第百一話 父上のお考え
第一皇女スズの誕生から一週間後――
セリオンは元帥府を訪れていた。
皇配となってから三年。
以前は父の執務室を訪れることなど珍しくもなかったが、今ではセリオンは皇宮、ラートリーは元帥府と、それぞれ別の場所に居を構える立場となっている。
セリオンが執務室へ入ると、ラートリーはいつものように大量の書類に目を通していた。
「父上、お時間をいただきありがとうございます」
「ああ。座れ」
ラートリーは書類から目を離すことなく答えた。
セリオンは父の向かいに腰を下ろした。
今日はスズの顔を見に来たわけでも、娘の養育について相談しに来たわけでもない。
三年前から進めてきた計画について、確認したいことがあった。
「父上。スズも無事に生まれました。
そろそろ次の段階へ進んでもよろしいのではありませんか?」
ラートリーの手が止まった。
「次の段階とは何だ?」
セリオンは一瞬、質問の意味が分からなかった。
三年前から父と共に進めてきた計画である。
改めて説明する必要などないと思っていた。
「もちろん、ヴァーダント朝神聖帝国の樹立です」
ラートリーは何も答えなかった。
「既に三年が経ちました。
陛下と私の婚姻も帝国臣民に受け入れられています。
そして今回、スズも生まれました」
ニャーリ朝の血とヴァーダントの血を受け継ぐ皇女まで誕生した。
元帥府は帝国軍の大半を掌握している。
官僚機構にもラートリー派が入り込み、内務省と軍務省の中枢にまで元帥府の影響力は及んでいた。
三年前とは状況が違う。
もはやウララに禅譲を迫ったとしても、対抗できる勢力などほとんど残されていない。
「陛下に禅譲していただき、私が皇帝となる。
今なら大きな混乱もなく実現できるはずです」
「余計なことをするな」
セリオンは眉を寄せた。
「余計……なことですか?」
「ああ」
「しかし、父上。
歴史は繰り返すと申します。
もはやニャーリ家は、天より見放されております。
天意を得た新たな皇統が立つのは必然であると、歴史が証明しておりますよ」
「お前は本当に我がヴァーダント家が、天意を得たと思っているのか?」
ラートリーはそれだけ答えると、再び書類へ視線を落とした。
セリオンには、父の態度が理解できなかった。
かつてはラートリー自身が、ヴァーダント朝の樹立を進めていたはずだった。
そのために自分をウララと婚姻させた。
そのために元帥府の力を強めてきた。
ところが、実現できる状況が整った今になって、なぜか父は急ごうとしない。
「何か問題があるのでしょうか?」
「問題があるから待てと言っているのではない。
天意を得ぬまま、動く必要はないと言っている」
「ですが――」
「セリオン」
低い声で名を呼ばれ、セリオンは口を閉じた。
「王朝を変えるということが、どれほど大きな意味を持つのか理解しているのか?」
「もちろんです」
「ふん、お前は分かっておらぬ」
それ以上、ラートリーは説明しなかった。
セリオンは不満を覚えたが、すぐに自分を納得させた。
父は昔から慎重な男だった。
赤と青を争わせ、双方が疲弊するまで待った。
皇帝ウララを離宮へ移した時も、表向きはあくまで保護という形を崩さなかった。
三年をかけて官僚機構を掌握したのも、力任せに帝国を奪えば反発を招くことを理解していたからだ。
(そうだ。父上は慎重になっているだけだ)
王朝を一つ終わらせ、新たな王朝を作るのだ。
三年を長いと感じる自分の方が、焦っているのかもしれない。
セリオンはそう考え、次の話へ移った。
「では父上。せめて皇配の権限を、もう少し強めていただけませんか?」
ラートリーが再び顔を上げた。
「何のためだ?」
「何のため……?」
今度はセリオンも面食らった。
「私は皇配です。陛下の夫であり、第一皇女の父でもあります。それにもかかわらず、現在の私にはあまりにも権限がありません」
皇宮内の人事ですら、自由には動かせない。
スズの養育について意見を出しても、最終的には元帥府の承認を求められる。
皇室財政についても、関与できる範囲は限られている。
国政について意見を述べることはできても、大臣たちへ直接命令する権限はない。
皇配という地位は高い。
しかし、実際に行使できる権力は、セリオンが期待していたものとは大きく違っていた。
「皇宮人事と皇室財政。
それに陛下の代理として、政務の一部を決裁する権限をいただきたいのです」
「必要ない」
あまりにも早い返答だった。
「……父上?」
「お前は皇配だ。皇帝ではない」
セリオンの表情が強張った。
「それは分かっております。だからこそ、皇配として――」
「今のお前に与えている権限で十分だ」
「しかし!」
「この話は終わりだ」
セリオンは言葉を失った。
父の目を見つめる。
どうやら、冗談でも駆け引きでもないらしい。
(まさか……父上は私を警戒しているのか?)
