第5話「少子化の波は冷たく、ベビー用品店は温かい」
昨日の放課後は、予想外なことがたくさん起きた。
思いがけない場所で、楓さんと出会ったこと。
彼女とちょっと仲良くなれたような気がすること。
そして、一人の赤ちゃんを拾ったこと。
どれもこれも、一昨日の僕には想像もつかないようなことばかり。
そんな昨日のアレコレが夢じゃないって信じられたのは、やっぱり放課後になってからのことだった。
「なぁ、ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「なんだよ?」
「頬をさ、つねってくれないかなって」
「……うさ、お前いつもにも増して意味が分からんぞ。そんでどうして俺?」
「だって、つねられ慣れてそうだし」
「ご丁寧に後半部分にだけ答えてくれてありがとう。だがその回答は聞きたくなかったぜ」
「ほんとに失礼だよね〜。私は直接的な暴力に訴えたりしないのに。ねぇ時杉くん?」
「………………そ、そうだな」
咲良が微妙に長い沈黙を誤魔化せたかどうかは、疑問が残るところだ。
目ざとい美智流と分かりやすい咲良の間で、いつもの夫婦漫才が始まろうとしていたちょうどその時、不意に黒兎の端末が震えた。
たちまち淡い期待が胸の奥に生まれ、そして、それは間もなく叶えられる。
要するに差出人は彼女だった。
≪これからうちに来てくれない?≫
黒兎は二人から見えないように慌てて端末を机の下に隠す。
短いメッセージの後に追記される住所。
その文字列に見覚えがあることについて、罪悪感を覚えないではなかったけれど、その罪の意識をはるかに超える驚きと喜びが、一瞬にして黒兎の頭の中を塗りつぶした。
自宅への招待。
洋画なら、ダブルベッドに夜明けのコーヒーまでがワンセットなアダルティイベント。
だけど、それが学校制服着用の上となると話が変わってくる。脚本NGで、健全路線へ舵を切る必要性が俄然高まってくるのは間違いない。
というか、この文面から『そういうこと』を期待するのは、どう考えても無理がある。
とにかく、今は素直に合法的自宅訪問の機会が巡ってきたことを喜ぼう。
よし、そうと決まれば急いで駆けつけなければ。男子高校生も拙速を尊ぶべし。
……いや、やっぱり、制服は着替えてから行こうかな。ほら、汗とかちょっと臭うかも。
「ん? どした、急に帰り支度始めて。もしかして今日も呼ばれてるのか?」
「ま、まぁそんなところ。それじゃまた明日っ」
「お、おい!」
「それじゃあねぇ?」
友人たちに適当極まりない反応を返しつつ、黒兎は昨日に負けずとも劣らないスピードで教室から飛び出していった。
「……なぁ、あいついきなり慌て出したよな?」
「すごく急いでたねぇ」
「まぁ、気にしてもしょうがないけどさ」
「そうだねぇ」
「……」
「……」
「それでさっきの不自然な間は何なのかなぁ。そういう態度が誤解を生んじゃうんだよ」
「今更その話!? いや、っていうか、たぶん美智流のそういうとこが誤解の原因だと思うんだけど」
「何か言ったかな?」
「いえ、滅相もありません……」
◇
彼女の自宅は二階建ての一軒家だ。
造りは綺麗な新築で、門には豪奢な薔薇の装飾が施されている。
正直に言えば、住所も知っているし、実際に張り込んだ……もとい、見に行ったこともある。……あるんだけれど、やっぱり、いざお邪魔するとなると高いハードルがあるのも、また事実。
要するに、ただ今、黒兎がこうしてインターホンを前に目を瞑り、指をプルプルと震えさせているのも、大体が緊張とその畏れ多さのせいなのであった。
そうして、彼が一人で生まれたての小鹿ごっこを繰り広げていたとき、突如、目の前から少しくぐもった声が聞こえてくる。いつの間にか、インターホンのステータスは通話中に変わっていた。
『入って。鍵は開いてるから』
凍りついた黒兎を尻目に、重厚な門がひとりでに開いていく。
どうやら、門も立派なら警備の方も万全らしい。
ベルを鳴らすより前に向こうから話しかけてきたということは、どこかにカメラが仕込んであるということだろう。
つまりそれは、ついさっきまでの醜態を、思いっきり見られていたということでもある。
一瞬、昨晩会得した転がり芸を披露したい衝動に駆られた。が,そこは持ち前のポジティブシンキングでぐっと我慢。
……そうだ、これだけ警備がしっかりしていれば、高校生女子の一人暮らしでも安全だ。素晴らしいことじゃないか。
そう、例えば、自宅から行きつけのスーパーまでとことん調べるような執念深いストーカーに付け回されたり……だとか……そういう……とき…………。
……………………
………………
………。
「なんだか妙に時間かかってたよね? 家の前にそんなに気になるところでもあった?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど……なんというか、軽い自己嫌悪に陥っていたといいますか……」
たっぷりと時間をかけて上ったたった四段の玄関前の階段も、一昨日までの自分なら不法侵入ですぐに警備会社を呼ばれていたと思うと感慨深い。……と、いうことにしておいてください……お願いします……。
「はぁ……? まぁ、とりあえず、ちょっとここで待ってて」
「あ、はい……お邪魔します……」
黒兎は彼女に言われるがまま、数足の靴が並ぶ土間の縁に腰かける。
暫定的家主、雪見楓は、周囲をきょろきょろと見回す男子高校生を一人その場に残し、廊下の奥へと駆けていく。
