【ハンニバル】
作戦が終わって3日目の夜。
珈琲を飲みながらコンスタンティン飛行場の司令部の机に広げた地図を見ていた。
部屋には、私とアイクの二人だけ。
地図を眺めながら彼は、この成果を私が戦闘のど真ん中から的確な情報を伝えてくれたことが大きな勝因だと言ってくれた。
私自身、初めての空戦指揮だったが、空戦の真っただ中にあって指揮官が戦わないなんてことを今まで見たこともなければ考えたこともなかった。
優秀な戦闘指揮官は、部隊の先頭に立って敵に切り込んで行くもの。
軍の大学では、そのように教えられていた。
今回もし私も戦闘機に乗って戦ったとしたら、それを実践しようとしたことだろう。
しかし、今回は傍観者的な立場のために戦うことは出来ないし、日本兵としてここでドイツと戦ってしまえば、日本を戦争に引き込むことにもなりかねない。
まして戦死しようものなら、せっかくうまくいきかけている日米関係だってどうなるかさえわからない。
だから私は傍観者らしく、ただ戦闘状況の視察に出ただけのつもりだった。
それがなぜか上空から眺めているうちに敵や味方の位置や動きが手に取るようにわかり、もしこれを活用すればもっと戦闘の効率を高めることができるのではないかと思い、逐一その動きをコンスタンティン飛行場の司令部にいるアイクに連絡した。
そして彼は、私がもたらした情報を司令部の机に広げられたこの地図と、その上に置いた駒を使って絶妙な判断を下しアメリカ軍を勝利に導くことができた。
「柏原大佐、君のおかげで多くの味方の命が救われた。これは今後の戦いにおいて非常に重要な事となるだろう」
彼が不意にそう言って握手を求めてきたので、私も彼の手を取り握手を交わした。
「まだまだ長いな」と、一言添えて。
「長引けば、それだけ多くの人が死ぬ」
アイクは前に私が言った言葉を、私にかえした。
「これから、どうする?」
地図を見ながら私が聞くと、彼はまず北アフリカのイタリア軍を降伏させて、イタリア国民の戦意を削ぐと言った。
北アフリカで主に戦っているのはイタリアの応援要請を受けて、遅れて参戦してきたロンメル将軍が率いるドイツ軍なのにおかしなことを言うと思っていると、彼は戦線を二分して後方支援に甘んじているイタリア軍を叩くと言った。
もちろん兵站を担う後方のイタリア軍に被害がおよぶことは、最前線でイギリス軍と戦っているドイツ軍にとって死活問題となる。
特に今はリビア東端の都市トブルクの攻略に向けて大切な時。
お互いに戦力が拮抗している中で応援のために後方に戦力を割くことは、戦力の減少といった数的な劣勢だけでなく味方の士気を損ない敵の士気を高めてしまう精神的な劣勢も起こってしまう。
ここでロンメルは動けない。
そうなると見捨てられた自軍に対してイタリア国民は「なぜドイツは我々を守ってくれないのか!?」と必ず騒ぎ立てるだろう。
そこに目的を置くとは、なかなか頭がきれる。
「それがすんだら、次は?」
私が聞くと、彼はすました顔でクレタ島を指さした。
「そこはもう脅威になるほど航空戦力は残っていないよ」と言って私は駒をひとつ取り上げてナポリに置いた。
アイクは一瞬ギョッと目を見開いたが、すぐにそれを隠すために笑い「俺はハンニバルではないよ」と言った。
(ハンニバル=ハンニバル・バルカは紀元前3世紀カルタゴ[現在のスペイン、モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどを統治した国]の将軍で、たびたびローマに進軍して苦しめた。「アルプス越」えや「カンナエの戦い」はとくに有名で戦略に長けた将軍として今も語り継がれている)
そう。
この場所はハンニバルがローマ攻略のために行った第二次ポエニ戦争の『アゲル・ファレルヌスの戦い』が行われた地。
そして今のイタリアには、無敵のハンニバルの前に立ちはだかったローマの将軍ファビウスはいない。
(※ファビウス=クィントゥス・ファビウス・マクシムス。ローマの並み居る諸将が大軍をもってしてもカルタゴのハンニバルに惨敗し続けたが、ファビウスはハンニバルの戦略や性格を徹底的に研究し、正面攻撃ではとても敵わないと知り持久戦をもって彼らを追い詰めてローマ軍を勝利に導いた将軍)
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