【発動Operation No Way!③】
東条さんが送ってくれた101式司令部偵察機に乗り、降下予定現場の視察に向かった。
この偵察機には通常で4人乗れるほかに貨物スペースも広くて2人くらいは乗れるようになっているところが優れている。
以前までの偵察機は搭乗員2人か3人だったので、パイロットと通信士のほかに現場視察のために1人しか乗ることができなかったが、4人になると現地視察のために士官と参謀を送り込むことができ、これはまさに司令部偵察機の名に恥じない機能だ。。
ただし4人分と貨物スペースを確保するために、機の前部分が長くなり操縦席の横にはプロペラが回っているため、パイロットは一旦後部座席に乗りそこから前の座席に移動する仕組みになっていた。
実際飛んでみると、発動機も100式より高出力なハ111(離昇1,850馬力)に代わっていてさらに高速性能が上がっていて速度計は660㎞/hを越えていた。
この速度ならメッサーシュミットと遭遇しても余裕で振り切ることができる。
偵察に問題はなく、アルジェの飛行場に戻ると、港には輸送船により囮装備が届いて陸揚げされていた。
日本から届けられた輸送機がすべてそろった同じ日に、アルジェの港に囮の装備を乗せた輸送船も到着して、我々はさっそくそれを輸送機に乗せた。
バルサ材で作られたM2中戦車は非常に軽く兵士4人で軽々と担いで移動させることができたし、専用の車輪台車に乗せれば一人でも引くことができた。
大型のC-0輸送機に4台、C-1輸送機には3台搭載することができ、これを専用の車輪台車ごと空から投棄してパラシュートで地面に降ろす。
組み立てられた木の戦車を180両乗せて、あとは輸送船で送ってもらうことにした。
10月6日。
決行日の前日の夜中には先行してアンナーバの北にあるガルデ岬に潜らせていた工兵部隊から、レーダーの設置が完了した連絡が届いた。
このレーダーは航空機に対して約90~130㎞、水上艦船に対して約20~30㎞、浮上して航行する潜水艦に対して最大15㎞の探知距離を持つ最新型のレーダーでいまやアメリカ海軍の主力艦標準装備となっているCXAMと呼ばれるもの。
そんな高性能なものが戦場で短時間に組み立てられるとは、実に驚くべきことだ。
とにかくこの時代でも航空機用エンジンや機体、それに艦船の開発は進んでいるが、電子機器の分野では日本はまだ遅れている。
これだけは柳生さんの能力をもってしても、電子産業自体が遅れているのでかなり難しいだろう。
そして10月7日の夕方、我々は遂に作戦を決行した。
アメリカ軍戦闘機の護衛の下、54機の日本製輸送機がアンナーバの東にある平原に進出し、後部ゲートから次々と囮の戦車たちが放たれる。
ほんの数分間に夕日に照らされた赤い大地に150を超える白い大輪の花が咲き乱れる。
空からは他にもDC-3輸送機から先に降下した囮装備のパラシュートを片付けるための部隊が降下を開始していた。
ちなみにこの空挺隊のパラシュートは白ではなく、サンドイエローに数か所が染められたものを使っていた。
101式司令部偵察機を旋回させて降下ポイントの近くにあるハファッサの海岸に向かうと、多数のLCT (Landing Craft Tank=戦車搬送用上陸用舟艇)が砂浜に乗り上げて、1台の本物のトラックが木で作られた偽物のトラックを引いて次々に陸へと上がっていた。
Operation No Wayでは、囮装備のほかにも戦闘部隊の上陸も行われ、カサブランカを攻略した際に停戦に応じたヴィシー政権(ドイツのフランス侵攻により新たに設立されたドイツの傀儡政権)軍が保有していたアンナーバ郊外にあるボーン飛行場(現ラバ・ビタット空港)を確保した。
私は偵察機をアルジェには戻さず、アンナーバから西南西120㎞にあるコンスタンティン飛行場(現在のモハメド・ブーディアフ国際空港)に着陸した。
飛行場と言っても、ここはアメリカ軍が秘密裏に整備した平原に過ぎないが、この作戦のためにすでに100機近い戦闘機が集結していた。
あとはうまく敵が囮に気が付いて、攻撃を仕掛けて来るのを待つだけだった。




