栄養学的均衡と学食の不純物
国立SSS大学、学生食堂。
ここは本来、最小のコストで最大効率のエネルギーを摂取すべき場所だ。だが、俺の目の前にある「物体」は、その前提条件を根本から破壊していた。
「……静香。なぜ私の前に、この『茶色の粘性流体』が置かれているんだ? 私の視覚野がこれを『カレー』と認識することを拒絶しているんだが」
俺は、トレイの中央に鎮座する皿を、汚物でも見るかのような目で見つめた。
「湊様。本日の学食メニューにおいて、この『A定食』が最も提供速度が速く、時間効率に優れています。一秒でも早く栄養を摂取し、研究に戻るのが最適解です」
「……呆れるな。静香。お前の演算には『入力の質』という概念が欠落している。このカレーに含まれるスパイスの配合は、脳の活性化ではなく、単なる味覚受容体への無意味な挑発だ。特にこの福神漬けの着色料……論理的に見て、これを摂取することは自ら脳内にノイズを流し込む自殺行為に等しい」
「湊様。着色料の影響は、私の配布したナノ濾過フィルター(胃薬)で相殺済みです。さあ、どうぞ」
「拒否する。私の胃はゴミ箱ではない。不純物を分解するために無駄な内臓リソースを割くのは、非論理的だ」
「お兄ちゃん! そんな怪しいカレー食べちゃダメ! ほら、私が新しく開発した『お兄ちゃんの脳細胞を優しく保護する、完全無欠のホワイト・おむすび』だよ!」
理央が、誇らしげに差し出してきたのは、一見すると何の変哲もない白いおにぎりだった。前回の「塩おにぎり(塩だらけ)」で湊に烈火のごとく怒られた経験から、今回は視覚的エラーを排除したらしい。
「理央。……以前、私のバイタルを無視した過剰な薬剤投与は『生体テロ』だと断じたはずだ。これは本当に、ただの米か?」
「失礼ね! 今回はちゃんと学習したんだから。塩つけ過ぎてないでしょ? ……ただ、愛情を練り込んであるだけよ!」
「……理央。それはただの丸めた米では?。」
「ひどぉい! お兄ちゃんの脳をフル回転させようと思っただけなのに!」
周囲の学生たちが「あいつ、カレーと戦ってるぞ……」と引き始めている。その視線すら、今の俺にとっては計算を乱す変数でしかない。
「……湊様。私の計算によれば、このまま摂取を拒否し続けた場合、空腹による脳の処理能力低下は、不純物のノイズによる被害を五・四倍上回ります。一秒でも早く、この不純物を嚥下してください」
「静香、お前は理解していない。一度でも『非論理的な妥協』を許せば、私の思考回路はそこから腐敗し、二十万字の物語は瓦解する。……これは、真理を守るための聖戦だ」
「……湊様」
静香が、俺の耳元で氷のように冷たい、だが確信に満ちた声で囁いた。
「……湊様の現在の一連の挙動を、私の全演算機能を用いて解析しましたが。……それ、単なる『好き嫌い』ではないですか?」
「…………っ!!」
俺の思考が、一瞬でフリーズした。
静香の瞳には、一切の慈悲もない。「論理」という皮を剥ぎ取られ、剥き出しになった「ただの偏食」という真実を、彼女は無機質な視線で固定していた。
「……な、何を、根拠に……。私の拒絶は、あくまで栄養学的な……」
「先ほどの『ラッキョウ』に対する過剰な拒絶反応。および、ニンジンを避けてルーのみを掬おうとするその挙動。……論理性は皆無です。二歳下に生まれたはずのお嬢様が、年上の湊様のおむつを替えたと主張する『時空の歪み』と同レベルの、極めて低俗なバグです」
「……ぐ、」
「さあ、湊様。『あーん』です。好き嫌いは、情報のノイズ以前の、教育的欠陥です。克服しない限り、あなたの書く物語に不純物が混じり続けますよ。さもなくば、私が口移しで『強制入力』を行いますが」
そこへ理央が割って入てきて、おにぎりを無理やり湊の口へ入れこんだ。
周囲の憐れみの視線を浴びながら、俺は口にはいったおにぎりを頬張った。




