第14話 取材という罠
あの日、マンションの部屋を飛び出した私と浅比はあてもなく街中を歩き回った。
しかし、結局のところ私たちにはどうすることもできはしないのだ。小一時間ほどうろついてから、その事実を思い知らされただけだった。
部屋に戻り、室内をカメラで隈なく写したが、あの黒い人影も蛇のようなものも見つけられなかった。何もないのを確認すると浅比は帰っていった。本当は引き留めたかったけれど、さすがにそういうわけにもいかない。
私は、今まで通りに自分の部屋で生活を始めた。
見えない以上はいないものと思うしかないし、ただ恐ろしいからという理由で引越しなどできるはずもない。
だが、気持ちはずっと落ち着かなかった。
あれ以来、私は身の回りをスマートフォンのカメラで写すのが癖になっていた。写していないと、すぐそばに何かがいるような気がしてしまうからだ。
関口教授の研究資料の件は、黒い人影や蛇の件も含めて記録風の文章に仕上げた。『故・関口教授研究資料』と題した作品はネット上で公開されると今まで以上の反響を呼んだ。
ただし、一部だけは実話とは異なる記述にした。蛇塚村のことは作中からは全て省いたのだ。
どうしても書きたくなかった。書けば、また何かが繋がってしまう気がしたからだ。
旧・神明トンネル。ソラの部屋。関口教授の音声。そして、蛇塚村。
本当に全部が同じものから端を発しているのか。それとも、私が同じものとして見ようとしているだけなのか。
答えは出なかった。だから私は、別の取材を選んだ。
「次は、ここ」
地図を広げる。山間部にある古い洋館だった。
昭和初期に建てられた別邸で、現在はほとんど使われていない。
資料を調べていて気になったのは、この家の旧所有者だった。
かつて蛇塚村の周辺で土地を持っていた一族と、同じ姓を持っている。
それだけだった。それだけなのに、どうしても気になった。
私は担当編集の佐久間には詳細を話さず、取材先だけを伝えた。連載のヒットで気を良くしている彼は何も文句は言わなかった。
浅比には、もっと簡単に。
『明日の夜、取材に付き合って』
それだけメッセージで伝えた。
返事は数分後に来た。
『了解です』
それだけだった。
◇
山道を二時間ほど走ると、街灯が途切れた。
フロントガラスの向こうには、黒い木々しかない。
浅比が運転しながら言った。
「本当に、ここですか?」
「住所は合ってるわ」
「そうですか」
それきり、浅比は黙った。
私は助手席で、古い資料を見返していた。
洋館の所有者。建築年。改修履歴。
そこに『蛇塚村』という名前は出てこない。
ただ、最初の所有者がこの地域に移ってきた時期だけが、村の転出記録と妙に近かった。
それだけ。私はその小さな一致を、何度も読み直していた。
「先生」
「何?」
「どうして、ここを選んだんですか」
私はどう返事をするべきか少し迷った。
「……調べていたら、気になっただけ」
「どんな噂があるんですか」
それ以上は何も聞いてこないと思っていたので、少し面食らった。
「特に心霊スポットだとか事故物件ってわけじゃないわ。鬼沢家っていう旧家が所有していた別邸よ。本邸は何年も前に取り壊されたそうだけど、こっちの建物は手つかずのまま放置されているの」
「それだけですか。どうしてわざわざ取材を?」
「だから、気になっただけだってば」
浅比はわずかにこちらを見た。
「……先生。この間、研究資料の書き起こしをしている時に私が言ったことを覚えてますか。仮定の、仮定の話です」
「私たちに干渉してきている『何者か』がいるとしたら、その『何者か』には狙いがあるんじゃないかって話?」
彼女が頷く。
「今回の取材もそれと同じである可能性はありませんか?」
私が何かに影響されて取材先を決めたとでも言いたいのか。あまりに馬鹿馬鹿しくて腹が立った。
「有り得ない。今回の取材先を決めたのは私の意思よ」
「……だといいんですが」
浅比は今度こそ何も聞いてこなくなった。
やがて車が止まる。
木々の向こうに、洋館が見えた。蔦の絡んだ外壁。割れた窓。傾いた雨樋。古い建物特有の、誰も住んでいない静けさ。
「入れますかね」
浅比が言った。
「玄関は開くはずよ」
「先生、詳しいですね」
「資料に書いてあったの」
そう答えたけれど、実は少しだけ違った。
玄関の位置も。窓の数も。二階へ続く階段の位置まで。資料を見る前から、なぜか頭に浮かんでいた。
私はそのことを、浅比には言わなかった。
◇
玄関の鍵は壊れていた。浅比が押すと、重いドアがゆっくりと開く。中は暗かった。
埃。湿った木の匂い。古い布の香り。
浅比がライトを点け、私はノートを開いた。
「外観はチューダー様式だったけど、建物の内部はアール・デコ様式で造られてるのね」
「何が何ですか?」
「建築の様式よ。簡単に違いを説明すると――」
「今じゃなくていいです。帰ってから聞きますので」
「……了解」
小さく笑った。
車内では険悪な雰囲気になりかけたから、それだけのやりとりが少しありがたかった。
◇
ホールを撮影していると、浅比のカメラが急に止まった。
「どうしたの?」
「分かりません」
ハンディカメラの液晶を見せてもらう。
壁。階段。古い絨毯。
どこにも異常はない。
「再起動してみたら?」
「はい」
カメラは動き出した。
その直後だった。
――ドン。
足元から、低い音がした。
私は浅比と顔を見合わせる。
もう一度。
――ドン。
間を置いて。
――ドン。
私の胸が嫌な速さで鳴った。
旧・神明トンネルで聞いた音に似ている。けれど、完全に同じとは言えない。
「足元から響いてる。屋敷の地下に何かあるのかも」
私が言うと、浅比は首を振った。
「反響しているだけの可能性もあります。これだけだと音の方向が分かりません」
「じゃあ、上?」
「……分かりません」
二人で黙った。
すると、二階の方から。
カチリ、と。何かを押すような音がした。
浅比がすぐにカメラを向ける。私は、その背中を追った。
階段を上がる。
二階の廊下。
一番奥に、半開きの扉がある。
私は足を止めた。
その扉を見た瞬間。
妙な既視感があった。
知らない家なのに、前にも同じ場所に立ったことがあるような。
「先生?」
浅比の声で我に返った。
「……行きましょう、浅比さん」
私たちは、扉の前まで歩み寄る。
中から小さな機械音がした。
ジジジ、と。テープが回るような音だった。
だが、浅比のカメラは、手元で静かに停止している。
二人とも、そのことに気づいていた。
私は、車の中で浅比が言ったことを思い出す。
この取材先を選んだのは、本当に私の意思だったのだろうか。もう、何も分からなくなってきていた。




