高度三万フィートの勝因と親友の懸念
那覇空港を離陸した羽田行きの便。湊は、三人に挟まれるはずだった「中央席の呪い」から解放され、直道と並んでクラスJのゆったりとした座席に身を沈めていた。
周囲に知人の気配はなく、聞こえるのはエンジンの規則正しい低音のみ。
「……完璧だ。直道、この空気の清浄さ(エントロピーの低さ)を感じるか? 地上の喧騒が、雲の下にパージされている」
「お前なぁ……。ゲートの向こうで理央ちゃんが般若みたいな顔してガラスを叩いてたの、一生トラウマになりそうだぞ。よくあんな非道なこと思いつくよな」
湊は提供された冷たいコーヒーを一口飲み、眼鏡を指で押し上げた。
「非道ではない。私はただ、空港というシステムの『仕様』を利用したに過ぎない。金属探知機というフィルターを通過した時点で、彼女たちのステータスは『クリーン』に固定され、逆流は許されない。情報とルールを知る者が勝つ。これは世界の真理だ」
「理屈はそうだけどよ。……お前、アクセサリーまで事前に仕込んでたんだろ? あの執念、ぶっちゃけ追っかけてくる三人と同レベルだぞ」
「……心外だな。私は生存戦略として最適解を選んでいるだけだ。ルームサービスを頼んだのも、リネン室に潜伏したのも、すべては静寂というリソースを守るためのコスト計算の結果だ」
直道は隣でポップコーンを頬張りながら、少し真面目な顔で湊を見た。
「でもさ、湊。お前、勝った気でいるけど、これ『報復の複利』が溜まってるだけじゃないか?」
「……複利?」
「そうだよ。リネン室でスカされ、バイキングで自爆させられ、最後はゲート越しに置き去りだ。あいつら、東京に着いた頃には怒りが臨界点を超えてるぞ。……俺が静香さんなら、お前の家の鍵を全部スマートロックに変えて、お前を家からパージするね」
湊の指が、コーヒーカップの縁で一瞬止まった。
「……静香なら、やりかねないな。だが、私の自宅のセキュリティは私が構築している。外部からのハッキングは不可能……」
「お前の妹(理央ちゃん)は、お前の寝顔の指紋でロック解除するくらいやりかねないだろ」
湊は窓の外に広がる夕闇を見つめた。
確かに、今回の沖縄編において、湊はすべての局地戦で勝利を収めた。情報の非対称性を利用し、彼女たちの「物理」を「論理」で完封した。
しかし。
帰宅した瞬間、そこには「沖縄での屈辱」を栄養にして進化した、より凶悪な包囲網が待っている可能性が高い。
「……直道。羽田に着いたら、私は自宅には戻らず、数日間研究室に籠城することにする」
「無駄だって。玲奈が『共同研究の進捗確認』って名目で、もう研究室の前にキャンプ張ってるに1票」
「…………」
湊はそっと目を閉じ、座席のリクライニングを深く倒した。
高度三万フィート。ここが、彼に残された最後の「安全なパージ空間」かもしれないという予感を抱きながら。




