北の大地の絶対防壁と想定外のバックドア
羽田空港の到着ゲート前。直道が持つ「湊のスマホ」を追っていた三人は、目の前に現れた「スマホを持つだけの直道」を見て凍りついた。
「……GPSの反応は、確かにここに。……ですが、主人の物理的な実体が存在しませんわ」
静香の声が震える。
「お兄ちゃん、どこ!? どこにパージしちゃったのよ!」
「……逃げたわね。自分の端末すら囮にして、私たちの認識の外側へジャンプしたんだわ……」
三人は、一旦大学の研究室へ戻り、長期戦の構え(休み明けの待ち伏せ計画)を練り始めた。
その頃、湊は北海道の実家へとたどり着いた。
「……フッ。端末を切り離したことで、私の存在確率は日本全土に分散された。ここなら、彼女たちも手は出せない。強固な血縁に守られた、私の最後の聖域だ」
湊は、広い居間の畳に大の字になった。完璧な「オフライン・パージ」の完成である。
天才物理学者の指先は、スマホを操作する代わりに、母親に言われるがまま「男爵芋の皮むき」という原始的な作業に投入されていた。だが、湊はこの「計算外の雑用」すら、追跡者のいない平穏の一部として受け入れていた。
しかし、平和は長くは続かない。母親が鼻歌交じりにスマートフォンを取り出した。
「あら、そうだわ。理央ちゃんにも教えてあげなきゃ。あの子、湊が帰ってこないって寂しがってたものね」
「……母さん? 今、誰に何をしようとしているんだ?」
「何って、理央ちゃんに連絡するのよ。『湊も急に帰ってきたから、理央も休み中にこっちに帰ってきなさい』って。ほら、送信!」
「……っ!!? ま、待て! 母さん、そのパケットを今すぐ回収しろ!!」
一方、大学の研究室。理央のスマホが軽やかな通知音を鳴らした。画面を見た理央の目が、歓喜と独占欲でギラリと光る。
(……見つけた。お兄ちゃん、北海道にいるんだ……!)
理央は、横で真剣に「休み明けの監禁計画」を議論している玲奈と静香をチラリと見た。
(今ここで二人に教えたら、またお兄ちゃんの取り合いになる……。ここは、私だけの特権を使う時よ!)
「……玲奈さん、静香さん。私、ちょっとお腹が空いたから、学食の様子見てくるわね。……あ、お兄ちゃん探しは二人に任せるわ!」
「ええ、分かったわ。今のうちにシミュレーションを終わらせておくから」
理央は二人に悟られないよう平静を装って退出した。廊下に出た瞬間、彼女の足取りは全力疾走へと変わる。
北海道。縁側で冷えた牛乳を飲もうとした湊の手が、ガタガタと震えていた。
「……大誤算だ。デジタルの足跡を消しても、アナログの『身内の優しさ』という最強の脆弱性を放置していた……」
湊は、母親のスマホに「理央より:今から帰るね!」という返信が届いたのを見て、天を仰いだ。
「……理央が来る。しかも、あいつの性格上、この情報を玲奈たちに共有しているはずがない。……つまり、この広大な実家で、理央と二人きりの閉鎖環境が形成されるということか……!」
新千歳空港へ向かう航空機のエンジン音が、微かに聞こえた気がした。湊の「勝利」は、わずか数時間のジャガイモ剥きと共に、音を立てて崩れ去った。




