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これは実話ではありません――女二人でモキュメンタリー風ホラーの取材を始めたら、本物に侵食されました  作者: すかいはい
第5章 蛇塚村祭祀録

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第22話 当事者としての絶望

 車に戻った時には、二人とも泥だらけだった。


 浅比《あさひ》がエンジンをかける。


 一度目。


 動かない。


 二度目。


 セルモーターが空しく回転する乾いた音だけが響く。


「……もう一回」


 三度目も同じだった。


 車内が静かになる。


「車、後ろから押す?」


 私が言った。


「山道ですよ。無理です」

「……そうね」


 笑う余裕は、もうなかった。


 浅比が外を見る。


 村は見えない。周りにあるのは木々だけだ。


 それでも私は音を聞いた。


 ――ドン。


 遠い。


 ――ドン。


 まただ。先ほどよりも少し近い気がする。


 スマートフォンは圏外だった。私のものも、浅比のものも。


「助けは呼べませんね」

「そうね」

「よし。もう歩きましょう」


 私は頷いた。


 二人で車を降りる。


 その瞬間、山の奥から、足音が聞こえた。


 ――ザッ。ザッ。ザッ。


 一人ではない。


 何人いるのかも分からない。


 浅比が首に下げたハンディカメラを見た。そして、静かに首を振る。


「撮りません」


 私は同意するように頷く。


「私も書かないから」

「約束してください」

「ええ」


 山道を下る。


 足音は私たちの後ろから続いている。


 でも、まだ追いつかれずに済んでいるのか、近づいてきているのかも定かではない。


 途中で、浅比が立ち止まった。


「……お母さんの声がする」


 私も立ち止まる。後ろは決して振り返らなかった。


「聞こえるの?」

「はい」


 少し間があって。


「でも、記憶の中の母の声とは少し違うんです」

「どういう意味?」

「……母のカメラに残っていた音声をただ真似しているみたいな声です」


 私は黙った。


「……何て言ってるの?」

「私の名前を呼んでいます。それ以外は分かりません」


 浅比はそう答えた。それから震える声で言う。


「だから、聞かなかったことにします」


 私は頷いた。


 ◇


 やがて、古い鳥居が見えた。


 その向こうには、村へ来る時に使った道がある。


「もう少しです」


 浅比が言う。


 二人で鳥居をくぐる。


 足音が止まった。


 私はその瞬間、振り返りそうになった。


 でも、やめた。


「行きましょう」

「はい」


 歩き続ける。


 しばらくして、舗装路に出た。


 車の音がした。


 遠くに街の光が見える。


 私は膝に手をついて息を整えた。


 浅比も隣でしゃがみ込んでいる。


「……帰れた」

「まだ途中です」

「そうね」


 二人で少し笑った。


 私はポケットの中を探った。


 スマートフォンがない。どこかに落としてきたようだ


「……最悪。スマホ失《な》くした」

「まさか取りに戻るとか言いませんよね」

「まさか」


 これでスマートフォンで撮った写真や音声は全て失われた。浅比のカメラも、記録はされてない。取材用ノートには、村へ入る前に書いた文字しか残っていない。


 私はなんだか少しだけ安心した。けれど、それと同時に妙な寂しさもあった。


 ここまで来たのに何も証明できない。


 蛇塚村は本当にあった。記録祭祀所なる建物もあった。浅比の母親の名前も見つけた。


 それでも第三者に見せられるものは、ほとんどない。


「先生」


 浅比が呼んだ。


「何?」

「それでも、私は行ってよかったと思います」


 私は彼女を見る。


「どうして?」

「母が何をしていたか、少しだけ分かったから」

「あれで分かったと言えるのかしら」

「分かりましたよ」

「どんなことが?」


 浅比は考えるようにして言った。


「全てを残そうとはしてなかった、ということです」


 私は頷いた。


「そうね」

「私も、そうしようと思います」

「え?」

「全てを記録しなくてもいいんですよね」


 私は少し考える。そして答えた。


「ええ。見たものをそっくりそのまま全部、誰かに渡す必要はない」


 それは、作家としての私には難しい言葉だった。


 物語にしたい。


 意味を持たせたい。


 誰かに読ませたい。


 けれど今はそれをしない。


 ◇


 浅比の車は結局、山中にあのまま置き去りにすることにした。


 通りがかった車に助けを求め、私たちはようやく麓《ふもと》へ戻った。


 その間、私は一度もノートを開かなかった。


 浅比も、カメラを回さなかった。


 誰も何も言わない。


 けれど駅へ向かう車の中で、私はふと思った。


 蛇塚村の記録者たちも。


 昔から、こうして帰ってきたのではないか。


 何かを見た。


 何かを聞いた。


 でも、全部は残さなかった。残せなかった。


 あるいは残してはいけないと思った。


 その『余白』の中に『あれ』がいたからなのか。正確なところはまだ分からない。


 もしかすると一生分からないのかもしれない。


 でも、それでいいのだろう。


 今はそれ以上、何も考えないことにした。


 ◇


 東京へ戻る直前、私は浅比に訊いた。


「次、どうする?」


 浅比は窓の外を見ながら答えた。


「休みたいです」

「私も」


 少し間があって。


「でも、母のことは、まだ調べたい」


 私は頷いた。


「私も」

「先生は、何を調べたいんですか」


 私は少し考えた。


「小説のネタになるようなこと」

「先生らしいですけど。それだけですか?」

「それと……」


 私は眼鏡を直した。


「この世界で、私が何を見ているのか」


 浅比がこちらを見る。


「急に哲学的なことを言い出しましたね」


 私は笑った。


「まだ、自分でもどうすればいいのかはよく分からないけどね」


 浅比も、ほんの少し笑った。


 車が走り出す。


 山が遠ざかっていく。


 その時。


 私はそばに置いたバッグから、小さな紙片が落ちるのを見た。


 拾う。


 見覚えのない紙。


 蛇塚村の記録祭祀所で見たような、古い和紙だった。


 そこには、一行だけ文章が書かれていた。


『見たものがそのまま記録として残されているとは限らない』


 私はその紙をくしゃくしゃに丸めた。


「どうしたんですか、先生」

「……なんでもない」


 浅比には見せなかった。


 もう全て終わったはずだ。そう信じたかった。



(『第5章 蛇塚村祭祀録』・完/『 最終章 記録:浅比奈々・24歳女性』へ続く)

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