第4話「廃工場の第九種接近遭遇」
今、黒兎は自分の思い人と共に坂道を上っている。
静かな街だった。お店、ビル、家と建物はたくさんあるのに、全くと言っていいくらい生活音が聞こえない。
「本当はここまで静かじゃないんだよ。でも、このあたりはゲストハウスから近いから、真っ先に退去命令が出ちゃったの」
静かだからこそ、楓さんの声がよく聞こえる。神経回路だけじゃなくて、心にまで届いているような、そんな気がする。
「でも、本当に良かったんですか?」
「うん? 何が?」
「楓さんにも用事があったんじゃないんですか?」
夕暮れ、足元に伸びる影、寂しげな鳥の鳴き声。
つまり、時間帯、ロケーション、効果音と、全てが見事に調和して、二人の雰囲気を演出していた。
今なら、楓さんの実家へご挨拶にさえいけそうな気がする。
……いや、実際、この状態で実家に行くなんてことになったら、それこそ本当にストーカー行為で現行犯逮捕コースな気もするけど。
「用事はあるけど、望月君の言ってた目的地のすぐ近くだから大丈夫だよ」
駅のホームを降りてすぐ、呉羽先生に指定された場所を告げると、楓さんは「まかせて」と胸を張って、端末の地図を呼び出すそぶりも見せずに歩き始めた。
「よし、着いたよ。ここの敷地内で良かったよね」
歩き始めてからおよそ二十分。ついぞ自分と楓さん以外の声を聞くことなく、黒兎は目的地に到着した。
『A市アンドロイド生産工場』と刻まれた何のひねりもない表札と、街と同じように人気のない巨大な建造物が僕らを出迎える。
「そうですね、ここのもうちょっと奥の方みたいです。……といいますか、こんなに正面から堂々と入って良いんですしょうか。守衛の人に呼び止められたりとか」
「あ、そういうところはちゃんと気にするんだ」
「いえ、僕一人なら、もう慣れっこですしどうとでもなるんですが、今日は……その、楓さんがいますし……」
「心配してくれるんだ。でも、それは杞憂だよ。……だって、この工場、もう閉鎖されてるから」
「え……あ、そうか」
「ほら、早いとこ用事済ましてきて、私はここで待ってるから」
そして、僕は廃工場の正面に彼女を残し、目的地へ歩き出す。
……正直に言えば、少し後ろ髪をひかれた。
それはたぶん、彼女の横顔がこの街に負けないくらい寂しげだったから。
でも、その時の僕は彼女に賭けるべき言葉を持っていなかった。
結果、僕は彼女に言われるがまま、工場の奥に向かうしかなかった。
あの理不尽教師からのお願いは、移動距離こそあったけれど、作業自体にさほど手間のかかるものではなかった。
指定された地点、工場と周囲の林の境目辺りで、アタッシュケースの中に入ったアゲハタイプ観測機十数個を野に放つだけの簡単なお仕事だ。あとは常時オンライン状態の機械式ちょうちょが勝手に蓄積したデータを転送してくれる。
ちなみに「ちょうちょ」といういささかメルヘンな形状については、顧問曰く有事の際のカモフラージュを兼ねてということらしい。
いったいどんな“有事”を想定しているのか、是非教えてほしいところだ。
ともかく、端末から顧問へとミッションコンプリートを連絡して頼まれていた用事は終了。
蝶たちの巣立ちを見届けることなく、すぐに踵を返す。別れ際に見えた彼女の横顔を思い返しながら。
いつの間にか、その歩みはずいぶんと早足になっていた。
「楓……さん……?」
黒兎が再び工場の入口へと舞い戻ったとき、彼女はまだその場に残っていた。
彼女はかつて工場だった巨大な建造物を見上げている。
夕日で赤く染まった外壁は、その半分が自身の威容から落ちる黒い影に分かたれていた。
「……政府が発令したアンドロイド生産工場の一時停止命令。そのあおりを一番最初に受けたのがここだった」
それっきり彼女は押し黙った。
黒兎がこの場所に来たのはこれが初めてだったけれど、彼女が呑みこんだ台詞の続きはなんとなく想像できた。
――おそらく、この工場が再開することはもうない。
『アンドロイド生産工場』は街に一つあるのが通例だ。
