↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/18

11 にげる。

【2026年9月6日日曜日】

 レイナは丸一日、パジャマで過ごした。

 寝たきりだったわけじゃない。朝はおれたちと一緒に起きたし、ユウヤのために目玉焼きも焼いた。ベッドには戻らず、洗濯機を回して掃除機をかけた。その間、おれとじいさんはユウヤの子守り。猫じゃらしや毛の生えた小さいボールで遊んでやった。

 天気は良かったので、ユウヤは近所の子どもたちと、向かいの公園に遊びに行った。レイナはダイニングテーブルでスマホを見ていた。じいさんは寝た。


 チアキの顔が見れるかも知れないと思ってテーブルに飛び乗り、スマホを覗く。数字だらけ。

「人んちの家計簿を覗くな」

 手で払われてテーブルから下ろされた。

 レイナはスマホを置くと伸びをし、リビングの床でストレッチを始めた。パジャマのまま。

「——痛てっ!」

 途中で腰を押さえてやめる。おれはなにもしてない。

「ちっ……歳だな……」

 ストレッチは終了した。静かになったので、おれも寝た。



 ユウヤが帰ってきてレイナが昼飯を作り、午後はみんなで昼寝。夕方、2人は順番に風呂に入り、夕飯は映画かなんかを観ながらデリバリー。そして、早寝。


 のんびりした、いい休日だった。

 平穏な休日。



【2026年9月7日月曜日】

 ユウヤは学校へ。レイナも二度寝せず、早々にシャワーに行った。出掛けるのか。

 寝室で化粧をして、スーツを着て出てくる。


「もしもし。……はい。そうです。……はい。今日これから、見学って出来ますか?」

 どこかに電話している。

「——はい。じゃあ、10時ごろ伺います。……浅井と申します。……はい。よろしくお願いします」

 電話を切った。それから、リュックを持ってきて透明ドームを開けた。

「こちゃん。入れ」



 ハスラーで、南の方へ走る。

 堤防をつきあたりまで行って右折、豊平川を渡って石山通りへ。

 どこへ行く気だ?このまま行くと……定山渓?電話で見学と言ってたが、紅葉にはまだ早いはずだが。なんでおれを連れて来た?おれには赤い色は見えないし。


 レイナは藤野で国道を外れ、マンションかなんかの大きな建物が並ぶ一画で車を停めた。新しいマンションの横に、プレハブみたいな四角い小屋がある。

 プレハブの陰に、痩せたキタキツネがいた。リュックの中で一瞬緊張したが、キタキツネは車の音に驚いたのか、すぐに逃げてしまった。

 

 入り口に立っているスーツの男がお辞儀をした。

「浅井様ですね?お待ちしてました。こちらです」

 男がプレハブのドアを開けた。プレハブには不釣り合いな、立派なドア。モデルルームか。

「猫ちゃんも、どうぞ。お入りになったらドアは閉めますから、出してあげてください」

 

 モデルルームの中でリュックから出された。

 とりあえず嗅いだ。また他猫の匂い。勘弁してくれ。耳を伏せる。

「あははー、いろんな猫ちゃんが見に来てますからねー」

 中にはひと通り家具がある。平凡な家具。

 

 壁に、見覚えのある物があった。キャットタワーだ。チアキが買ってくれたのよりデカい。壁にくっついてるみたいだ。

 嗅ぐ。複数の他猫の匂いはするが、強くはない。特に誰かの縄張りではないようだ。天井まで行けそう。行くしかない。

 とりあえず一段目に飛び乗り、嗅ぐ。柱に縄が巻いてある。爪を研げというのか。今朝研いだばかりだから十分鋭いが、いいだろう。研いでやる。

 とても研ぎやすかった。バリバリ研ぐ。

 一段一段匂いを確かめながら、最上段まで登った。

 そこで終わりじゃなかった。天井近くに、歩ける棚みたいのがある。壁沿いに続いている。嗅ぎながら歩く。

 

「——このキャットウォークは——ええ。最近は——」

 レイナが男と話している。というか男の話を頷きながら聞いている。

「——シニア猫ですか?もちろん心配ありません。奥の部屋には——」

 

