教育監獄と私情の再評価
「それじゃあ湊君、私は大学に戻るわね。理央ちゃん、留年しないようにしっかり『教育』してもらうのよ?」
嵐の種を撒き散らした真壁教授は、満足げに手を振って去っていった。玄関のドアが閉まる音は、理央にとって自由の終焉を告げる宣告に聞こえたはずだ。
リビングには、淡々と補習プログラムを組み始めた俺と、どこか殺気立った笑みを浮かべる静香、そして絶望に打ちひしがれる理央が残された。
「……あ、あーっ! お兄ちゃん! そういえば、部屋の窓を閉め忘れた気がする! ちょっと確認してくるね!」
理央が不自然なほど素早い動きで席を立とうとする。
「待て。全箇所ロックされている。……理央、お前の逃走確率は現在九十八%を記録している。無駄な抵抗によるエネルギー消費は非合理的だ」
「うぐっ……じゃ、じゃあ、喉が渇いた! コンビニで『集中力が上がるドリンク』を買ってこなきゃ……!」
「不要です、理央様」
静香が音もなく理央の背後に回り込み、その肩にそっと手を置いた。
「脳の活性化に必要な栄養素なら、私が完璧に配合したスペシャルスムージーを用意しました。外出という不確定要素の多い時間消費は認められません。さあ、机にお戻りください」
「静香さん! さては、お兄ちゃんと二人きりで旅行に行きたいから、私をここに閉じ込めようとしてるんでしょ!」
「……心外ですね。私はただ、主人の作成した至高のカリキュラムを、一滴の無駄もなく貴女に吸収していただきたいだけです」
静香は無表情のまま、理央の前に分厚い参考書を叩きつけた。
「貴女が公式を一つ覚えるたびに、旅行中の主人の安全と快適度が向上する……。つまり、貴女がサボることは、主人への反逆と同義です。……さあ理央様、この問題集を終えるまで、その椅子と貴女の臀部を分子レベルで結合させる覚悟で臨んでください」
「……待て、静香」
俺はキーボードを叩く手を止め、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「お前の発言には、論理的な飛躍が含まれている。理央の学習進捗と、私の旅行中の快適度には、直接的な因果関係は存在しない。……お前、先ほどから教育という大義名分を利用して、個人的な願望……つまり、理央を物理的に隔離したいという『私情』を優先させていないか?」
「……。主人の気のせいです。私はただ、管理メイドとしての職務を遂行しているに過ぎません」
静香は一瞬だけ視線を逸らしたが、その口角は微かに震えていた。
「……まぁいい。動機が不純であっても、結果として理央の学力が向上するならば、それはそれで許容できる」
俺の言葉に、静香が「さすがお分かりいただけましたか」と言わんばかりに満足げに一礼する。……だが、俺はまだ言葉を止めていない。
「――ただし、静香。お前のその私情にまみれた『物理的隔離』という非合理的な執着心。それ自体が、私の旅行における最大のノイズになる可能性が高い。お前を同行させるメリットと、現地での暴走リスクを再計算する必要がありそうだ」
「……っ!? 主人、それは、どういう論理的帰結でしょうか」
静香の余裕の笑みが、一瞬で凍りついた。
「簡単な算数だ。不純な動機は不純な行動を招く。……場合によっては、私もお前も、理央の補習に付き合って自宅待機するのが、最も『安全』という計算結果が出るかもしれない」
「お、お兄ちゃん……! 私、それなら頑張れるかも! 三人で引きこもろうよ!」
「な……っ。主人の旅行を、そのような低次元な理由でキャンセルするなど、メイドの矜持が許しません!」
俺は必死に食らいついてくる静香を無視し、淡々と画面上のスケジュールを更新した。
「さあ、理央。お前のタスクは決まった。そして静香。お前の『旅行参加資格』についても、これからの管理精度次第で再評価の対象とする。……さあ、まずはこの『摩擦のない理想的な斜面』における物体の運動について、百問だ」
「理央様! さっさと解いてください! 私の、私と主人の南国バカンスが消滅してしまいます!」
「静香さん、本音が漏れすぎだよぉぉ!」
俺の冷徹な「論理」が、静香の「暴走する私情」に賛同することなく、二人を同時にパニックへと叩き落としていく。これこそが、均衡の取れた正しい教育環境だ。
(続く)




