【人事異動】
日本では8月に呉と横須賀のドックで改修工事をおこなっていた加賀と赤城が相次いでドックから出て第一航空戦隊に復帰した。
開いたドックには大鳳型空母2隻の建造が始まる。
呉では同じころに、やまと型10万トン級タンカーの2番艦「むさし」が完成しアメリカ航路に就いた。
9月には海軍の人事異動があり、その内容が事前に大本営に届けられた。
「へえ~っ! 永野さん、思い切ったことするわね」
海軍の人事異動に関する回覧を持ってきた薫さんが、素っ頓狂な声を上げて私の所に持ってきた。
その内容を見た私も、薫さん同様に驚いた。(それでも私は素っ頓狂な声は挙げなかったけれど……)
回覧に書かれていたのはPPSA(環太平洋安全保障協定)に基づく人事で、現在駐ハワイ部長を務めている山口多聞少将が中将に昇進して空母「飛竜」と共に日本に戻り第二航空戦隊の司令に復帰する。
そして私たちが驚いたのは山口中将の代わりにハワイ部長を務める人物の名前。
紙面に書かれていた名前は、南雲中将。
前史での真珠湾攻撃の責任者がその攻撃をした真珠湾の日本海軍駐在部長を務めるのは、前史を知らない永野総長の単なる偶然の人事に過ぎないが、この偶然に私たちは感慨深いものを感じた。
さらに驚いたのは海軍次官の井上中将がサンフランシスコにあるPPSA本部の日本側長官職に就任することだった。
あの優秀な井上さんなら何の問題もないし、最適な人事でなにも驚くことはない人事ではあるが、この人事で驚いたのは海軍が能力主義に舵を切ったことを表しているということだった。
PPSA日本長官に就任する井上中将は、1889年12月生まれで海軍兵学校は37期入校。
PPSAハワイ駐在部長に就任する南雲中将は、1987年3月生まれで海軍兵学校は36期入校。
今までの海軍の人事であれば、この序列は逆になっているはずだったから。
「おーい、こっちにも人事関係の書類が回って来たぞ」
海軍の人事に関する回覧を見ていた私たちの所に、上司である草鹿中将がやって来た。
「ちょうどいい、二人ともこの人事に依存がなければ印鑑を押してくれ」
草鹿さんは、はい「柏原君はこっち、結城君はこっち」と、まるで丁寧に私たちの前に書類をおいてくれた。
人事関係の書類ということは、移動なのかと思って書類に目を通すと 『昭和16年9月1日より下記の者を大本営情報部大佐に任命する』と書かれていてその下には柏原 総一郎と、私の名前があった。
薫さんの方は何だろうと思って見ると 『昭和16年9月1日より下記の者を大本営通信部より情報部大尉へ任命し同部への転属を命ずる』と書かれていて、その下には柏原 薫と書かれてあった。
驚いている私たちに草鹿さんが、ようやく結婚したんだし違う部署だと勤務時間などもそろわんだろう。と言い私たちは声を揃えて感謝の言葉を伝えると草鹿さんは、さも面倒くさそうにこう言った。
「だが言っておくが、部内での “いちゃいちゃ” は禁止だ! 所帯を持ったんだから、それは家まで我慢してもらう。いいな!」
草鹿さんの言葉で、それまで静かだった部内が笑いと拍手に包まれた。
そう。
私は薫さんと結婚した。
あの日、薫さんが私を日枝神社に誘ってくれたのは未来に戻らないということを私に伝えるため。
そして私たちは神さまに結婚を報告した。
あのとき薫さんが言った「末永く可愛がってくださいね」の言葉は、私の宝物だ。
薫さんも同じことを思ったのか、私たちはお互いの目を見合った。
「ほら、部内では、そういう目で見つめ合わない! それから薫君は部内ではこれまでどおり旧姓の結城君で呼ぶが、異存はないな」
薫さんが、はいと元気よく返事をすると、草鹿さんは皆に挨拶するように伝え、皆が仕事の手を止めて薫さんに注目した。
「このたびの人事で情報部にお世話になることになった結城中尉です。可愛がってください。宜しくお願いします!」
薫さんの意外な挨拶に情報部の部員たちは一斉に笑い、盛大な拍手が沸き起こった。
さすがに情報部の部員だけあって、薫さんがサンフランシスコでどの様な活躍をして来たのかを知っている。
そしてアメリカ政府を大きく動かすことになった「Vogliatemi bene!(可愛がってくださいね)」「Madame Butterfly has come for peace!(蝶々夫人が平和の使者としてやって来た!)」という見出しの文字が示すように、あのオペラ観戦での薫さんの屈託ない行動が観に来た観衆の心を動かし、ひいてはルーズベルト大統領の心をも動かしたことを。




