レッドカードと非情なる選別
リビングに響き渡る理央の絶叫と、静香の呪詛めいた指導。その狂気のシンフォニーを切り裂いたのは、玄関からの無機質なインターホンの音だった。
現れたのは、連休初日の空気にふさわしい、場違いなほど爽やかな私服姿の直道だ。
「よう湊、連休初日から精が出るな。……って、なんだこの地獄絵図は。理央ちゃんが白目を剥いて計算してるし、静香さんは般若みたいな顔でストップウォッチ握ってるし……」
「直道か。見ての通り、生存本能を用いた教育プログラミングの最中だ。何の用だ、現在はリソースの九割を理央の脳内バグ修正に割いている。手短にしろ」
「何の用だって、お前……。明後日からの旅行(学会)の準備、終わってんのか? 宿の最終確認の連絡を入れたのに既読がつかないから、心配になって寄ってみたんだよ」
俺の手から、ホワイトボードのマーカーが音を立てて床に落ちた。
……計算外だ。理央の補習スケジュールという「目の前のバグ」に対処しすぎるあまり、自分のメインタスクである旅行のパッキングを、思考のキャッシュから完全に消去していた。
「……忘れていた。理央という名の巨大なノイズの処理に、全リソースを振っていた」
「やっぱりな。で、どうするんだ? 今回の旅行、理央ちゃんも静香さんも連れていくのか?」
直道のその問いに、リビングの空気が凍りついた。
理央がペンを止め、救いを求めるような潤んだ瞳を俺に向け、静香が祈るように胸の前で手を組む。二人の視線が俺の唇に集中したが、俺の回答は既に論理的に導き出されていた。
「……いや。今回は両名とも『留守番』だ」
「「えええええええええっ!?」」
二人の悲鳴が重なり、リビングの気圧がわずかに変動した。
「理由は明確だ。理央は言うまでもなく、この連休中に全単位を補完しなければ未来がない。そして静香……お前は先ほど、私の挙動をミリ単位で収集・横領するという看過できない規律違反が露呈した。お前のような『ストレージ過積載メイド』を旅先に放てば、私のプライバシーが物理的に消失する」
俺は静香に、断罪の指先を突きつけた。
「静香、お前にはレッドカードを提示する。この家でお仕置き……もとい、理央の監視という名の『謹慎』を命ずる。旅行先へは私一人で行く」
「……なるほどな。主人の瞬き一回あたりの空気抵抗までデータ化してたのか、静香さん。それは……うん、湊。お前の判断は、今回ばかりは全面的に正解だわ。っていうか、そうしないとお前の命が物理的に危ないわ」
直道が、本気で引いたような顔で俺の肩を叩いた。親友のその同意は、俺の論理が正当であることを補強する強力なエビデンスとなった。
「そんなぁぁぁ! 監視という名の居残りだなんて! 主人、どうか、どうかその実家送りという名の『物理的隔離』だけはご勘弁を……!」
「お兄ちゃん! 一人で旅行なんてズルいよぉ! 私も連れてって、お兄ちゃんのいないゴールデンウィークなんて、ただの『苦行週間』だよぉぉ!」
「却下だ。理央、お前の絶叫は時間の無駄だ。直道、行くぞ。旅程の最終調整とパッキングを手伝え」
俺は、縋り付こうとする二人の手を論理的な速度で振り払い、自室へと向かった。
「……二人とも、私が戻るまでにこの問題集が白紙だったら、次は『ネットワーク切断(スマホ没収)』の刑だ。静香、一問のミスも許すな」
「……御意……。理央様、主人がいない寂しさを、すべてこの数式にぶつけてください……。でないと、私まで実家に送られてしまいます……!」
絶叫と嗚咽、そして狂気を帯びた計算の音が響く「教育監獄」を背に、俺は外の空気を吸った。
連休初日。俺の冷徹な「切り捨て」により、静香と理央の絶望的な共同戦線がここに確定した。




