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フィッシング詐欺に引っかかったやつの話。  作者: dice-k


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19/21

19日目:地獄の出勤

空が白み始め、再び部屋の輪郭が浮き出始める。


筋肉痛のせいもあった。

昼寝のせいもあった。


理由を挙げればキリがないが、結局一睡もできずに朝を迎えた。


時刻は朝の5時になろうとしている。


ふと、頭の中に忘れかけていた単語が浮かぶ。


――会社


「........忘れてた」

筋肉痛と、夜中中見ていたYouTubeのせいで忘れていたが、今日は普通に出勤であった。


そして、その単語を思い出したとたんに眠気が来た。

さっきまであんなに、冴えていたのに。

急に瞼が重くなり始めた。


体がベッドに沈み込む。


「今.........?」

とも思ったが、スマホを放り投げて大の字で横になる。


軽く目をつぶってみると、意識が途切れた。


――ピピピピピピピピ!!!!!!


不快な音ともに、目を開ける。

いや、そもそも、ちゃんと寝ていたのか?

よくわからない感覚と、ずっりと襲い掛かる頭痛とともに起き上がる。

全く頭が働いていない。


時間の感覚があいまいになっている。

2時間くらいは寝たのだろうか?


ぼんやりと、スマホを除きこむ。

時刻は6時58分。

起きて出社の準備をする時間である。


ただ、体がやけにだるい。

そして。目の奥が重い。


「.........最悪だ。」

ゆっくり起き上がると、洗面台に向かう。

寝不足のせいで、頭痛がひどい。


鏡を見ると。

そこには、――しっかりとしたクマ。


「........誰だよ」

鏡に映る自分に小さく突っ込む。


顔を洗う。

冷たい水が、少しだけ、意識を現実へと引き戻す。


ほんの一瞬。

着替えようと足を動かした。


――ズキ。


「.........っっ!」


太ももとふくらはぎに、身に覚えのある痛みが走る。

いや。正確には昨日よりもひどい気がする。


少し寝たせいで体がリセットされたからなのか。

そもそも、痛みがひどくなったのかはわからないが。

明らかに動作が変になっている。


歩きの緩慢さ。

動きの鈍さ。

どれをとっても、おじいちゃんである。


一瞬、今日も休もうか.......

という思考が頭をめぐる。


しかし、時刻はすでに7時を回っている。

もう、そんな電話をしている時間でもない。


「........行くしか........ないか」

覚悟を決めて玄関に向かう。


一歩。


――ズキ。


二歩。


――ズキズキ。


靴を履こうと、しゃがもうとした時。


「うほぉぉぉぉぉおおおおお!!!」

あまりの痛さに変な声が出た。


すでに、壁に手をつきながら出ないと靴を履けない。

なんとか、立ち上がると、玄関の扉を開ける。


朝の空気が妙にまぶしい。


「........はぁ」

たった今家を出たばかりなのに、すでに疲れている。


そして、数歩先には。


「階段.........」

普段ならなんとも思わない。

むしろ、気にしなさ過ぎて、降りた記憶すらない時がある。

しかし、今日は違う。

筋肉痛によって、こんなにも日常の風景が変わるとは。


意を決して、階段まで歩を進める。

一段も降りていないのに、すでに脳が手すりを使わないと降りられないことを理解している。


生希は、左手でしっかりと手すりをつかむと、一歩を踏み出す。


一歩


「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


二歩


「ぐぉぉぉぉぉぉぉおおお!!!!」


一歩踏み込むごとに、全身の筋肉が訴えかけてくる。

誰もいない、朝のアパートを、呻きながら進んでいく。


三歩


「うほぉぉぉぉぉぉぉおおお!!!!!」


..............