土間は思いのほかシンプルな装いだった。背の低い靴入れの上にあるのは、鍵が収められた小物入れくらいのもので、写真立てや観葉植物、その他気取ったインテリアの類は全くといって置いていない。
なまじ、家の外観が高級住宅感あふれる出で立ちだったために、内と外の落差からくる違和感を覚えてしまっているのかもしれなかった。
「ごめんね、待たせちゃって」
「いえいえ、お構いなく。それで今日はどういうご用件と言いますか、呼んでいただいた理由をお聞きしたいと」
「はい、これ」
「はい……って、なんですかこれ?」
「ただのカバンだよ。トートバック。ちょっと大きめの」
それは、さすがに黒兎にもわかっていた。
たった今、楓から手渡されたのは、シンプルな肩掛けカバン。彼女の言った通り、サイズはかなり大きく、側面に黒いウサギのワンポイントが入っている。
「えっと……もしかしてプレゼントとか……!」
「違うよ」
「ばっさり!? いや、でも、わざわざ僕に買ってくれたと思えばそれはそれで」
「まぁ望月くんの名前的にもちょうどいいかなって。この前パン屋さんのキャンペーンでもらったところだったし」
「キャ、キャンペーン……」
……たしかに、よく見てみるとウサギの下に小さく製粉会社のロゴが入っている。
「ああ、でも用事が終わったらそのまま持って帰ってくれても大丈夫だよ。そういう意味ではプレゼントっていうのもあながち間違いじゃないかも」
「あ、ありがとう……ございます……?」
なんだろう、微妙に喜びづらい。
「それで、ちょっと頼みたいことがあるのよ。はい、これがリストね」
「リスト?」
彼女はそう言って黒兎の手のひらに一枚の紙切れを握り込ませる。
『ぉんぎゃあー』
戸惑う黒兎をよそに、奥から響く耳をつんざくような泣き声。
彼女はまたも慌ただしく走り去り、呆然とした様子の黒兎がその場に立ち尽くす。
彼がフリーズ状態から復帰するまでには、およそ数秒の時間を要した。
そうして、玄関に残されたのは、黒兎にトートバックと、あとは一枚の紙切れのみ。
トートバックは、手渡された時に内側外側の両方を確認している。もちろん中には何も入っていない。何の変哲も無いタダのキャンペーンのバックだ。いずれは彼女からのプレゼント第一号として愛着が湧いたりするのかもしれないが、少なくとも今ではない。
すると、残ったものは一つ。
ある種当然の帰結として、黒兎はおもむろに手元に残った紙切れへと視線を落とした。
「ゴメンね、この子ったらいきなり泣き出しちゃって」
玄関へと帰ってきた彼女は、両腕に昨日の赤ちゃんを抱いていた。
「おむつ、離乳食、おもちゃ……えっと、これは?」
「そう、それを望月君に頼みたかったの。この子は置いていけないし、かといって連れて行くわけにもいかないじゃない?」
要するに、紙切れに記されていたのは思いつく限りの赤ちゃん用品の数々だった。
「ってことで、買い出し、お願いしてもいいよね」
「……これ、絶対持ちきれないですよね。家具とかは別にしても」
「うん、多分三往復くらいかな。あ、でも今後の事を考えたら消耗品は今のうちに予備も買っておいた方が」
「いや、僕はそういうことを言いたいんじゃなくてですね……」
◇
「結局来てしまった……」
仕方のないことだった。手が離せないから、唯一事情を知る理解者に……理解者……。
「(ふふふ……僕が理解者……)」
……こほん。唯一無二の人物に頼むというのは、一理どころか十理くらいはある、きわめて合理的な選択だ。
ちなみに僕が提案した「宅配サービスの利用」というB案は、「この子に直接選んでもいないものを与えるなんてとんでもない」との反論によりあえなく却下となっている。
……冷静に考えたら、どっちにしても楓さんが直接選べていないことに変わりはないんだけどそこは大丈夫なんだろうか。気持ち自体は嬉しいし、わかるような気はするけど。
とにもかくにも、僕が今自動ドアの前に立ちつくしているのは、そういう事情があってのことだということだけは理解してもらいたい。
何しろ、ここは全国に名をとどろかす大型ベビー用品専門店の入口。
噂に聞く女性用下着専門店ほどではないにしろ、男子高校生が一人で入るには相当にハードルが高い。かといって、このまま店の前でうろつくのはもっとマズイ。
そう、もはやここは撤退の許されぬ戦場、自分の羞恥心とのデスマッチは既に始まっているのだ。
そして、黒兎には羞恥心に打ち勝つ以外にも課せられた使命があった。それは自分と楓が捨て子の親代わりとなっていることを知られてはならないということ。
J国で結婚が可能になる年齢は16歳。制度上は不可能ではないけれど、社会的には結構厳しい。僕らの身体構造上、結婚より先に子どもが生まれるなんてことはあり得ない以上、高校生プラス子持ちであることがバレた瞬間、間違いなくアウト。この瞬間だけは、余計な手間を買ってでも制服から着替えてきた自分をほめてあげたい。
ともかく、この無駄に難易度が高いミッションを無事に成功させるにあたって僕が取るべき方針は一つ。とにかく店員に気付かれないこと。怪しまれないこと。これに尽きる。
前もって調べておいた情報によると、この大型ベビー用品店は全国展開のチェーンだけあって精算は完全自動式。つまり、誰とも接触することなく買い物を終えることも可能。ただし、中には『子育てアドバイザー』なる役職を兼ねた店員が複数常駐しているらしい。
堂々と、あくまで堂々と。変に隠れようとして逆に怪しまれることの無いように。それさえ遵守すれば、勝利の芽は……ある!
