ルームサービスの城塞とバイキングの悲劇
部屋番号を教え、正座から解放された湊は、直道と共に別館512号室にいた。
「……湊、お前さ。部屋番号教えちゃって良かったのかよ。あいつら、絶対あとで押し寄せてくるぞ」
「直道、君は私の論理的思考を過小評価している。私は『部屋番号を教える』という契約は履行したが、『夕食を彼女たちと共に摂る』とは一言も言っていない」
湊は手慣れた手つきで、客室の内線電話を取り上げた。
「……はい、512号室の湊だ。ルームサービスを頼みたい。最高級のステーキセットを二人分、至急部屋まで運んでくれ。……ああ、ドアの前に置いて合図をくれたら、自分で回収する」
その頃、ホテル本館の巨大なバイキング会場。
理央、静香、玲奈の三人は、入り口が見える「一等地」のテーブルを確保し、完璧な迎撃態勢を整えていた。
「よし、お兄ちゃんがいつ来てもいいように、お兄ちゃんの好きな『高タンパク・低脂質』なメニューを揃えたわ!」
理央の前には、湊のために山盛りになった蒸し鶏とサラダの皿がある。
「私も、主人の脳活性化に最適なオメガ3脂肪酸を豊富に含むマリネを確保済みですわ。……玲奈様、そちらの脂っこい中華は主人の体調管理に不要です」
「ふん、湊君は意外とジャンクな味が好きなのよ、幼馴染の私が言うんだから間違いないわ。……さあ、そろそろ来るはずよ」
三人は、湊が「部屋番号を教えた=降伏した」と信じ込み、勝利の晩餐を待ちわびていた。
しかし、開始から30分が経過しても、湊の姿はない。
会場の喧騒だけが虚しく響き、テーブルの上に並べられた「湊のための料理」は、少しずつ冷めていく。
「……遅いわね。湊君のことだから、エントロピーの増大を懸念して、混雑のピークを外しているのかしら?」
「お兄ちゃん、もしかしてまたどこかに逃げたんじゃ……」
「……いえ、理央様。私が先ほどフロントの通信ログを確認したところ……主人は、ルームサービスを注文し、既に部屋で完食している模様です」
静香の言葉に、会場の空気が凍りついた。
「なっ……! 部屋を教えればいいと思って、食事までパージしたっていうの!?」
「……あの男、どこまで論理を盾に私を愚弄すれば気が済むのよ!」
湊のために用意された、山のような料理がテーブルに鎮座している。
「……静香。これ、どうするのよ」
「主人のために厳選した食材を廃棄するなど、メイドの矜持が許しません。……そして、バイキングのマナーとして『食べ残し』は、九条院家の名に傷をつけますわね、玲奈様?」
「……うっ。……わ、分かったわよ! 食べればいいんでしょ、食べれば!」
こうして、自分たちの分を既に完食していた三人は、湊のために用意した「三人分以上の余剰食糧」を、胃袋に詰め込むという過酷な刑罰を執行することになった。
「……もう、鶏肉見たくない……」
「……マリネの酸味が……胃に……」
「……ふん、これくらい、学会の予稿集を読むより簡単よ……げふっ」
その頃、別館512号室。
湊は快適な室温の中で、ルームサービスの極上の肉を噛み締めていた。
「……やはり、食事は静寂の中で摂るに限るな。直道、ステーキの脂身の比率も、計算通りだ」
「お前なぁ……。本館のあいつら、今頃怒りで爆発してるか、腹がはち切れてるぞ」
「私は契約を履行しただけだ。彼女たちの『期待』という不確実な変数まで、私がケアする義務はない」
湊は、明日の学会の原稿を読み直しながら、窓の外に広がる南国の夜景を眺めた。
本館のバイキング会場で、苦しげに腹を抱える三人の執念が、この別館の強固な扉をこじ開けるまで……あと数時間。