なんとか。

いや、ようやく。

地上に降り立った。


目の前には、通勤の人たちが何食わぬ顔で歩いている。

しかし、おかげで目は覚めた。

相変わらず、頭は働いていないが、少しはマシになった。


太陽は、まだ本気を出していないはずなのに、すでに容赦がない。

空気はすでに熱気を帯び始めている。


生希は静かに自転車に視線を向けると、一歩。また一歩と踏みしめるように向かった。

それもそうである。

生希のSuicaはすでに残高が切れている。

チャージするお金もない。

しかし、出社はしないといけない。


となれば........。


生希はサドルに手をかけると、自転車をまたぐ。

右足を上げただけだが、すでに股関節が訴えかけてくる。


「..........っ」

一瞬、声を上げそうになるが、何とか耐えた。


そして、一漕ぎを始める。

会社まではここから30分。

いつもなら、駅まで5分を漕ぎ、あとは涼しい電車に乗っているだけ。

文明のすばらしさを思い知らされる。


二漕ぎ目。

すでに、筋肉痛と距離で心が折れそうになっている。

が、ここで足を止めたら、きっともう動けない。

そう思い、懸命に自転車をこぐ。


時間が経過するごとに、体温も空気も温度が上がっていっている。


信号で止まると汗が噴き出してきた。

背中。首。額。

すべての毛穴が開いたのかと思うほど、ぶわっと。


すでに、スーツの下のシャツはしっかりと生希に張り付いている。


「........シャワー、浴びた意味.......」

そういうと、再び信号が青に戻る。


普段漕ぎなれない時間。

普段動かさないであろう距離。

すべてが生希に襲い掛かる。


家を出て30分。

会社に到着するころには顔が真っ赤になり、ズボンを汗が貫通していた。

自転車を駐輪場に止めると、会社の中に入る。


会社は高層ビルの16階。

自動ドアを通ると、外とはまるで別の世界が広がる。


「........はぁぁぁぁぁああああ!天国!!!!」

思わず、冷房に声が漏れる。


少し、ロビーで冷房に浸ったあと、ふとスマホを見る

時刻は7時47分。


「やべ!!!!!」

朝礼は7時50分くらいには始まる。

そういうと、急いでエレベーターに乗り込み16階を目指した。


――ピンポーン。


エレベーターのドアが開くと、すでにほかの従業員が並んでいる。


生希は静かに最後列に並ぶと、朝礼を聞く。

しかし、スーツはしっとり。

額や、首筋には冷えた汗が残る。


「それでは、今日も頑張っていきましょう!!!」

上司の声掛けとともに朝礼が終了する。

社員全員が一例をし、デスクに戻っていく。


生希も例外なくデスクに行こうとすると、前のほうから視線を感じる。

間違いなく、こちらを見ている奴がいる。

ふと、その方向に視線を合わせてみる。


「............」

榊原優児だった。


そして。


ニヤッと笑うと、口角が上がった。

「.........お前」


「朝から、マラソンでもしてきたのか??」

そういうと、ゆっくりと近づいてくる。


生希は何も言わない。

いや、言えない。

明らかに、今の会社の雰囲気に不釣り合いなのは自分がよくわかっていた。


まだ就業前だというのに、すでに全身汗だく。

シャツは透け、顔はすでに汗まみれ。

周りを見ても、みんな涼しげな顔をしている中、自分一人がすでに汗で前髪が額に張り付いている。


「いや.......自転車できた。」

生希がぼそっと言うと、優児は思い出したかのように


「あ!電車代!ないんだっけか??」

生希が、こくり。と頷くと。


優児は笑いながら

「お前の家から、自転車で何分かかんのよ!」

と尋ねる。


「30分........」

生希が、小声で返すと、優児は「マジか!?」という顔をして、一つ生希の肩をたたく。


「まあ、一か月の辛抱だろうからな」

しかし、その表情には若干の笑みがある。

きっと、心のどこかで面白がっている。


「あ!それと!!!!」

そういうと、優児はもう一つ資料を手渡した。


「これ、昨日の会議の資料な!あとで、目通しておいて!」

そういうと、後ろ向きで右手を振り、デスクへと戻っていった。


渡された資料は、思っていたより厚みがあり、生希の腕にずしりとのしかかった。


(これ、読むのか.........)

