キャンパスに舞い散る、黒いフリルと赤いリボン
午前八時。国立SSS大学の正門を潜る俺の足取りは、昨日までとは異なっていた。
深夜二時の散歩を経て、脳内のノイズが整理されたのは事実だ。だが、それはあくまで「内部処理」の話であって、外部環境にこの二人が存在していい理由にはならない。
「湊様。夜間の『バグ導入』により、心拍数は極めて安定しています。本日の講義も、私が背後から完璧にサポートいたします」
二歩後ろでフリルを揺らす静香に、俺は立ち止まらずに言った。
「静香。……呆れるな。お前のその格好が、この最高学府においてどれほどの『視覚的ノイズ』を撒き散らしているか理解しているのか? 学問とは真理を探求する場であり、メイドの奉仕を鑑賞する場ではない」
「……しかし、湊様の脳のパフォーマンスは、私の管理下で一二%向上すると――」
「その一二%の向上分は、周囲の学生たちの集中力が合計で数百%低下する社会的損失によって相殺、どころか大幅な赤字だ。論理的に考えて、お前は今すぐ寮へ帰還し、背景に徹すべきだ」
「でしょー! お兄ちゃんの言う通りだよ! 静香さんは目立ちすぎ! ……ね、お兄ちゃん。私の隣なら、ただの『仲良し兄妹』に見えるから自然だよね?」
俺の腕に抱きついてくる理央を、俺は冷ややかに一瞥した。
「理央。……お前のその『指定ジャージの下に隠しきれていない制服のリボン』は、偽装工作として下策すぎる。高校生が大学に潜り込んでいる事実は、侵入罪という名の法的エラーだ。お前たちの存在そのものが、このキャンパスにおける最大の不確定要素だと自覚しろ」
一号館、大講義室。
俺が最前列に座ると、静香は当たり前のように俺の真後ろに立ち、理央は当然のように隣を占拠した。
「……湊様。脳の覚醒を促すココアです。どうぞ」
カチャリ、と磁器の音が響く。周囲の学生たちが「なんだあの異様な光景は……」と引き始めている。
「静香。……もう一度言う。ここは大学だ。なぜ講義中に銀のトレイで飲料が提供される必要がある? 脳を覚醒させたいなら、自動販売機のブラックコーヒーを自分で買う。それがこの場の最小構成なプロトコルだ」
「ですが、自販機の製品には添加物が――」
「添加物のリスクより、私の社会的信用がリアルタイムで暴落しているリスクの方が遥かに高い。お前のその過剰な給仕は、サポートではなく、私に対する『公開処刑』という名の攻撃だ」
「お兄ちゃん! だったら私が、この教室の全員の視覚情報をハッキングして、二人の姿をノイズキャンセリングしてあげようか?」
理央が不敵にタブレットを取り出す。
「……理央。お前がやるべきなのは、全校生徒の視覚をハッキングすることではなく、自分の出席日数をハッキングせずに済むよう、今すぐ自分の高校へ登校することだ。……まったく!、お前たちの行動には、一ミリの合理性も存在しない」
3.教授の困惑、そして侵食
教壇に立った老教授は、チョークを持ったまま、俺たちの席を二度見、三度見していた。
「……えー。九条くん。その、非常に……『賑やかな』受講スタイルのようだが」
「教授。申し訳ありません」
俺は立ち上がり、至極真っ当なトーンで告げた。
「背後の個体は、自己の存在理由を『給仕』に全振りした思考停止メイドであり、隣の個体は、兄への執着から教育課程を逸脱した不登校児です。これらは私の意志ではなく、不可抗力的なシステムエラーです。……講義を続けてください。これ以上のロスは、教育的資源の無駄遣いです」
「い、いや、君が一番冷静に、一番ひどいことを言っている気がするんだが……」
教授は困惑し、周囲の学生からは失笑と畏怖が混じった視線が送られる。
静香は無表情に頭を下げ、理央は「ひどぉい!」と、俺の頭を悔し紛れにポカポカと叩き始めた。
深夜二時の、あの冷たい空気の中で得た結論は一つ。
この「二人の天才」というバグは、排除しようとすればするほど、より非論理的な暴走を招くということだ。
「……呆れるな。これ以上の騒音は、私の受講効率をゼロにする。……静香、給仕は講義後にしろ。理央、ハッキングの準備をする暇があるなら、その演算能力を教授の板書の誤字修正にでも使え」
「「……善処します(ね!)」」
俺は、周囲の「ドン引き」という名の変数を無視し、ノートに数式を叩きつけた。
このカオスを支配下に置くこと。それが俺の新たな「最適解」への挑戦だった。




