↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/18

2 レイナ。

「下がって!危険ですから下がって!」


 制服警官がレイナの前に立ちはだかった。

「あなたはケガはないですか?知り合いなら見ない方が……」

 レイナはすぐには動かなかった。呆然としているのではなく、警官の背後を見据えていた。おれを抱く胸は震えているが、手はしっかりとおれを捕まえていた。

「下がって」

 警官が一歩踏み出した。レイナはくるっと向きを変え、早足でトンネル出口へ向かう。

「お知り合いなら、お話を聴かなければなりません」

「玲奈!」

 店長が人たがりの前に立っている。

「お連れの方?」

「キャ……従業員です。私は店長です。何があったんですか?」

「みなさん、お話を聞かせてください。ここではなんですから、警察署で。あちらへ」

 

 他にも数人の警官が、人だかりを規制し始めていた。三角コーンや黄色いテープを用意している。

 おれはレイナに抱かれたまま、店長とともにアルファードのところへ戻った。

「店長!玲奈さん!……」

 ハルカが、スライドドアが開いたままのアルファードの中から顔を出した。降りてこようとして警官に気づき、固まる。

「みなさんお仲間?ご同行願います。運転手さんも」

 アルファードの後ろに、回転灯をつけた濃い灰色のワンボックスが停まった。警察の車。

 おれたちは全員、そのワンボックスに乗せられた。アルファードをどうするのかは、知ったことではない。



 10分後、おれたちは中央署に連れて来られた。誰も一言も喋らなかった。ハルカさえ。

「猫は……あなたの飼い猫ですか?」

 私服の刑事が聞いた。

 レイナは答えず、おれを強く抱きしめた。苦しかった。タバコ臭い。

「まあいいでしょう。これから、みなさんにお話を聴きます。猫を放さないで」


 全員、それぞれ別の個室に案内された。取り調べ室か。

「少し待ってて」

 私服刑事はレイナとおれと、女性警官1人を残して部屋を出て行った。ドアをしっかりと閉めて。

 20分くらいか。ただ時間が過ぎていった。レイナはじっと座って、おれを抱きしめていた。レイナの胸は柔らかく、胸元が開いていて暖かくて、こんな時なのに眠くなった。もう震えは感じなかった。


 目を閉じて思い出す。

 トンネル。何が起きていたのか。

 血。あいつの血なのは間違いない。匂いでわかった。

 大量の血。あいつは影に覆われて、動かなかった。

 血。黒い血。赤い色は見えない。

 黒い血。


 光。フラッシュライトに反射した、黒く汚れたナイフ。


 ズッ、ズズッという音。すぐにはわからなかったが、ナイフの音だ。

 刺す音。切り裂く音。何を。


『お前の飼い主死んだわ!』


 あの声。あいつの声。どういうことか。


 ふーっと、レイナが息を吐いた。見上げる。

 仕事用の派手めなメイク。色黒、目の周りや唇はさらに濃く、キラキラしているが涙とかではなく、そういうメイク。面長、ストレートの黒髪、彫りが深い野生的な顔。

 目が合った。

 自分の瞳孔が丸く、大きくなるのを感じた。

 レイナの、切れ長で大きな眼、茶色と黒い模様が混ざり合った、複雑な……虹彩


 憤怒。悲痛。喪失。悪夢。ナイフ。痛い。悲しい。辛い。

 誰が。酷い。誰だ。許さない。酷い。

 千秋。なぜ。どうして。


『お前の飼い主死んだわ!』


 あの時と同じ。

 一度眼をしっかり閉じて、また開く。

 レイナの瞳。虹彩

 

 光。フラッシュライト。光。店の照明。火。小さな炎。ライターの火。グラス。ボトル。酒。琥珀色。

 笑い声。千秋。笑い声。


 たくさんの感情、イメージ、音や匂い、光が頭の中に溢れた。全てが同時に、一瞬に。


 恐い。雄也。心配。

 涙。血。赤い血。真っ赤な血。 

 笑顔。

 千秋の笑顔。少年の笑顔。雄也。


 イメージの洪水に、目を逸らした。耳が勝手に後ろに伏せた。


 ガチャリとドアが開いて、刑事が戻ってきた。


「お待たせしました。あなたは——」

「千秋は?!死んだの?」

 レイナの指がおれの腹に食い込んだ。痛い。身を捩る。

「千秋……女性の名前ですな。源氏名?」

 指が緩んだ。逃げることもできたが、レイナの腕の中に留まる。

 

「被害者の女性は……亡くなりました。鋭利な刃物で刺された。苦しくはなかったと思います」

「そんなこと!おめーにわかるか!」

「すみません。どうか落ち着いて。詳しいことはまだこれからですし、私はお伝えできることは少ない。今はどうか質問に答えていただきたい。少しでも早く真相を突き止めるためです。いいですか?」

