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理論で恋は解けません!――天才兄貴の学術的聖域は、妹とメイドと親友のバグで溢れている  作者: 水上 空


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占有権の競合と、マイナス196度の安眠


「……静香。もう一度聞くが、これは何だ?」


俺、九条湊は、自分のデスクの横に設置された「それ」を指差して問うた。

そこには、本来あるはずのない医療グレードの酸素カプセルと、いくつものセンサーが繋がった冷却装置が鎮座していた。


「湊様の睡眠効率を最大化するための『安眠ポッド』です」


静香は、俺のベッドをテキパキと解体しながら淡々と言った。


「計算によれば、一般的な寝具での睡眠は寝返りによるエネルギーロスが発生します。このポッド内を酸素濃度30%に保ち、室温を脳の活動が停止する直前まで下げれば、4時間の睡眠で8時間分の休息が得られます。さあ、全裸になって入ってください」


「全裸……!? ちょっと、静香さん! さっきから聞いてれば、お兄ちゃんのプライバシーをなんだと思ってるのよ!」


隣のキッチンで、明日の朝食用の出汁を引いていた理央が、お玉を武器のように構えて飛び出してきた。


「お嬢様。プライバシーという概念は、効率の前ではノイズに過ぎません。湊様の細胞を最適な状態で保存することこそが、メイドとしての私の至上命題です」


「保存って言ったわね!? お兄ちゃんは標本じゃないわよ! 第一、そんなキンキンに冷えた箱に入れたら、お兄ちゃんが凍死しちゃうじゃない! 倫理的にアウトなんだから!」


理央のツッコミは、この部屋における唯一の良心として機能しつつあった。

俺はため息をつき、静香の持ってきた「液体窒素のボンベ」を指で弾く。


「静香。お前の提案は、物理的な熱交換の観点からは合理的だが、生物学的な生存本能を無視している。……呆れるな。私は研究を完遂したいのであって、冬眠したいわけではない」


「……左様ですか。論理的な拒絶であれば、今回は引き下がりましょう」


静香は無表情のまま、瞬く間にベッドを元通りに組み直した。その手際の良さだけは、確かに本職のそれだ。


「ですがお嬢様。私が引いたからといって、あなたの『添い寝による精神安定』という名の非効率な占有が許されるわけではありません」


「っ……! なんで私が添い寝しようとしてるってバレ……予想してるのよ!」


理央の顔が、一瞬で茹で上がったように赤くなる。


「お嬢様の視線が、常に湊様の頚椎から脊椎のラインをなぞっています。それは介護の視線ではなく、完全に抱き枕を求める捕食者のそれです。不純です」


「ほ、捕食者って……! 私はただ、お兄ちゃんがサボ……寂しくないように、昔みたいに……!」


「妹よ。お前が俺と一緒に寝ていたのは、お前が暗闇を怖がって泣きついてきた5歳までだ。……まったく!、理央。過去のデータを都合よく改ざんするな」


俺が釘を刺すと、理央は「ぐぬぬぬぬ」と声を漏らし、悔し紛れに俺の頭をポカポカと叩いてきた。


「もうっ! お兄ちゃんは静香さんの味方なの!? 私がいないと、この結晶女にお兄ちゃんの純潔……じゃなくて、健康管理をメチャクチャにされちゃうんだからね!」


「私は、どちらの味方でもない。ただ、この狭い寮の部屋で、お前たちが不確定な争いを続けること自体が、最大の計算違いだと言っているんだ」


俺は再び椅子に座り、専門書に目を落とした。

部屋の片隅では、静香が「次の効率化案」を練るように無言で手帳に数式を書き込み、理央はその手元を盗み見ながら「ハッキングして消去してやる」と低く呟いている。


理論上、この部屋の人口密度と感情エネルギーの総量は、すでに限界値を超えている。


「……湊様。一つ、報告を」

静香が顔を上げた。


「何だ」


「お嬢様が今引いている出汁の香りに、微量の『リラックス効果のあるアロマ』が混入されています。これは食事によるマインドコントロールの初期段階と推測されます。……お嬢様、これは倫理的にアウトではありませんか?」


「ギクッ……! そ、それは、お兄ちゃんのストレスを緩和させるための、私なりの特殊成分(愛情)よ!」


「愛情という名の薬物投与ですね。記録しておきます」


「記録すなー!」


夜の寮に、理央の叫び声が響く。

どうやら今夜も、俺が安眠ポッドなしで熟睡できる日は来そうになかった。


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