一瞬、そんな考えが浮かんだ。
だが、すぐに打ち消した。
自分はラートリーの実の息子だ。
ヴァーダント家の後継者でもある。
父が自分に権力を持たせることを警戒する理由などない。
(いや……違うな)
今の帝国には、まだシズクとトウガがいる。
自分の権限を急激に強めれば、二人を刺激することになる。
ウララから実権を奪っていると批判される可能性もある。
父はそれを警戒しているのだろう。
そう考えれば辻褄は合う。
「……分かりました。父上のお考えに従います」
「ああ」
ラートリーは短く答えた。
だが、そこでセリオンには別の疑問が浮かんだ。
シズクとトウガ。
考えてみれば、二人の存在こそが問題なのではないか。
「父上」
「まだ何かあるのか?」
「シズク・アジュールとトウガ・クリムゾンについてです」
今度はラートリーが書類を置いた。
「二人がどうした?」
「そろそろ排除してはいかがでしょう?」
ラートリーの表情は変わらなかった。
セリオンは続けた。
「シズクは内務大臣、トウガは軍務大臣。
確かに副大臣以下には我々の息がかかった者を配置し、二人の実権を削ぐことには成功しています」
それでも二人は強大だった。
アジュール家とクリムゾン家という名門を率い、それぞれ巨大な艦隊を持っている。
何より、ジソリアン防衛戦とメクト戦役を勝利に導いた英雄として、軍からの支持も国民からの人気も高い。
そして二人がラートリーを快く思っていないことなど、誰の目にも明らかだった。
「百害あって一利なしではありませんか?」
ラートリーは黙って聞いていた。
「今なら排除できます。
適当な罪を作ってもいい。大臣職から罷免して領地へ戻し、力を削いでもいいでしょう。
事故に見せかけて始末することも――」
「ならん」
セリオンの言葉が止まった。
「……何故です?」
「二人には手を出すな」
「ですが、父上。あの二人は我々に忠誠を誓っておりません」
「当然だ。奴らが忠誠を誓っているのは皇帝だ」
「だから危険なのではありませんか!」
セリオンは思わず声を荒らげた。
「陛下を旗印にすれば、いつでも我々に対抗できます。
二人を残しておく理由などありません」
ラートリーはしばらく息子を見つめていた。
「お前には分からん」
「では、お教えください」
「必要ない」
セリオンは父の顔を凝視した。
新王朝を急がない理由は理解できる。
父は慎重なのだ。
自分の権限を強めない理由も、理解できなくはない。
赤と青を刺激せず、帝国の安定を保つためなのだろう。
だが――
その赤と青を、なぜ排除しない?
二人がいるから自分に権限を与えられないのであれば、二人を排除すればいい。
それにもかかわらず、父は明確に禁じた。
「……承知しました」
セリオンは立ち上がった。
「失礼いたします、父上」
「ああ」
執務室を出ても、疑問は消えなかった。
新王朝については、今は動くなと言われた。
皇配の権限強化も、認められなかった。
そして、シズクとトウガの排除まで禁じられた。
最初の二つには、まだ理由を考えることができた。
だが、最後の一つだけは――
どう考えても答えが出ない。
セリオンは廊下を歩きながら、もう一度考えた。
シズクとトウガを生かしておくことで、父に何の利益がある?
答えは見つからなかった。
ただ一つ、これまで抱いたことのなかった疑問だけが残った。
(父上は……いったい何を考えている?)
★★ライト層読者さんへの簡単説明コーナー★★
はーい!作者子ちゃんによる、簡単に説明するコーナー!
硬派な人はスルーしてくださいね。ちょっとやってて恥ずかしいので…。
第百一話「父上のお考え」、今回はセリオンくんがラートリーさんの深意に気づき始める回でした!
ラートリーさんは「ヴァーダント朝」を本当に欲しがっているのでしょうか?
ここが第百一話最大のポイントだと思います。
第七十三話で語られたラートリーさんの本当の願望を踏まえると、彼が欲しかったのは単純な
「ニャーリ朝を滅ぼしてヴァーダント家が皇帝になる」
ではなかったはずです。
彼が欲しかったのは、
「ココの血と自分の血を一つにして、その子孫を銀河統一帝にする」
だった。
この二つ、似ているようで全然違います。
だからスズちゃんが生まれた現在、ラートリーさんにとってヴァーダント朝を作る必要そのものが薄くなっているんですよねー。
スズちゃんはニャーリ朝の正統な第一皇女でありながら、同時にラートリーの孫です。
だったら王朝交替なんていう巨大な政治リスクを冒す必要がない。
ニャーリ朝のままスズちゃんを皇帝にすればいい。
しかもその方が圧倒的に正統性が強いです。
ラートリーさんにとって、天意を持っているのはニャーリ朝。
そして、そのニャーリ朝に自分の血を入れることにはもう成功した。
ならば簒奪する理由がない。
むしろ簒奪したら、自分でスズちゃんの正統性(つまりココさんの血統)を壊すことになる。
ここ、かなり面白いですね!
「父上はいったい何を考えている?」という疑問でセリオンくんが締めくくるのが、この章の「崩れゆく均衡」という副題を予感させます。
父と息子の間に初めて生まれた「理解できない」という亀裂、これが後々どう広がるのか…。
スズちゃんの誕生を機に、ラートリーさんの「計画」とセリオンくんの「野心」が微妙にずれ始めている予感がして、めちゃくちゃ目が離せません!
次回も、絶対見逃せませんよ~!




