アリス観光ガイド(完)
敵をたどりつつ、アリスとゼクスは銀行奥の大金庫にたどり着いた。
「なんでやねん?」
ゼクスは眼鏡の奥で眼を丸くした。
大金庫の大扉が開かれている。6つのセキュリティーが解除され、金庫内部への道が開かれているのだ。
金庫の中に入ったゼクスはさらに驚愕した。
「中身はどこいったんや!?」
金も証券も小切手も、なにもかもない。ただ、そこには一人の少年がいた。
「草太様!?」
アリスが感情をあらわにした。行方不明になっていた草太が、ここにいたのだ。
「惜しかった。もう少しで逃げるところだったのに」
――惜しかった?
アリスには信じがたいことだったが、なにも知らないゼクスのほうが私情をはさまずに状況をすぐに把握した。
「金庫の中身をどこにやったんや!」
「ここだよ、こーこ」
自分の腹を指差して、草太は不気味に笑った。まるでそれは草太ではない者の表情のようだ。
嗚咽をひとつして、草太が口の中からなにかを吐き出した。それは、なんと札束だった。口よりも大きいはずの札束が、口の中から出てきたのだ。
つまり、金庫の中にあったものは、すべて喰ってしまったと言うのだ。そんなこと信じられない。だが、たしかに札束は草太が吐き出したのだ。
ゼクスの脳内情報が処理され、パズルのピースが答えを描きはじめた。
「そうか、これが目的やったのか!」
「そうだよ、犯罪者を牢から出せなんて無理なことくらいわかってたさ。時間稼ぎができればそれでよかった」
そう、犯人側の要求は帝都で服役している者たちの開放だった。しかし、本当の目的は帝都有数の大金庫である、帝都銀行ミナト区ツインタワービルの銀行強盗にあったのだ。
そして、ゼクスは草太の本当の正体に近づいていた。
ゼクスの頭に叩き込まれたA級犯罪者リストと照合し、金庫の中身を喰らうことのできる犯罪者に該当するのはひとり。
「〈マッドイーター〉やな!」
「ご名答。今回のゲームをクリアしても、S級にはまだなれないね。早くS級に名を連ねたいよ」
帝都政府が管理する犯罪者リストのA級に名を連ねる〈マッドイーター〉。国籍も本名も、性別を含む何もかもが『不明』の犯罪者だ。全てが『不明』なのには、〈マッドイーター〉の持つ特殊能力に理由がある。
包囲網を抜けて〈マッドイーター〉が都外に逃げたとの噂があったのは、数ヶ月前のことだった。
「外は退屈でね。やっぱり犯罪件数世界一の帝都が僕にとって一番住みよい街だった。だから戻ってきたんだ、この子の身体を借りてね」
金庫の入り口にはアリスとゼクスが立ち塞がり、〈マッドイーター〉に逃げ場はないと見える。
ゼクスが相手を追い詰めるべく、一歩前に出た。
「金庫の中身を早う出さんかい!」
「こちらには人質がいる。可笑しな真似はしないほうがいいよ」
「ウェストビルに残ってる人たちのことか!」
「ビルを倒壊させるだけの爆弾がセットしてある。僕に可笑しな真似をしたら、どーんだよ」
「そないなことしたら、お前も死ぬんやで!」
「わかっているよ、だから人質を消化しないで一人残して置いたんだ」
草太の口がゴムのように伸び、その口から頭が出た。それはなんと草太の頭であった。草太が草太を吐き出したのだ。いや、吐き出した者の姿はすでに草他ではなかった。
吐き出した草太を草他を吐き出した者が首根っこを掴んで持ち上げた。
「僕の能力をお忘れだったかな?」
〈マッドイーター〉の能力とは、無尽蔵の腹を持ち、その腹に収めたモノの能力や容姿などを吸収してしまうのだ。
草太を吐き出したのは、太った大柄の男だった。肉まんを重ねたような身体に、大福のような頭が乗っている。その顔からは脂汗が噴出し、たらこのような唇が歪んでいた。
〈マッドイーター〉に囚われた草太は気失っているようだった。これは不幸か幸いか?