と思い、天井を見上げ、一息つくと。


「おい!生希!!!」

背後から、再び名前を呼ばれた。

聞き覚えのある、低くて、よく通る声。


反射的に振り返る。


そこに立っていた声の主は、やはり佐久間部長であった。


相変わらずの、がっしりとした体格。

焼けた肌。

真っ白にホワイトニングされた歯。

スーツ越しでもわかる、明らかに常人ではない肩幅。


そして。


無駄にさわやかな笑顔。


社内でも、ひそかに「()()()()()()()」と呼ばれているのがよくわかる。


「大丈夫か?」

その一声は意外にも優しい言葉だった。


「あ、はい.......」

思わず、背筋をただしたが、そのせいで筋肉が悲鳴を上げる。


「おっ.......」

思わず声が漏れる。


「ん?」

佐久間は、その声に反応するとともに、じっと見つめる。


そして

「生希、お前........」


「はい?」


「その汗の量、ちょっと異常だな。筋トレでもしてきたのか?」

まるで、仲間を見るような目で生希を見つめる。

その後ろで、優児が吹き出しそうになっているのが見える。


「.........い、いえ」


「ん?」


「い、いや........ちょっと、色々ありまして自転車で通勤しまして」


「ほう!朝から自転車で!」

佐久間の目が輝いている。


「会社までは、何分くらいかかるんだ?」

まさに、興味津々という感じで問いただしてくる。


「えっと........30分くらいですかね?」

生希が小さな声で答えた。

その理由は、佐久間部長にも社内の人にもあまり知られたくないからであった。

大の大人が、お金がなくて電車のチケットを買えませんというのは、あまりにも恥ずかしい。


しかし、佐久間部長はそれを聞き逃さなかった。

「ほう!朝から30分もか!」


「感心!感心!!!」

佐久間部長は腕組みをしながら「ハハハ」と笑っている。


生希は一刻も早く自分の席に戻り、この話題を切りたかったが、佐久間部長の追撃は続く。


「ところで、その道に坂はあるのか?」


もはや、就業時間になっているのに、何ら業務には関係のない質問が飛んでくる。

「は、はい。一応」


「そうか!上ったのか?」


「そ、そうですね.......」


「全力か???」


「あ、はい。時間ギリギリだったので........」


「いいな!私も朝の有酸素コースに入れようかな?」


「朝の有酸素運動は1日の活力になるからな!」

きっと冗談で言っていると思いたかった。

でも、目は半分、本気の目をしていた。

生希からしたら、活力どころかすでに体力を使い切って帰社したい気分であるというのに。


「ただな、生希!」

突然、目が座った。


「その状態で、仕事をすると筋肉が疲弊する。」


「結果、仕事のパフォーマンスも落ちてしまう。」


「だから、後で、俺のプロテインをやろう!」


「........はい?」

途中、理論が飛躍しすぎて呑み込めないでいた生希に畳みかける。


「俺の机の上にある。昼にでも取りに来い!」

善意であるのは伝わる。

しかし、社内で部長が有名な分『筋肉仲間』とは思われたくない。

その後ろでは、優児が声を押し殺して笑っている。


「.......。あ、いえ..........。」

断ろうとするのにかぶせるかのように。


「遠慮するな!同じトレーニング仲間じゃないか!」

後ろで優児が吹き出した。

何かを飲んでいたらしく、口元を手で押さえている。


どうやら部長には、完全に『仲間』とみなされたらしい。


「牛乳で割るとうまいやつと、水で割るとうまいやつ! どっちがいい?」

満面の笑みに押され、生希はしぶしぶと答える。


「え、えっと.........。牛乳のほうで.........。」

それを聞くと、佐久間部長は満面の笑みでうなずいた。


「腹が減っては戦はできぬ!」


「筋肉がなくても仕事はできぬってな!」


「それじゃあ、生希、また昼にな!」

そういうと、さっそうと自分のデスクへと戻っていった。


その後姿を見届けると、生希も自分の椅子に座る。


朝の絡みですっかり忘れていたが、座る瞬間に筋肉痛だったのを思い出した。


――ズキッ!!!


しかし、何食わぬ顔で、ゆっくりと座りなおす。


パソコンを起動する。


画面が立ち上がるまでの時間がやけに長く感じる。


そのとき。


「........で?」

横から声がした。

もちろん、相手は榊原優児であった。


デスクは隣。


椅子ごと体を傾けると、完全に聞く体制に入っている。


「.........なにが?」

一応、聞き返してみる。


「全部だよ!」


「朝から動き方変だし!とりあえず、銀行はどうだったん?」

生希は、筋肉痛であるのがばれたとともに、苦笑いしながら答える。


「.......ほぼ、戻らないらしい.......」


「うわ!」


「それ、きっつ.........!」

即答だった。


「.........預金者保護法がどうとかで」

詳しく説明する気にはならなかったが、ワードだけ伝える。


優児は笑いながらキーボードをたたき、そして。


「あ........そうだ!」

何かを思い出したかのように、生希のほうを向いた。


「昨日の会議。その資料にも書いてあるけど........」

そういうと、生希に渡した資料をペラペラとめくりだした。

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