第百話 三年後
――三年後。
神聖帝国を取り巻く情勢は、大きく変わっていた。
かつて内乱によって分裂しかけた帝国は、表面上は完全に平穏を取り戻していた。
元帥ラートリーを頂点とする元帥府は、軍だけでなく官僚機構にも強い影響力を持つようになり、帝国の中枢を完全に掌握しつつあった。
一方、救国の英雄として帰還した赤と青も、その功績に見合う地位を与えられていた。
シズク・アジュール女公――内務大臣。
トウガ・クリムゾン公――軍務大臣。
帝国の内政と軍事を、それぞれ二人の英雄が担っている。
肩書きだけを見れば、ラートリーに対抗できるほどの権勢を得たようにも見えた。
だが、実態は違った。
内務副大臣も、軍務副大臣もラートリー派。
その下に並ぶ高級官僚にも元帥府へ忠誠を誓う者が増え続けていた。
シズクとトウガは大臣として強い権限を持つ。
しかし、二人が何かを命じれば、その情報はすぐに元帥府へ流れる。
人事を動かそうとすれば抵抗される。
新たな人材を登用しても、元帥府からより良い地位を提示されれば、そちらへ靡く者も少なくなかった。
三年前、シズクは言った。
――ラートリーの均衡は、必ず崩す。
だが三年を経ても、その均衡は崩れていなかった。
むしろ元帥府の根は、帝国のさらに深いところまで伸びていた。
・ ・ ・
そんな帝国に、久しぶりの明るい知らせが駆け巡った。
『――帝国臣民の皆様へ、皇室より慶事をお知らせいたします』
帝国全星系へ向けて、皇室公式放送が始まった。
『神聖帝国女帝ウララ陛下が、無事に第一皇女をご出産あそばされました』
その知らせに、帝国全土が沸き立った。
先帝ココからウララへ。
そしてウララから、新たな皇女へ。
ニャーリ朝の血脈が、次の世代へとつながった。
皇女の名は――スズ。
まだ小さな赤子だった。
だが、公開された映像を見た者たちの間では、すぐにある話題が広まった。
――先帝ココ陛下に似ている。
顔立ちはセリオンにも少し似ている。
だが、どこか面影がある。
もちろん、生まれたばかりで、顔立ちもまだ定まってはいない。
それでも先帝を知る者たちは、そこにココの姿を重ねた。
そして――
誰よりも、その面影を見つけた者がいた。
・ ・ ・
皇宮。
ラートリーは、侍女に抱かれたスズを無言で見つめていた。
普段の彼を知る者であれば、その表情を見て驚いただろう。
いつもの冷徹な元帥の顔ではなかった。
「……似ている」
ラートリーが呟いた。
侍女が首を傾げる。
「元帥閣下?」
「いや、何でもない」
ラートリーはスズへ指を伸ばした。
小さな手が、その指を握る。
ラートリーの口元が緩んだ。
「スズ……か」
その名を確かめるように呼んだ。
セリオンを通じて受け継がれた自分の血。
そして――ココの血。
何十年もの歳月をかけたラートリーの望みが、今その小さな身体の中で一つになっていた。
「健やかに育て」
ラートリーは小さく笑った。
「お前には、いずれ大きな役目を果たしてもらわねばならん」
その様子を、少し離れた場所からセリオンが見ていた。
「父上も随分と甘い顔をなさるのですね」
「そう見えるか?」
「ええ。私には一度も見せたことのない顔です」
ラートリーは鼻で笑った。
「お前と赤子を同じように扱ってどうする」
セリオンもスズへ目を向けた。
父とは全く違う目でスズを見ていた。
ニャーリ朝の正統なる皇女。
そして自分の娘。
この子が存在する限り、自分は皇統と切り離されることはない。
「……素晴らしいことです」
セリオンが微笑んだ。
「これでヴァーダントの血は、永遠に皇統の中に残る」
ラートリーの目が、わずかに細くなった。
「セリオン」
「はい?」
「余計なことは考えるな」
セリオンは父へ笑顔を向けた。
「もちろんでございます、父上」
二人はしばらく見つめ合った。
やがてセリオンの方から視線を外した。
・ ・ ・
その頃――
別室では、ウララが一人、寝台の上にいた。
出産を終えたばかりの身体は、まだ満足に動かない。
それでもウララは上体を起こそうとしていた。
「スズは……?」
返事はなかった。
「わたくしの娘は、どこにいるのですか?」
傍らに控える侍女が、ようやく口を開いた。
「皇女殿下は、元帥閣下がお預かりになりました」
ウララの動きが止まった。
「……どういうことですか?」
「次代の皇帝となられる御方にございます。
最高の環境で御養育されるべきとの御判断です」
「わたくしが母親です」
「陛下には、御身体をお休めいただくようにと」
「スズを……返してください」
侍女は頭を下げた。