ゼクスとアリスが〈マッドイーター〉との距離を詰める。
「おいおい、近づくとこの子供を殺しちゃうよ」
相手の動きに合わせて〈マッドイーター〉もまた、ゆっくりとすり足で移動していた。
アリスの瞳が〈マッドイーター〉を見据える。
「人質は生きているから意味があるのですよ?」
「その通り。もし、ここで僕がこの子供を殺したら、君たちはすぐにでも僕に牙を向くだろう。けどね、僕は馬鹿ではないよ」
なんと、この場で巨大な口を開いた〈マッドイーター〉が、再び草太の身体を丸呑みしたのだ。
「これで僕を殺せば、人質も死ぬよ」
再び草太を呑み込み草他の姿をした〈マッドイーター〉は、ゼクスとアリスとの間合いを確かめながら出口へと足を進めていた。
仕掛けるのは誰か?
「コードβアクセス――〈影縫い〉!」
発動された魔導コードによって、アリスの手から影色をした針が放たれた!
針は〈マッドイーター〉ではなく、その影を狙っていた。〈影縫い〉とは相手の影を固定し、本体の動きを封じる技だった。本体を傷つければ影も傷つき、影を傷つければ本体も傷つくという原理に基づくものだ。
〈マッドイーター〉は素早い身のこなしで影針を避け、そのまま出口に走った。
「逃がすか!」
ゼクスが手から電子ロープを放った。
放たれた電子ロープは〈マッドイーター〉の片足を捕らえた!
足首にロープを巻かれ、〈マッドイーター〉が体制を崩して大きく転倒した。だが、次の瞬間、〈マッドイーター〉の口が開かれ、そこから草太の身体を遥かに超えるデブ男が飛びした。
電子ロープに捕まった草太の身体を捨て、デブ男――〈マッドイーター〉はそのまま逃走を続けた。
その巨躯からは想像できないスピードで逃げる〈マッドイーター〉をゼクスとアリスが追う。
巨体についた肉を揺らしながら〈マッドイーター〉は逃走を続けた。仲間たちはすでにアリスとゼクスに殲滅させられ、残っているのは自分だけだ。銀行で盗んだ金を全て独り占めにできる。しかし、〈マッドイーター〉の本当の目的はそれではない。
これはゲームなのだ。ミッションをクリアし、経験値を稼ぎ、犯罪者としての階位[クラス]を上げる。それが〈マッドイーター〉の目的だった。
後ろからはアリスとゼクスを追ってくる。〈ウィング〉を装着したアリスのスピードもさることながら、ゼクスの走るスピードも人間離れしていた。
だが、〈マッドイーター〉の移動スピードもまた常人を遥かに逸脱したものだった。〈マッドイーター〉が喰った被害者はすべて把握されていないが、その中に俊足を持つ能力者のかもしれない。
〈マッドイーター〉は逃げつつも、追っ手を撃退するべく攻撃を仕掛けていた。
階段を駆け上がりながら後ろを勢いよく振り返った〈マッドイーター〉の口から粘液が飛ぶ。
糸を引く粘液はアリスの顔の横を通り過ぎたが、粘液の付いた床は熱で溶かされたよう湯気を立てて溶解した。〈マッドイーター〉の吐き出した粘液は強い酸を含んでいたのだ。しかも、鼻が捻じ曲がりそうな悪臭を放っている。
階段の折り返しで〈マッドイーター〉の姿が消え、すぐにゼクスが追うが、床の滑りに足を取られて転倒してしまった。
「なんやねん!?」
尻餅を付きながら床を見ると、床は油を塗りたくったように不気味に輝いていた。〈マッドイーター〉がトラップとして自分の脂汗をばらまいたのだ。
「くっそ〜!」
尻餅を付きながらゼクスが階段の上を見上げると、すでに空を飛んでいるアリスが屋上に入ろうとしているところだった。
立ち上がったゼクスは階段を上るのではなく、来た道を急いで戻った。ビルのシステムコンピューターを修復するために使っていたアレを取りに戻ったのだ。
敵を屋上に追い詰めたはずだった。しかし、屋上でアリスを待ち構えていたのは、巨大な戦闘マシーンだった。
アリスの前に立ちはだかる金属の巨体――魔導アーマー参號機。ゼクスが屋上に置いて来た魔導アーマーに〈マッドイーター〉が乗り込んだのだ。巨躯の〈マッドイーター〉がゼクス専用の小さいコックピットにどうやって乗ったのかは不明だ。
「こんなところにおもしろい玩具が落ちていたよ。逃げるのは止めにしてこれで遊ぼう」
「それは子供の玩具じゃありませんわ」
強風の吹き荒れる屋上でアリスは〈ウィング〉を解除した。残り少ないエネルギーで目の前の敵と戦わねばならない。起動しているだけでエネルギーを消費する〈ウィング〉を使うのは得策ではない。今は少しでも節約した戦いをせねば。
特殊合金の屋上の床にアリスは足の裏をしっかりとつけた。長い金髪を激しく煽られるが、小柄な身体が飛ばされることはない。少女の外見を持ちながらも、機械人形であるアリスの重量は200キログラムを超えていた。
アリスが合金の上を駆ける。重量に見合わず、その足音は軽やかだった。それというのもアリスの靴がショックを吸収してくれているからだ。
白いボディースーツである〈メイル〉を装着したままのアリスは、敵に向かうべく盾と剣を召喚した。
「コード001アクセス――〈ビームセーバー〉召喚[コール]。コード002アクセス――〈シールド〉召喚[コール]」
ビームソードと光輝く半透明の盾を装備し、アリスが魔導アーマーに斬りかかる!