 

 レイナが下を向き、おれを見た。目を合わせないよう気をつけて、頭をレイナの手に擦り付ける。

「……この子は、千秋の猫なんだ。子どもみたいに可愛がってた」

「あなた方は、なぜあそこに?」

「わかんねー。いや……千秋を探してた。連絡取れなかったから。ありえねーんだ」

「なるほど。千秋さんというのはあなたの同僚ですね?本名は?」

「千秋。本名だよ」

「……あなたの本名は?」

「関係ねーだろ」

 

「そうはいかない。これは殺人事件の捜査です。別にあなたのことを知りたいわけじゃない。捜査に必要なんです」

「……るみ。浅井るみ」

「おいくつですか?」

「32」

「お住まいは?」

「……中の島。おい。ほんとに関係あんのか?」

 

「決まりなんでね。まあ後で書いていただくということでいいでしょう。被害者の女性とは?」

「同僚だって言っただろ」

「お店の外では?あるでしょう。遊びに行ったこととか」

「だったらなんだよ!千秋は……」

 レイナが言葉を詰まらせた。

 

「お友達だったんですね?すみません、私も仕事なので……あなたを疑ってるわけじゃない。どうかご協力ください。犯人が憎いですか?」

「ったりめーだろ!どこのどいつがこんな……なんで千秋が……」

「それを調べてます。あなた方は千秋さんを探していた。あの現場に行った理由は?」

「あそこに行ったわけじゃねー。通りがかっただけ。福鮨に行く途中」 

「福鮨。そこに千秋さんがいるはずだった?」

「同伴。その店かどうかは知らねー。探してたっつったろ?」

「なぜ、福鮨に?ススキノからはちょっと離れてますね?」

 レイナが刑事を睨んだ。

「よく知ってるじゃねーか。ハルカから聞いたんだろ」

 

 刑事もレイナをじっと見た。少しだけ目尻が下がった。

「後藤。金子。この2つの名前のことを教えてくれますか?」

「……守秘義務。職業上の理由で言えません」

 刑事が微笑み、ネクタイをいじった。馬の絵が描かれたネクタイ。

「厳密には貴女方のお仕事に守秘義務はありませんが、口の固い方のようだ。お客さんのことは口外しないと。貴女はこのお仕事は長いんですね」

 レイナは答えない。

 

「……まあいいでしょう。お聞きしたいことはまだまだありますが、今夜はあなたも大変ショックを受けてらっしゃる。連絡先を書類に書いてくださったら、お帰りになって結構です」

 レイナが席を立った。女性警官がドアを開ける。

「あー、もうひとつ!」

 刑事がスッと立ち、レイナを制止した。

「千秋さんと最後に会ったのは?」

「昨日店で。あーしがアフター行く前」

「連絡は?電話とか、ライン」

「今日。店来ねーからラインしたけど未読」

「そのライン、見せていただけますか?」

「ちっ」

 軽く舌打ちして、レイナはスマホを見せた。

 

「ありがとうございます。では、今夜はゆっくりお休みなさい」

 レイナはもう一度、これみよがしに舌打ちした。



 女性警官に付き添われて、部屋を出た。運転手がいた。

「高橋さん。もう終わったの?」

 高橋は頷き、自販機を促した。

「何か……飲みますか?」

「ありがと。あーしが買う。コーヒーでいい?」

 高橋に手渡された。ぎこちなく掴まれる。レイナは缶コーヒーを2本、ペットボトルのお茶を2本買った。それからおれを見た。

「おまえは……水だろ?」

 また飲み物とおれが交換され、自販機の隣の冷水器の細い蛇口の前に持ち上げられた。言われてみれば喉がカラカラだ。流れ落ちる水を、舌でピチャピチャ飲んだ。冷たかった。

「私はアルファードを取りに行きますが、玲奈さんは……タクシー呼びますか?」


「玲奈さん……」

 ハルカが、女性警官と一緒に出て来た。ボロボロの泣き顔。高橋がペットボトルを渡す。

「千秋ちゃんが……う、うう……」

「泣くな。おまえが泣いたってしょーがねー」

「……でも……そんな……」

 

「店長は?」

「まだ……かかるみたいです」

「店長は私がアルファードで迎えに来ます」

「玲奈さん……こころちゃんは?どうしたら……」

 レイナがおれの両脇から手を入れて顔の高さまで持ち上げた。両前足を突き出し、身体がだらんと伸びた情けない格好でレイナと向き合う。耳を伏せて目を細めた。離してほしい。顔や胸が水浸しだ。毛繕いしたいし、まだ知りたいことが山ほどある。

「ヮアーゥ」

「おまえ、どうする?家に帰っても、もう……あーしんち来るか?」

「ンナァ」

 嫌だ。

 

 家に帰りたい。

 あいつの家に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。