「私どもには、その権限がございません」
ウララは何も言わなくなった。
三年前。
離宮でシズクとトウガに会った。
二人は約束してくれた。
自分を物のようには扱わせない。
必ず自分の後ろ盾になると。
だから耐えた。
望まぬ婚儀も受け入れた。
セリオンとの生活にも耐えた。
いつか状況が変わると信じた。
そしてようやく――
自分にも、守りたいものができた。
生まれたばかりの娘。
その小さな身体を抱いた時間は、あまりにも短かった。
「……そうですか」
ウララはそれだけ答えた。
再び寝台へ身体を沈める。
涙は出なかった。
天井を見つめる瞳から、少しずつ力が消えていった。
・ ・ ・
だが、帝国臣民が目にしたものは、全く違っていた。
皇室公式放送には、ラートリーがスズを抱く姿が映し出された。
その隣にはセリオン。
そして別の日に撮影された、穏やかに微笑むウララの映像。
『新たなる皇女殿下のご誕生により、帝国皇室はさらなる安寧の時を迎えました』
『元帥ラートリー閣下も皇女殿下を大変可愛がっておられ、皇室と元帥府の結束はかつてないほど強固なものとなっております』
国民は歓喜した。
先帝ココの血を継ぐ新たな皇女。
帝国を救ったラートリー元帥。
そして平和を取り戻した神聖帝国。
誰もが、新しい時代の始まりを祝った。
その映像は、軍務省にも流れていた。
トウガは執務室のモニタに映るスズを見て、大きく息を吐いた。
「……そうか。御子がお生まれになったか」
その顔には、久しく見せていなかった笑みがあった。
「おめでとうございます、陛下」
望まぬ婚儀であったことは知っている。
ウララが今も自由ではないことも知っている。
それでも――
ココの血は絶えなかった。
そして何より、ウララに娘ができた。
それだけは素直に喜びたかった。
「スズ殿下か……。
きっと陛下に似て、立派な御方になられるだろう」
トウガはそう信じた。
映像の向こうで、ラートリーがスズを抱いて笑っている。
その光景に多少の苛立ちは覚えたが、それでも皇女が大切にされていることには安心した。
トウガは知らなかった。
その映像が撮影されている頃――
ウララが、娘を返してほしいと願っていたことを。
そして、その願いすら聞き入れられなかったことを。
・ ・ ・
内務省。
同じ映像を見ていたシズクは、無言でモニタを切った。
机の上には、すでに一枚の報告書が置かれていた。
――第一皇女スズ、出産直後に母帝より引き離される。
――養育は元帥府の管理下。
シズクは報告書を閉じた。
「……ラートリー」
怒声を上げることはなかった。
今動いても勝てない。
それだけは、三年前よりもよく分かっていた。
シズクは椅子に深く座り直すと、次の報告書へ手を伸ばした。
「まだだ」
小さく呟く。
「まだ動く時ではない」
その頃、皇宮ではウララが一人、誰もいない部屋で横たわっていた。
帝国中が娘の誕生を祝っている。
その歓声だけが、遠く窓の外から聞こえていた。
だが、その母親の腕の中に――
スズはいなかった。
★★ライト層読者さんへの簡単説明コーナー★★
はーい!作者子ちゃんによる、簡単に説明するコーナー!
硬派な人はスルーしてくださいね。ちょっとやってて恥ずかしいので…。
第百話「三年後」、記念すべき百話にふさわしい、重くて深い回でした!
三年後も不穏ですね。
シズクさんとトウガさんが大臣として権力を持っているように見えて、実態は副大臣も官僚もラートリー派に固められているとか、じわじわと首を絞められていく感じが恐ろしいです。
ラートリーさんがスズちゃんを見て「……似ている」と呟いて口元を緩めるシーン、この作品でラートリーさんが一番人間らしく見えた瞬間でした。
何十年もかけた偏愛がここに結実したんですね…。
でも同時に、セリオンくんの「ヴァーダントの血は永遠に皇統に残る」という言葉に「余計なことは考えるな」と釘を刺すラートリーさんの眼差しが怖かったです。
一番辛かったのはウララ陛下の場面です。
「わたくしが母親です」「スズを返してください」って、どれだけ強く言っても「私どもには権限がございません」と返されるだけ。三年間耐えて、ようやくできた守りたいものを、すぐに奪われてしまうとは…。
「涙は出なかった」「天井を見つめる瞳から、少しずつ力が消えていった」が本当に辛いです。
国民もトウガさんも騙されているのが皮肉ですねー。
そして最後のシズクさんの「まだだ。まだ動く時ではない」、じっと耐えながら機を待つ姿に、次章への期待と緊張が高まります!
次回も、絶対見逃せませんよ~!