グォォォォン!!
巨大なアームが素早く動き、アリスに襲い掛かる。
強い衝撃を〈シールド〉で辛うじて防ぐが、その衝撃のあまり、アリスの身体は後方に大きく吹き飛ばされた。
後方に飛ばされながらもしゃがみながら着地し、そのままの体勢でアリスはジェットブーツの横についているジャンプ力調整ダイヤルを回して、スライド式の小さいスイッチを3段階の1に入れた。
立ち上がったアリスは爪先で走り魔導アーマーに斬りかかる。
再び振り下ろされる巨大なアーム!
アリスは地面に踵を下ろして、強く踏み切った。すると、ジェットブーツが発動し巨大なアームを軽々と避け、横に大きくジャンプした。
魔導アーマーがアリスのいる方角を向く前に、アリスは着地と共に次のジャンプをした。
急いで魔導アーマーが振り返った場所にアリスはいない。アリスは魔導アーマーの頭上を飛び越え、背後に回っていた。
「コード006アクセス――〈ブリリアント〉召喚[コール]。発射!」
アリスの周りに6つの光り輝く球体が出現し、そこからレーザーが一斉照射された。
だが、レーザーは魔導アーマーの装甲を紅く熱するだけで破壊するには至らなかった。
背を向けていた魔導アーマーが振り返りざまにアームを大きく振ってアリスを襲う。
〈シールド〉で防ぐが、やはりアリスの身体は大きく飛ばされ、屋上に設置してあった対空ミサイルの台に衝突させられた。
形成は明らかに不利だった。いくら戦闘用のS級キリングドールと言えど、魔導アーマーとの戦いは戦闘のスペシャリストである特殊戦闘員と戦車が戦うようなものだ。いや、ただの戦闘用モビルアーマーであれば、アリスがこんな苦戦を強いられることはあるまい。天才科学者ゼクスが開発した世界最高峰の兵器であったらこそ、アリスが苦戦を強いられているのだ。
相手の出方を伺い、足を止めるアリスに魔導アーマーが近づく。
「アリスみたいに必殺技を使いたんだけどね、機体を操縦するのが精一杯で武器の使い方がわからなんだよ」
スピーカーを通して響く〈マッドイーター〉の声。
もし、〈マッドイーター〉が魔導アーマーの操縦を完璧にこなし、装備されている兵器を使用していたら、アリスはすぐにやられてしまったかもしれない。幸運の女神が少しだけアリスに味方しているのかもしれない。
などということもない。アリスは目の前の敵と戦いながら、エネルギー残量とも戦っていたのだ。エネルギー残量がもっと残っていれば、もう少しマシな戦いができるものを、今の状態ではどうにもならなかった。
エネルギー残量は250Eを切っている。先ほど撃った〈ブリリアント〉で、召喚に3E、発射に18E消費したが、それも敵に傷を負わせることができなかった。
屋上の扉に白い影が現れた。
「またせたな! ヒーローちゅうのはやっぱり、いいとこ取りせんとな」
白い影は白衣を風に揺らすゼクスだった。
ゼクスは魔導アーマーに向かおうと足を踏み出すが、強風に押し戻されて思うように前に進めない。
「たかが風に負けてたまるか!」
背負っていたランドセルから1枚のカードが飛び出し、ゼクスの手に収まった。
「擬似スペル――グラビティ!」
カードを自分の胸元で掲げ、ゼクスは呪文[スペル]を唱えた。これはスペルカードといって、あらかじめ呪文を吹き込むことによって、誰もが簡易的に呪文を使えるアイテムだ。
グラビティを自分に発動させたゼクスの体重が増え、風に飛ばされないようになった。その分、行動力に支障がでるが、ゼクスはそのハンデを物ともしなかった。
