第9話 コマ送りの違和感
事件から数日後。
私はソラの配信アーカイブと、浅比が撮った映像を並べていた。次回作の原稿を書くためだ。
作業を効率化しようと思い、今回は浅比にも家に来てもらっていた。
本当はカフェやファミレスでもよかったのだが、売れない小説家である私はとにかく金がない。少しでも節約がしたかったのだ。
せめてもの気遣いで紙コップに安物のインスタントコーヒーを淹れて出す。彼女は一口飲んで顔をしかめた。
「マズっ……!」
それから慌てて口元を覆って言い直す。
「……美味しくないですね」
「意味、変わってないよ」
思わず苦笑する。
「コーヒーの味なんて気にする? カフェインを摂取できればそれでよくないかな」
「そんなの先生くらいです。今度、自分の家からコーヒーメーカーを持ってくるので、この家に置いておいてください」
「要らないよ。絶対に要らない」
私が必死に否定すると浅比は黙った。だが、次に来る時は勝手に持ってきそうな気がする。最近少しずつ分かってきたが、こいつはそういう奴だ。
浅比は何も言わずにデスクの少し後ろに陣取り、私の作業を見守る姿勢に入った。
私は、旧・神明トンネルの時と同じように、取材記録を細かく分解し、時刻と映像の整理を始める。机の脇にはソラから手渡された新聞記事の切り抜きも置いた。
初めのうちは至って順調だった。
浅比は私の作業をじっと見ているだけで、何か聞かない限りは口出ししてくることもない。そのほどよい距離感が妙に心地よかった。
私は今までずっと原稿を書く時は一人だった。プライベートに他人を踏み込ませるのはあまり好まなかったし、これまでこの部屋に人を上げたこともない。
だというのに、私はこれまでにない集中力を発揮できている。他人がすぐそばにいるのだから本当ならもっと落ち着かない気分になってもおかしくないはずだ。なんだか自分でも不思議だった。
今後も彼女に来てもらって同じようなやり方で原稿を進めてもいいかもしれない。パソコンの画面を見つめながらそんなことも考えた。
しかし、作業の途中でふと手が止まる。微かな違和感があった。
何かが変だ。
旧・神明トンネルは、音声に異常があった。今回は、映像そのものがおかしい。
「……ここ」
私は動画を止めた。
ソラの部屋の白い壁。
何もない。
一フレーム前も何もない。
次のフレームで、壁が一瞬だけ暗くなる。
その直後、見覚えのないものが映っていた。
古い木の柱。煤けた壁。細い格子戸。
私は手を止めた。
「何、これ」
一瞬だけ。ほんの一瞬だけだ。
ソラの部屋ではない場所が、重なっている。そうとしか思えなかった。
「浅比さん。これ」
「……何でしょうね」
彼女にしては曖昧な返事だった。
私は旧・神明トンネルのデータを開く。
前回の取材で異変が見られた箇所をコマ送りする。
トンネルの壁が歪んだ瞬間。そこにも、一フレームだけ古い木の柱があった。
私は椅子にもたれた。
偶然。たぶん偶然だ。
映像の圧縮ノイズなら、似たような形が出ることもある。
そう自分に言い聞かせる。
「浅比さん、どう思う。ただの偶然よね?」
彼女は私の隣まで近づき、画面をじっと見る。
古い柱の映像が表示されている。
浅比の表情が変わった。ほんのわずかだったけれど、私は見逃さなかった。
「もしかして何か知っているの?」
「知りません」
返事が早すぎた。この反応は、やはり何か知っているのだろう。
私は黙って浅比を見る。
彼女は画面から目を逸らし、観念したようにため息をつく。
しばらくして、バッグから小さなケースを取り出した。
「これ、母のです」
中から出てきたのは、古いビデオカメラだった。今ではほとんど見かけない型だ。
「母が使っていました」
「お母さんって……」
「私が小さい頃に、いなくなりました」
妙な言い方だった。
死んだ、とも。失踪した、とも言わない。
「警察は探しました。でも、見つからなかった」
浅比はカメラを机の上に置いた。
「家に残っていたのは、これだけです」
「中の映像は?」
「短いですけど、残ってます。見ますか?」
私が頷くと、彼女は古いテープを入れる。
画面に、暗い室内が映った。
ノイズが多い。
何かを撮っているらしいが、場所は分からない。
途中で映像が乱れる。
そして最後。古い柱と格子戸が、一瞬だけ映った。
私は息を飲んだ。
「……同じだ」
浅比は頷く。
「はい」
映像の最後に、女性の声が入っている。
遠い。酷く聞き取りにくい。けれど、確かに聞こえた。
『もうやめて。これ以上、記録しないで』
それと同時に画面が揺れ、テープが切れた。私は画面を見つめる。
「……お母さんは、何を撮っていたの?」
浅比はすぐには答えなかった。
「分かりません」
「……こんなことがあったのに浅比さんはカメラマンになったの?」
「こんなことがあったからです。……何も分からないので」
私はその言葉を聞いて、複雑な気持ちになった。
いつもなら私は、分からないことがあると、すぐに理由を探す。
原因を。由来を。意味を。
けれど、浅比は違うのだろう。
分からないから、記録を残している。
答えを得るためではなく。分からないままのものを、失くさないために。
「先生」
浅比が言った。
「取材。これからも続けますか?」
彼女の視線が不安そうに泳ぐ。その姿が、いつになく心細く見えた。取材現場ではあんなにも頼もしい彼女が、だ。
よくよく考えるとこの娘は私より四つも年下なのである。その分、人生経験も少ない。このおかしな状況。不安になっても当然だ。
私は迷った。
浅比の母親のカメラに残されていた『これ以上記録しないで』という言葉。あれが、私たちに向けられたものであるはずがない。それでも、どうにも気がかりだ。
ここで取材を打ち切るべきなのだろうか。
私は彼女の母のカメラの画面に映る古い柱を見た。
そして、自分のパソコンを見た。原稿の空白。
つい想像してしまった。浅比はどんな気持ちで母親のカメラをずっと持ち歩いていたのだろう、と。
「……続けるよ、取材」
私は答えた。
「大丈夫。こんなのきっと偶然だから」
「……だと、いいんですが」
「お母さんが残した記録だって、いつか詳しいことが分かると思う。何かあれば私も手伝うから」
「はい。分かりました」
浅比が小さく頷く。
けれど、その時の私はまだ知らなかった。
記録を文章にするとそれまで別々だったはずの出来事が、意味を持ち始めることを。
そして意味を持ったものはもう、以前と同じものには戻らないということを。
(『第2章 オカルト系配信者ソラチャンネル事件』・完/『 第3章 故・関口教授研究資料』へ続く)




