学会当日演壇の上の孤独
学会会場の入り口。今回の国際学会は機密性の高い研究発表が含まれるため、厳重なセキュリティチェックが敷かれていた。湊は事前に直道と連携し、ある「手続き」を済ませていた。
そこへ、目を血走らせた理央と静香、そして不機嫌を絵に描いたような玲奈が突進してくる。
「お兄ちゃん! 昨夜はどこへ……って、逃がさないわよ! 今日は最前列で一秒たりとも見逃さないんだから!」
「……申し訳ございません。こちらの方々は、学会の事前登録リストに名前がございません。また、その……お嬢様がお持ちのその大きなカバン(中身は静香の護身用ツール一式)、金属探知機が激しく反応しております」
黒服の警備員が、理央と静香の前に立ちはだかる。
「なっ……! 私は主人の……いえ、湊様のパーソナル・アシスタントですわ!」
「お兄ちゃんの応援に来た妹を止めるなんて、人権侵害よ!」
二人は猛抗議するが、セキュリティ担当は動じない。
「……規則ですので。会場外のモニターでお楽しみください」
湊は、警備員に背を向けたまま、玲奈だけを視線で促した。彼女は学会員として正式に登録されているため、ゲートを通過できる唯一の「例外」だった。
「……玲奈。君は来るんだろう? 議論の準備はできている」
「……っ! 言われなくても、あなたの理論の穴を木っ端微塵にしてあげるわよ!」
理央と静香が会場の外へと「パージ」される絶叫を背に、湊は静寂の守られたホールへと足を踏み入れた。
ついに湊の発表が始まった。テーマは、彼が以前から研究していた日常の物理学だ。
「……今回のテーマは『トーストに塗ったジャムの粘性と、落とした時の絶望感の相関関係』についてだ」
会場の教授たちが身を乗り出す。湊は淡々と、しかし情熱的に論理を展開した。
「パンが床に落ちる際、ジャムの重みによって回転が発生する。これを事前に計算できれば、我々は二度とカーペットを汚さずに済むのだ」
完璧なプレゼン。拍手喝采……と思われたその時、最前列で少し顔色の悪い玲奈が、勢いよく挙手した。
「……異議があるわ。あなたの計算は、ジャムが『均等に塗られている』ことが前提よね? でも、人間はそんなに器用じゃない。あなたの人生と同じで、計算通りにいかない『ムラ』があるはずよ!」
会場に緊張が走る。あからさまに攻撃的な、しかし鋭い指摘。湊は眼鏡を指で押し上げ、呆れたようにため息をついた。
「……玲奈。その『ムラ』については、第5項の補足資料で説明している。……君が昨夜、バイキングであれだけの量を自分で取ってきておきながら、完食するのに必死で予稿集を読み込んでいなかったせいではないか?」
「なっ……! 誰が必死よ! 私はただ、あなたが来ると思って準備してあげたのに、来なかったあんたが悪いんでしょ! もったいないから食べてあげただけよ!」
会場の教授たちが「……食べ物の恨みか?」と困惑する中、壇上と客席で繰り広げられる高度な(?)言い争い。湊は彼女の質問を論理で叩き落としながら、心のどこかで確信していた。
(外で暴れている理央や静香がいない分、まだこれは『議論』として成立している……)
発表終了のベルが鳴った。
湊は拍手の中、壇上を降りる。玲奈は悔しそうにノートを閉じ、「……後で、ホテルのラウンジで徹底的に再議論よ!」と捨て台詞を吐いて、足早に会場を去っていった。
湊は、演壇の袖で直道と合流した。
「お疲れ。トーストの話より、昨日のメシの話の方が白熱してたな。……でも、出口は気をつけろよ。警備員が『外の二人を止めるのはもう限界です』って泣いてたぞ」
「……分かっている。情報とは優位に使うものだが、相手が『物理的な体当たり』をしてくる場合、その価値はゼロになるからな」
湊は学会成功の余韻に浸ることなく、次の「脱出ルート」の計算を開始した。




