北への鉄路と合理性の罠
研究室を後にした理央は、羽田ではなく東京駅へと向かっていた。
(静香さんは、私の移動速度を常に計算している。飛行機を使えば最短でバレる……。なら、あえて『計算外の鈍足』を選ぶべきよ)
理央は、学食にタブレットを置く「デコイ」を仕掛けた上で、新幹線のチケットを窓口で現金購入した。デジタルの足跡を徹底的に排除した、アナログな強行突破だ。
一方、研究室。静香は玲奈の指示を受け、端末を叩く。
「……玲奈様、理央様のタブレットが学食で『ループ再生』されているのを確認しました。デコイです。彼女は既に移動しています」
「空港の監視カメラのデータベースにアクセス(ハッキング)はできる?」
「……本来は重罪ですが、私の管理権限のバックドアを使えば、顔認証ログの参照は可能です。……ですが、羽田、成田、共に理央様のヒットはありません」
玲奈が眉をひそめる。
「……ロスト? あの子が飛行機を使わないはずがないわ。北海道までの移動効率を考えれば、空路以外は『非合理的』よ」
「……おっしゃる通りです。おそらく、直道様を再び囮にして、別の変装で搭乗した可能性が高いですわ。……新千歳行きの全便の搭乗者リストを、AIによる『骨格認証』で再スキャンします」
二人は「理央なら最短・最速のルートを選ぶはずだ」という合理的な推測に基づき、空路の解析に全リソースを投入してしまった。
その頃、理央は北海道新幹線の車内にいた。
(……お兄ちゃんはよく言ってるわ。『最短ルートは最も監視が厳しい』って。新幹線なら、時間はかかるけど静香さんのハッキング網からは外れられる……。青函トンネルを抜ければ、そこは私の独占区域よ!)
理央は機内モードにしたスマホを眺め、ほくそ笑む。
静香たちが「空路の偽装」を必死に暴こうとしている間に、彼女は物理的な距離を着実に詰め、デジタルの監視の目が届かない「鉄路」を北上していた。
実家の台所。湊は、母のスマホに届いた理央からの「二通目」のメールを見て、持っていた男爵芋を床に落とした。
「あら、理央ちゃんからまたメール。『新幹線の中で駅弁食べてるから、お兄ちゃんには内緒ね。夜には着くから、お風呂沸かしておいて』って」
「……新幹線だと!? 理央の奴、わざわざ移動効率を捨てて『情報の死角』を選んだのか……!」
湊は震えた。それは、理央が単なる「暴走」ではなく、明確に自分を「単独で狩る」ための最適解を選んだことを意味していた。
深夜。玲奈と静香は、依然として新千歳空港の到着ロビーのカメラをハッキングし続けていた。
「……おかしいわ。全便チェックしたのに、理央の影も形もない。……まさか、さらに別の経由地を?」
「……玲奈様。今、不吉な予測が脳裏をよぎりました。……もし理央様が、『効率』ではなく『隠密』を優先して、陸路を選択していたとしたら……」
玲奈の顔から血の気が引く。
「……陸路!? 東京から北海道まで、あの子がそんな泥臭い真似を……!? ……静香! 今すぐ東北・北海道新幹線の、昼以降の全駅の防犯カメラにアクセスしなさい!」
「……手遅れです。最終の『はやぶさ』は、既に新函館北斗に到着していますわ……」
実家。玄関の鍵が、ゆっくりと外側から開けられる音がした。
「……ただいま、お兄ちゃん。……玲奈さんたち、今頃空港で『幽霊』でも探してるんじゃないかしら」
扉の向こうには、長旅の疲れも見せず、勝利の輝きを瞳に宿した理央が立っていた。
東京の二人が「高効率なロスト」に陥っている間、理央はついに、お兄ちゃんとの「閉鎖的なバカンス」という独占権を手に入れたのだ。