床を激しく叩きながら走るゼクスが、ランドセルから2本のレザー砲を出し、極太のレーザーを魔導アーマー向かって照射した。
2本のレーザーを軽々と避ける魔導アーマーであったが、レーザーの向かった先にはアリスが先回りしていた。
レーザーの1本がアリスの構えた〈シールド〉に反射した。反射されたレーザーが向かった先いた魔導アーマーの装甲が、アリスの弾き返したレーザーで解けた。〈ブリリアント〉では太刀打ちできなかったレーザーだが、ゼクスのレーザーはたしかに魔導アーマーに傷を負わせたのだ。
しかし、その程度の溶解では、魔導アーマーの背中の装甲を数センチ溶かすことしかできなかった。
「あんま利いとらへんな。さっすがウチの造った魔導アーマー参號機や」
関心している場合ではなかった。魔導アーマーが全速力で走り、ゼクス向かって突進してきたのだ。
突進してくる全長3.5メートルの巨躯に臆することなく、ゼクスは正面を切って向かい討ちレーザーを発射した。
が、魔導アーマーはバリアを出現させ、レーザーを中和してしまったのだ。
巨大なアームが振られゼクスの眼前に迫る。
「やられるかアホっ!!」
ランドセルから赤い超巨大グローブが飛び出し、魔導アーマーの巨躯を殴りつけた。衝撃に押され魔導アーマーは後退するが、そのグラブ部分がキャノン砲に変形し、ゼクスの頭より大きい弾を発射してきた。
ゼクスは弾を避けようとするが、避けきれず左胸から腕にかけてもろに直撃を喰らってしまった。
魔導アーマーのスピーカーから声が響く。
「電子マニュアルをご丁寧に用意してくれた助かった。やっと武器を使用する仕方がわかってきたよ。しかし、実に操作が難しいね。まるで立体パズルじゃないか」
魔導アーマーのその先で倒れていたゼクスがゆっくりと立ち上がった。
「……っウチとしたことが計算ミスや」
失笑を浮かべるゼクスの左半身は衣服が焼け焦げ、肉が剥がれ落ちていた。だが、そこにあったのは白い骨ではない。鋼色に輝く機械の身体だった。
金属の身体は先ほどの攻撃で穿たれ破損し、内部をさらけ出して火花を散らしていた。
「立ち上がったのはいいけど動けへん」
ランドセルから修理システムのドライバーやコードが飛び出し、破損したゼクスの身体を修理しはじめる。
ゼクスは自分の身体の修理をさせながら、ランドセルから出たままになっているレーザー砲を魔導アーマーに向けて放つ。
真正面の攻撃を避けれないわけがない。
しかし!?
「なに!?」
スピーカーから動揺の声が漏れた。
魔導アーマーの身体が思うように動かない。理由はその影にあった。なんと魔導アーマーの影にアリスの放った影針が刺さっていたのだ。
身動きを奪われた魔導アーマーは2対のレーザーの直撃をもろに喰らい、すかさずアリスが魔導アーマーに飛び掛った。
かろうじて動く魔導アーマーのアームがアリス目掛けて振られるが、アリスはその腕に自ら飛び込んだ。
「コードΩアクセス――〈メルキドの炎〉1パーセント限定起動。昇華!」
全てを焼き尽くす天の業火が魔導アーマーの身体を包み込む。
装甲に覆われていたアーマーの表面が熔ける。だが、これも致命傷にはならず、魔導アーマーの影に刺さっていた影針を焼き尽くし、魔導アーマーに自由を与えてしまう結果になった。
真っ赤に色付く魔導アーマーが奇怪な悲鳴をあげながら、アリスの頭上に覆いかぶさるように襲い来る!