 壁沿いの棚は、部屋をぐるっと一周できた。しっかりしていて、狭くてちょうどいい。くるっと逆向きになり、歩いて来た道を走ってみる。

「こちゃん?落ちるぞ?」

 レイナが余計な心配をしたので、わざと飛び降りてやった。この高さならなんともないし、フローリングも見た目より柔らかい。

「あははー。元気な猫ちゃん」

 奥にドアがある。人間用の普通のドアに、小さな猫用ドア。顔で押すだけで軽く開く。便利だが、つまらない。

 しばらく、飽きずに隅々まで探索した。匂いは上書きしといた。

 この家なら、住んでやってもいい。



「こちゃん。楽しかったか?」

 帰りの車内ではウトウトしていたが、レイナがやたらと話しかけて来た。いつもよりほんの少し明るい声で。

 レイナは途中でコンビニに寄り、買って来たおにぎりをひとつ、コンビニの駐車場で食べた。おれにはまぐろチュールをくれた。そして帰宅。おれはトイレを済ませてソファで毛繕いし、寝てしまった。


 ユウヤが帰って来て目を覚ます。ユウヤが風呂、レイナがシャワー。夕飯はレイナが生姜焼きを作り、そして……出勤。



 リュックで背負われ、また地下鉄でススキノへ。駅にも地上にも、もう人が溢れている。

 レイナはスタスタと数分歩き、途中コンビニでタバコを買って新しい店のビルの近くまで来て、急に立ち止まった。交差点とかではない。おれはリュックで後ろ向きなので、なぜ止まったのかわからない。

「玲奈だけど。ビルの前にパトカー停まってる」

 レイナが電話で話し始めた。透明ドーム越しに、カレンが歩いてくるのが見える。

 

「姐さん!おはっす……え?パンダ(パトカー)?」

 レイナは振り向いたが、電話を続けた。

「——野崎……知ってる。……花恋?今来た。ここにいる。……あっそ。わかった」

 レイナが電話を切ると、すかさずカレンが話しかけた。

「あのデカ……はぁ……もうこの店まで来たんすか」

「あんたに用があるみたい。とりあえず上がって来いって」


「玲奈、花恋。おはよう」

 エレベーターを降りると、店長の声がした。まだ後ろ向きなので顔は見えない。

「真っ直ぐ待機室行って。警察の方はVIPルームで待ってもらってる」

「あたしに用なんすよね。追っ払って来ます」

 店長が止めようとしたが、カレンは手荒に振り切って店に入っていった。レイナは入り口のすぐ脇の厚手のカーテンをくぐり、カウンターの裏手になる細い通路を通って待機室に入った。

 

「おはようございます、玲奈さん」

 名前を知らない女が数人、挨拶する。

「おはよー!」

 リュックがメイク用カウンターに下ろされた。透明ドーム越しにレイナがおれを見て、にっこりと微笑んだ。今日はやけに機嫌がいい。ちょっと怖い。

「ねえ。この子、放してもいい?」

「えー!もちろんです!」

「きゃー!触ってもいいですか?」

 リュックが開いたが、出たくはなかった。

 

「ん?どした?……あー、疲れたか?好きにしろ」

「ニアゥ!」

 違う。疲れたわけじゃない。あの女たちだ。ハルカは休みらしいが、ハルカみたいのが何人も——

「玲奈さん。店長がお呼びです」

 黒服の声。待て。

「ちっ」

 レイナが待機室を出て行く。待ってくれ。これを閉めてから——

「ニャンコー!」「肉球ぷにりたーい!」「猫ってポテチ食う?」「チチチチチ」

 耳を伏せる。終わった。


 女たちの顔が近づいてきた。

「マーーーウゥ……」

 手が伸びてくる。

「シャーッ!」

「え、怒ってるー。カワイイ!」

 スマホのフラッシュが光った。大嫌いだ。

「フゥゥゥー……」

 猫パンチを放つ。牽制のジャブ。 

 女たちが少し引いた。

 

 リュックの中で背が張り付くほど後退していたが、その体勢から瞬時に外に跳躍する。女たちがびっくりして散った。飛び降りた床は部屋の奥。テーブルに飛び乗る。革製のバッグが邪魔だ。

 飛び降りて室内を疾走する。後ろ足に何か引っかかり、バッグが追っかけてくる。 

「あたしのクロエ!」

 

 立ち止まり振り返る。行手を阻む女たちの背後に出口のドア。閉まっている。飛びつけば開けられるか?