黒兎は意を決して一歩を踏み出す。
自動ドアが開き、高い天井とうず高く積み上げられたベビー用品が彼を出迎える。
「えーっと、最初は……えっと、この売り場はどこらへんだ……?」
初めての場所、慣れない雰囲気、そして予想の数倍は閑散としている店内。
覚悟はしていたはずだったが、それでも入って数歩のところで戸惑い、立ち止まってしまう。
「いらっしゃいませ〜」
そして、彼の目論見が脆くも崩れ去るまでにかかった時間は、事前予想の数倍も短かった。
「何かお探しのものはございますか?」
「その……僕自身に子どもができたっていうわけじゃないんですけど、その、手が離せないからって急に頼まれちゃって」
変に対策など考えていたせいだろうか。黒兎の動揺っぷりはむしろ悪化の一途をたどっていた。下手をすれば、客から不審者へとクラスチェンジしかねないくらいに。
「お求めの商品をおっしゃっていただければ、売り場の方までご案内いたしますよ」
僕の気のせいかもしれないけど、なんだか、すごく変に勘ぐられてる気がする……。
「い、いえ、その……僕は……」
「どうぞどうぞ、ご遠慮なくおっしゃってください。最初から最後まで、丁寧にご案内いたしますので」
目が泳ぎまくっている黒兎に対して、店員のお姉さんはまったく笑顔を崩さない。むしろ、言葉を重ねるごとに笑顔から滲み出る圧力が増しているような気さえする。
「……えっと……はい、お願いします……」
そして、黒兎はついに店員のスマイルプレッシャーに敗北し、ポケットの中にしまいこんでいた、降伏の書状を差し出した。
「お買い上げありがとうございます。またのお越しをお待ちしておりま〜す」
……まさか、自動化済みのレジまでついてこられるとは思わなかった。
結局、買い物はトートバック一つの容量を大きく超え、僕の両腕には特大の紙袋が二つとバック一つがさがっている。
なんだかんだで自分と彼女が親代わりになっているということはバレなかったらしい。
ただ、現在進行形でのしかかる重みと合わせて、すごく疲れた。それこそあの腐れ教師の無茶振りに匹敵するくらいに。
最後の最後、自動ドアの外に立って見送りまでしてくれたお姉さんに、若干どころではなく引き攣った笑みを返しながら、店の駐車場を後にする。
……できれば、もう二度とここに来ることがありませんように。
一方、こちらは再びベビー用品店内。
「どうだった、さっきのお客さん」
「家族思いのイイ子だったわ。今時珍しいくらいよ」
「最近はめっきりお客さんも減っちゃったものねぇ。仕方ないことなんだけど」
アンドロイド生産工場の全面停止措置が取られてこの方、この店の売り上げは順調に減少している。今日のような平日ともなれば、店内から完全に買い物客の姿が消えることもそう珍しいことではなかった。
「きっとああいう子が将来いいパパになるのよ」
「そうね、あんな子がちゃんとパパになれる世の中になってほしいわね……」
そんな風にガラガラの店内のサービスカウンターで女性二人が雑談に興じていた時、再び入口の自動ドアが開く音が聞こえた。
「今日はなかなかいい感じね。一時間足らずで二人もお客さんが来るなんて」
近頃、ずっと暇を持て余していた二人。今度はそろって新たな客の出迎えに走る。
『は〜い、いらっしゃいませ〜』
「……えっと、その、足りないものがあったみたいで」
そう言って、つい三十分ほど前に店から去ったはずの男の子は申し訳なさそうに頬を掻く。
その表情は、心なしか少しやつれているように見えた。
◇◆◇◆◇
「次回予告のコーナー」
羞恥プレイを何とか乗り切った黒兎くん。
しかし、17歳男子の煩悩が、彼の瞳と神経回路を狂わせる。
疲れた頭と弱った胃腸には、どろっどろのおかゆが良いらしいぞ! (※根拠はありません)
次回、第6話「僕の彼女はたぶん母乳派」お楽しみに!