「コード009アクセス――〈イリュージョン〉起動」
巨大な塊に圧し掛かられたアリスの身体は押しつぶされ、空間の中に溶けるように消えた。
――イリュージョン。
イリュージョンによって分身したアリスの本体は、高温を発する魔導アーマーの紅い脚に抱きついていた。
「コード008アクセス――〈ショックウェーブ〉発動」
超強力な電磁パルスが魔導アーマーの身体に走った。
火花を散らしながら魔導アーマーが奇怪な音を立て、そして身動きを止めた。ついに魔導アーマーを仕留めたのだ。
アリスの戦いぶりを見ていたゼクスは感嘆した。
「普通の電磁攻撃で倒せる魔導アーマー参號機やない。装甲を熔かしたのが利いたんや」
戦いを終えたアリスのボディーツは酷く焼け焦げ熔解し、美しい金髪も半分以上溶けてしまっていた。
アリスの思考回路がノイズを発し、膝から床に崩れ落ちるアリスのすぐ横で、魔導アーマーのハッチが開いた。
「危ないところだった。これに乗ってなければ死んでいたよ」
ハッチを開け、太った巨漢が脂汗を垂らして這い出て来た。搭乗していた〈マッドイーター〉は無傷でいきていたのだ。
逃げようとする〈マッドイーター〉を見ながらもゼクスは未だ動けず、アリスのシステムもショート寸前だった。だが――。
「コード004アクセス――〈レイピア〉召喚[コール]」
槍を召喚したアリスは、それを力いっぱい背を向ける〈マッドイーター〉に投げつけた。
「ぐあっ!?」
投げられた〈レイピア〉は〈マッドイーター〉の腹を勢いよく貫通し、腹に開いた大穴に強風が吹き込んだ。
「まさか……まさか……この僕が……」
腹を押さえよろめきながら、〈マッドイーター〉は屋上を囲うフェンスに激突した。
巨躯に体当たりされたフェンスは、その体重を支えきれず大きな音を立てて外れてしまった。
屋上に吹き荒れる風。
巨大な身体が死のダイブをした。
絶叫は風にかき消されたか、アリスたちの耳に届くことはなかった。
遥か地上100階から落下した肉塊は地上に叩きつけられ、水のように跡形もなく弾け飛んだ。デブ男は死んだのだ。
ようやく修理を終えたゼクスが床に倒れるアリスに駆け寄った。
「しっかりせい!」
「バッテリーを取替えてくだ――」
言葉を最後まで発することなく、アリスのシステムは停止した。エネルギーを全て使い切ってしまったのだ。
「ウチの研究所で修理するから安心せい。にしても、魔導アーマー参號機がやられてしもうたな。改良の余地ありやな」
ゼクスはアリスの応急処置をしながら、救助のヘリが来るのを待つことにした。まだウェストビルのシステムコンピューターの修理も終っていなかった。
ツインタワーでビルがあった次の日、アリスは再びツインタワービルに訪れていた。
ウェストビルの営業は今日も行われ、事件の次の日だというの客もそこそこ入っている。
あちらこちらで壊れた店内が立て直される中、事件のせいで辞めてしまった人々の変わりに、すぐにバイトの募集が行われていた。アリスもそのバイトに応募し、すぐにでも履歴書を持って来るように言われたのだ。
稼動しているエレベーターに乗り込むといつも以上の込み具合で、アリスは人の波に押されてエレベーターの奥へと追いやられた。
満員のエレベーターの中で身動きできないアリスの胴に、後ろから何者かの手が回された。痴漢かもしれないと思いアリスは振り向こうとしたが、その前に何者かの顔がアリスの耳元に近づいた。
「後ろを向いちゃダメだよ。エレベーターに乗ってる全員が人質だ」
それはアリスにしか聞こえない小さな声だった。
「アリス……僕は美しい君のことを手に入れたくなった。けれどね、さすがの僕でも『機械』を喰うことできない」
まさか!?
しかし、〈マッドイーター〉はあの時に死んだはずでは?
エレベーターが止まり、人の流れに乗ってアリスの真後ろに立っていた謎の男が降りて行った。
そして、エレベーターを降りる寸前、スラリと伸びた長身の身体をを少し傾け、端整な顔立ちを静かに向け、優しく微笑んだのだった。
アリスはその場を動かず、エレベーターの扉は固く閉ざされたのだった。
アリス観光ガイド 完