 やるしかない。

 1人が正面からにじり寄って来た。別の女は横方向から来る。その後方で、ポテチの袋がガサガサいってる。

 距離を測る。ポテチではなく、ドアとの。

 伏せて腰は上げ、左右に振ってタイミングを取り——


 その時、ガチャリとドアが開いた。

「団体の——」

 ダッシュ。ドアから入って来た黒服の足元に飛び込み、すり抜けた。

 細い通路に出た。そのまま速度を緩めず、カーテンに走る。追手の気配はない。

 カーテンの手前で止まる。たくさんの足。男たちの革靴がドカドカ通過していく。

 

 慌てず、その足元に紛れて店内に侵入した。気づかれない。

 と思ったが甘かった。

「おい、猫がいるぞ?」

 速攻で気づかれた。目の前の足の男が屈んで手を伸ばしてくる。

「フアーッ!」

 猫パンチ。右フックがヒットした。その隙に横のソファの陰に跳ぶ。

 

「凶暴だ!気をつけろ!」

「あー……お客様……」

「そっちに行ったぞ!」

「……大丈夫ですから……お席に……」

「誰か捕まえろ!」

 ソファに座っていた男の脚にぶつかった。

「こら!猫ちゃーん」

 男が想定以上の素早さでおれを捕まえた。この野郎、できる。

 

 床に押さえつけられ、ひっくり返る。

「猫ちゃん。捕まえたぞぉ〜……おわっ!」

 猫キック連続蹴り。マシンガンキック。

 自由になり、身を翻してテーブルの下を走り抜ける。男がテーブルにぶつかってグラスかなんかが転がり落ちた。

 今や店内の客も嬢も黒服も、全員がおれを捕まえようと立ち上がっていた。四方八方から追いつめられる。

 捕まってなるものか。迫り来る人間たちの足元の向こうに……ドア。店の玄関とは逆方向、店の1番奥。

 そのドアが開こうとしていた。


 他に逃げ道はなかった。腹を擦りそうな低姿勢で、人間たちの足元を縫うようにすり抜けた。ドアが開いて誰か出てくる。その足もかわして、おれはドアの奥に突入した。


 金色。金色の獣。

 空中に、金色の獣がいた。

 こないだ見た猫の神様か?

 光がない。目を開けられないほど眩しかったあの光はなく、その姿がはっきりと見えた。

 金色の獣毛。人間のような体。太い尻尾。大きな三角の耳。そして、目。

 あの巨大な目じゃない。

 糸目だが、小さな緑色の光が見える。前に突き出た口吻。黒い鼻、白いひげ袋。


 狐。

 バカでかい狐だ。

 そして、甘いミルクの匂い。


 その狐の化け物のすぐ下にボックス席があり、レイナとカレンが座っている。2人とも、目の前の化け物に気づいていない。見えていない。テーブルを挟んでレイナの向いにはあの刑事。ノザキ。レイナは険しい表情でノザキを見ていたが、おれの突入に気づいてこっちに顔を向けた。ゆっくり。

 

 ノザキの表情は虚ろ。無だ。口が半開きになり、目は何も見ていない。

 狐は、レイナを見ていた。黒い糸目の中の小さな緑の輝きが、レイナを凝視していた。

「え?こちゃん——」

 レイナの口がゆっくり動き、言葉を発した。

「——どうし」

 狐が、開いたレイナの口に頭から飛び込んで消えた。

 ……そう、見えた。何が起きた?レイナが狐を……レイナの


 レイナの唇が動き

「——おまえは——」

 レイナの声、いつものレイナの声。

 その瞳に、初めて見る緑の炎

「——使役獣か!」


 レイナが跳び上がるように立ち上がり、テーブルを越えてノザキの胸ぐらを掴んだ。ノザキは全く抵抗もせず、呆然としている。レイナがノザキを引き寄せた。そして——

 レイナの右手が、ノザキの懐から何かを取り出した。


 店のダウンライトの暗い明かりでも、それはギラリと光った。


 ナイフ。大きなナイフ。黒く汚れたナイフ。

 あのナイフだ。チアキを切り裂いたナイフ。強いミルクの匂い。


(ズッ、ズズッ)

