第19話 重ね合わされる祭事
その記録祭祀所という建物の奥には、小さな部屋があった。
床には古い木箱が積まれている。浅比が懐中電灯の光を当てた。
「ここにも何かありますよ。これも資料の一部ですかね」
「わざわざ別の部屋に保管しているということは重要な資料なのかしら」
私は、そう言いながら箱の一つを開けた。
中から出てきたのは、古い写真だった。
白黒。裏に日付が書かれている。
昭和三十六年。
祭りの日の様子らしい。
人が大勢写っている。
けれど、やはり写真の中心だけがおかしい。
何かを担いでいるように見えるのに、肝心の部分が白く抜けている。おそらく神輿か何かなのだろうが、はっきりしない。
私は写真を見つめる。
「……何かしら、これ」
「この部分だけわざと消したのかもしれませんね」
浅比が言う。
「上手く現像できなかっただけかもしれないでしょ」
「三枚ともですか? 可能性は低いと思いますけど」
彼女が写真を並べた。
同じ構図の写真が三枚。どれも中央の部分だけが曖昧になっている。
私は何も言えなくなった。
◇
別の箱には、カセットテープが入っていた。ラベルには『昭和五十一年 祭礼聞き取り』とある。
浅比が古い再生機を取り出した。
「聞いてみます?」
私は少し迷った。
「……まあ、聞くだけなら問題ないだろうし」
再生する。
ざあっ、というノイズ。
老人の声。
『昔はな、祭りの日だけは、夜中に戸を三回叩いたもんだ』
別の声が訊く。
『お祭りの日以外は戸を三回叩いちゃいけないんですか?』
『そらそうよ。よその村のことは知らんがね。この村では、みんなそう。夜中に戸は三回叩くなって言うんだ』
『それは、どうして?』
『紛らわしくなっちまうからよ。三回戸を叩かれたら、返事をしてはいかんから』
私はメモを取ろうとして、ペンを持つ手を止めた。代わりに、耳を澄ませるだけにする。
『返事をしたら、何が?』
老人が答える。
少し間があって。
『……あれが』
そこで、ぶつりと音が途切れた。
数秒後、録音が戻る。
『……だから、名前は言わんことだ』
テープの音声はそこで終わっていた。
「何を言ってたんでしょう」
浅比が訊く。
「分からない」
「また、ですか」
「ええ」
私は少し笑った。
「分からないことばかりなのにも、もう慣れてきたわ」
そう言ったけれど、本当は慣れてなどいなかった。
名前を言わない。記録の一部を欠落させる。完全な形を残さない。
村では、何かを意識的に『完成させない』風習があったように見える。
ただ、それが村で祀られている存在のためなのか、祭礼そのもののためなのか。
そこまでは分からない。
◇
棚の隅に、比較的新しいノートがあった。
私は手に取った。
最初の数ページには、村に残った人々の名前が書かれている。
過疎化の波はやはりこの蛇塚村にも訪れていた。近年になるにつれて村人の数はどんどん減っていったようだ。
それでも残った村人たちはこの蛇塚村でそれまで通りに暮らし続けていたらしい。ノートの記述からはそのことが窺える。
当たり前といえば当たり前だ。村人の人数が減ったからといって日々の生活が一気に変わるわけもない。
ノートに書かれているのは酷く普通の記録だった。
祭りの準備。食糧。家の修理。学校のこと。
そして、途中から文字が減っていく。
最後の数ページはほとんど空白だ。
最後に一行だけ。
『今年の祭りは、誰も書き役を担当しなかった』
書き役。それが蛇塚村の祭りにおける記録係なのだろう。
その下に、別の筆跡で。
『それでも、祭りは行われた』
そうあった。
私はページをめくる。
ノートのページは破れ、記録はそこで途切れていた。
「記録する人がいなくても祭りは続いた……」
私が呟く。
浅比が隣から覗き込んだ。
「じゃあ、記録することそのものが祭りというわけではなかったんですね」
「そうかもしれない」
私はその言葉に引っかかった。
これまで私は、『記録すること』がこの祭礼の――もしくは蛇塚村という共同体の鍵になっているのだと思っていた。
けれど、このノートが正しいならば、記録がなくても、何かは続いていた。
記録すること自体が『何か』の原因になっていたのではない。
ただ起きた出来事を後から確認するためのものだったのかもしれない。その逆に人間が記録したせいで、何かが変わった可能性もある。
この資料だけでは、どちらなのかは分からない。
「先生」
浅比が言った。
「こっち、見てください」
壁に、古い地図が貼られていた。
村の外。山の斜面。そして村のさらに奥に、小さな丸印がある。
名前はない。
ただ、その横に、小さく文字が書かれていた。
蛇、と。
私は地図を見つめた。
「……場所的に考えると洞窟か何かかしら」
「行きます?」
「まだ他の資料を見ていないから。念のため一通り目を通してからにしましょう」
そう答えた直後。
どこからか、太鼓の音がした。
――ドン。
私たちは顔を見合わせた。
――ドン。
もう一度。
この建物の外から聞こえてくる。
私は窓へ近づいた。
村には誰もいない。いるはずがないのだ。ここは、廃村なのだから。
それでも、三度目の音が響いた。
――ドン。
そして、静かになった。




