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これは実話ではありません――女二人でモキュメンタリー風ホラーの取材を始めたら、本物に侵食されました  作者: すかいはい
最終章 記録:浅比奈々・24歳女性

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第23話 壊れた観測者

 東京へ戻ってから、三日が過ぎた。


 蛇塚村で何を見たのか。人に話そうとして、やめた。


 警察には「山中で迷った」と説明した。事情を話してもかえってややこしくなりそうだったからだ。


 だから、浅比と口裏を合わせてただ迷ったという言い訳で押し通すことにした。


 訝《いぶか》しがられてあれこれと聞かれはしたが、それ以上のことを話しても証明できるものが何もないのだ。仕方がない。


 浅比のハンディカメラは故障し、何のデータも取り出すことはできなかった。


 私のスマートフォンも山中で失くした。


 取材用ノートには、村へ入る前に書いた数行しか残っていなかった。


 記録がない。証拠がない。


 それなら、あの日のことは「何も起きなかった」と言ってしまえばいい。


 警察も最後には渋々ながら納得してくれた。


 あの日、私たちは蛇塚村で何も見なかった。蛇塚村では、何も起きなかった。


 担当編集の佐久間にもそう伝えたし、自分自身でもそう思いたかった。


 ◇


 昼過ぎ、私は台所で湯を沸《わ》かしていた。


 窓の外では、電車が走っている。遠くで子供の声がする。マンションの隣の部屋からは掃除機の音が聞こえる。


 普通の街の、普通の日常。


 蛇塚村とは何の関係もない。


 私はそう思いながら、ティーパックを入れたカップに湯を注いだ。


 浅比が勝手に置いていったコーヒーメーカーを使おうかとも思ったが、使い方が分からなくて諦めた。


 慣れれば難しくはないのだろうが、どうも見様見真似でできるものでもないらしい。


 使い方を教われば済む話ではあるのだが、浅比がいる時には彼女がやってくれるのだからあまりその気にもなれなかった。


 紅茶のティーパックを揺らす。こうした日々が戻ってきたことが何よりありがたいと思う。


 その時だった。


 床の下から、低い音がした。


 ――ズ、ズズ……ズズズ……。


 地鳴りのような音。


 私は止まった。


 思わず息を吞む。何も身動きできない。


 もう一度、音がする。


 低く唸《うな》るような音だ。


 でも、聞き間違いではない。


 旧・神明トンネルで聞いた音に似ていた。


 私は机の上の新しいスマートフォンを見る。


 録音アプリを開こうとし、手が止まる。


 以前なら、すぐに起動していた。


 音源の位置を探す。時間を記録する。波形を見る。


 でも、私はやめた。


 蛇塚村で、そう決めた。


 分からないものを、分からないままにする。


 それが正しいかどうかも、分からない。


 ただ、今は試してみたかった。


 聞こえてくる音を無視し、紅茶を飲んだ。


 その音は、しばらく続いた。


 やがて音は何事もなかったように消えた。


 深く、深くため息をついた。


 ◇


 その夜、浅比から電話が来た。


『先生。今、大丈夫ですか?』

「ええ」

『今日、変な音しませんでした?』


 私は答えるのを少し躊躇《ためら》う。


「……したわ」


 受話器の向こうで、浅比が黙った。しばし間があってから彼女の声がする。


『……やっぱりそうですか』

「もしかしてあなたのところでも聞こえたの?」

『はい』


 返事はそれだけだった。


 二人とも、余計なことを言わなかった。


「カメラには残ってた?」

『試してません』

「どうして?」

『先生が、記録しない方がいいって言ったから』


 私は少し笑った。


「あなたってそんなに素直だった?」

『私はずっと素直ですよ』

「嘘だ」


 私はまた笑った。


 それだけで少し気持ちが軽くなった。


 そこからはもうあの音の話はしなかった。他愛ない話が続く。


『明日、先生の家に行きますよ。一人だと寂しいですよね?』

「子供じゃないんだから。私をなんだと思ってるのよ」

『放っておけない人だな、と思ってます』

「そういうことを面と向かって言うんじゃないの」

『電話越しですよ。面と向かってはないです』

「揚げ足を取るな」


 そう言って笑う。しばらくそんな話を続けてから「おやすみ」と言って電話を切った。


 不安な気持ちは少しだけ消えていた。


 ◇


 深夜。私は布団に入った。


 電気を消す。


 部屋は静かだった。


 しばらくして、また音がした。


 ――ズ、ズズ……ズズズ……。


 今度は少し近い。


 私は目を開けた。


 音は、床の下からなのか。壁の中なのか。それとも自分の頭の中なのか。


 分からない。


 私は目を閉じた。


 考えない。


 ただ、朝まで待つ。


 そうすればいい。


 音はしばらく続いた。


 やがて午前二時を過ぎた頃。


 ぴたりと止まった。


 私は息を吐いた。


 終わった。


 そう思った。


 その瞬間だった。


 右耳のすぐそばで誰かが息を吸った。


 すう。


 私は目を開けた。


 暗い。誰もいない。


 なのに。


 耳元に、はっきりと声が落ちた。


「……先生」


 私は動けなかった。


 それは、録音された音声ではなかった。機械で作った音でもない。


 浅比の声に似ている。けれど、彼女ではない。なぜかそれだけはハッキリと分かった。


 私はゆっくり布団を出た。


 部屋の明かりを点ける。


 何もない。


 机。本棚。窓。


 いつもの部屋。


 私はその場に立ち尽くした。


 旧・神明トンネルの取材の時に撮った音声。あそこには、私や浅比の声を真似たよう音が残っていた。


 蛇塚村で見た存在。あの姿が思い起こされる。


 背が高い男性の姿。白く空洞のような頭部。手にはカメラに似た器具を持っている。


 旧・神明トンネルで起きた出来事の通りなら、あ(・)れ(・)は人の声を真似ることができるのか。


 追いかけて来たというのだろうか。蛇塚村から、ここまで。


 ――いや、何も考えるまい。


 今度は録音しようとは思わなかった。ノートも開かなかった。


 ただ右耳を押さえた。


 そこにまだ、誰かの声が残っている気がした。

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