説明するコーナー!
硬派な人はスルーしてくださいね。ちょっとやってて恥ずかしいので…。
まずはイレーネさん!
リーナ中将に変装して、すっかり大人の美女になっちゃいました!
カイ君も思わず見惚れちゃってますね!
……でも喋ったらいつものイレーネさんでした(笑)。
さて、後半は一転して重いお話です。
セリオン君、とうとうシズクさんの忠臣にまで手を出してきました!
しかも法律を使って、合法的に追い詰めるという嫌らしいやり方です。
あれ? これって昔のシズクさんの得意技じゃありませんでしたっけ?
まさか自分がやられる側になるとは!
そしてシズクさん。
長年尽くしてくれた忠臣を救えない。
でも、だからといって泣き寝入りするような人ではありません!
「命と領地で償ってもらう」
ひえぇぇ! 怖い!
シズクさん、完全に怒ってます!
でも、合法的に守られたゲラルド伯爵をどうやって討つつもりなんでしょう?
しかも、その役目を担うのはカイ君とイレーネさん?
何だか、とんでもないことが起こりそうですね!
次回もお楽しみに!