 フラッシュライト。トンネル。黒い影。チアキ。白い反射。黒い汚れ。チアキ。反射。ナイフ。チアキ。血の匂い。


 脳裏に鮮明に蘇った光景、その中で光るナイフと同じものを今、レイナが逆手に握っている。

 その手が頭上に振り上げられ、首だけがゆっくりとこちらに回った。

 瞳の中の緑の炎が、レイナの切れ長の目から燃え広がる。

 体も向きを変え、一歩踏み出した。

 こっちに来る。

 おれを見据えて。


 ナイフがおれに向かって振り下ろされる。おれの眼が、その鈍い輝きを追う。後ろ足の筋肉が弾け、跳躍する。

 レイナの右手。

 ナイフ。

 切先を空中でかわす。

 レイナの二の腕。おれの両前足が抱きつく。さっき研ぎ澄ましたばかりの鉤爪が、柔らかい皮膚に喰い込む。

 スローモーション。全てスローだった。振り下ろされた腕にしがみつき、細い手首に——


噛(・)み(・)つ(・)け(・)


 牙が皮膚を破り肉を裂く。

 血。血の味、肉の味。


「きゃぁァアアーッッ!!」

 悲鳴。レイナの悲鳴。 

 だめだ。レイナだ。レイナの右手。ナイフ。血。

 やめろ!レイナの手だ!おれを優しく撫でたナイフレイナナイフ噛(・)み(・)切(・)れ(・)!


 コツッと、牙の先端に骨が当たる感触。

 

 ナイフが落ち、深い絨毯に音もなく転がる。

 レイナの腕が振り回される。おれごと。

 鉤爪と牙が手首を放さない。

 胸から下が宙をきる。振り飛ばされそうだが、牙は深く喰い込み、外れない。黒い血が飛び散り、レイナの左手がおれの首に。頭を後ろから鷲掴みにされ、そして——


 レイナの身体が金色になった。

 狐。さっきの化け物。

 狐の化け物がレイナと重なって、浮き出て来た。


 それが浮き上がった。

 レイナから。

 右手だけが重なったまま。右手だけが離れない。おれの口、おれの牙が、レイナの右手、化け物の金色の手を繋ぎ止めている。


 光。

 天井に小さな光、いやどんどん大きくなって、化け物の太い尻尾が、そして両脚が吸い上げられる。右手はまだおれの牙が喰らい付いているが……あの光。眩しい光。化け物は逆立ちになり、足から光に吸い込まれていく。

 化け物の手がおれの口を、スーッと通り抜けていく。甘ったるいミルクの匂い、吐き気。

 おれの牙から、化け物の手だけが逃げた。

 逆光の中、緑の炎がおれを見て——消えた。


 レイナが倒れた。目から光が消えて虚ろになり、ひゅぅっと息をしておれの頭を放し、膝をついて、突っ伏した。おれの口に血が溢れた。

 息ができない。血で溺れる。

 口を開き、牙を抜いた。さらに血が溢れた。


「……ね……姐さんッ!」

 カレンが絶叫し、おれは飛び退いた。

「救急車ッ!誰か!救急車だッ!」

 店長の声がした。

 血で咽せてゲホゲホと咳き込む。血を吐く。レイナの血を。

 カレンがレイナの傍らに跪く。すぐ脇に、禍々しいナイフの刃。

 レイナが仰向けにされ、ナイフは見えなくなった。レイナの右手を押さえながらおれを見る、カレンの脅えた目。

 

「……けだもの(獣)……」


 口から涎混じりの血が滴った。 

 おれは、何をしたのか。


 何も考えられず、体が動いた。


 おれは逃げた——悪夢のようなこの場から。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。