僕らは必ずそこで生まれ、そのままエスカレーター式に地元の幼稚園、小学校、中学校といった要領で進級していく。
だから、ある意味、同じクラスや学年の生徒はみんなが幼馴染みたいなもの、と言えなくもない。……彼女のようなごく一部の例外を除いて。
今のA市では、街ぐるみの移住政策がすすめられている。
空の向こうから“人間”がやってきたせいだ。
今は百人にも満たないような数だけど、そう遠くない未来、その数は万を超えて、この街に“僕ら”は住めなくなる。
つまりそれは、まもなく彼女の故郷が消えてしまうということに他ならない。
彼女にとって、避けられない崩壊と消滅の尖兵が、この、人の絶えた工場ということなのかもしれなかった。
「さ、帰ろっか」
その一言で、ひどくゆっくりになっていた時間が動き出す。
ついぞ、彼女の顔から寂寥の色が消えることはなかった。
考えてみれば、いや、考えてみなくても分かることだ。
……だって、ここは、彼女が産まれた場所なのだから。
いつの間にか、夕焼けは遠く東の空の向こうへと過ぎ去っていた。
すっかり暗くなった坂道を並んで下りる。
もう、両者ともに自分の用事は済ませている。それが、二人の間に横たわる沈黙と寂しさを助長しているのは間違いない。
だから、自分の端末に、うんざりするほど自分勝手な教師からの着信が表示された時も、実は少し嬉しかった。
『大変だ、さっきのアゲハ型観測機の内の一機がトラブルを起こした! まだ電車には乗っていないな? 至急様子を見てきてくれ。恐らく外因性の不具合だ』
静まり返った街に、不必要なほどの大声は電話口からでもよく響く。通話は向こうが伝えたいことを一方的にまくし立てるとすぐに切れた。
「……聞こえてました?」
「うん。ばっちり聞こえてた」
「じゃあ、悪いんですけど」
「一緒に付き合うよ。お墓参りは二回でワンセットだって昔から決まってるもんね」
「…………ありがとうございます」
こうして、僕たちはもう一度坂を上り始めた。心なしか下る時よりも靴が軽くなっていたような気がした。
先生から送られてきたデータによると、当該機の反応がロストしたのは、例の工場の敷地内、僕がアゲハたちを野に放った場所から、さらに奥へ入り込んだ地点だったらしい。
どうやら、そこは工場備え付けの廃棄物処理場のようだった。
周囲の目を覆い隠すように、三方を木立に囲まれたゴミの山。初めにそれを目にした時、ちょっと心が折れそうになったのは内緒だ。
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ。きっと中には紛れ込んでない。きっとそこら辺の地面に落ちてる。そうに違いない」
そんなちょっぴり現実逃避気味な願いは、案外簡単に叶えられることとなる。
「あ、あっああああ……!!」
突如、ゴミの山の向こう側から彼女の悲鳴が響く。
「どうした……あ、ああ……!」
そして、風の速さで駆け付けた黒兎の目にも、彼女と同じものが写っていた。
『赤ちゃん!!?』
二つの叫び声が綺麗に重なる。
そこにいたのは、白いおむつ姿で無邪気にアゲハ蝶の羽をむしる、赤ん坊の姿だった。
「……そんなまさか、確かにここはそういう工場だけど、赤ちゃんがそのまま捨てられてるなんてことありえない。そもそも子どもの養育は完全希望制で、でも急に決まった閉鎖のせいで混乱が、でもでもここが閉まったのはもう何週間も前のはずだし、でもでもでも……」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください! 漏れてます、なんかダダ漏れになってますから!!」
『あ゛~ん゛、あ゛あ゛あ゛~ん』
「はっ、ごめんねぇ。おねぇちゃんは怖くないでちゅよ~」
「………………」
「そこ! 引いてないで手伝って!」
「は、はいっ!」
見るも無残な姿に成り果てもがくアゲハ型観測機を放り出し、耳をつんざくような泣き声を上げる赤ん坊。その小さくも重い身体を、彼女は優しく抱き上げた。
それでもぐずり続ける赤ん坊の体を、ゆっくりと揺らしてあやす。
その様子はちょっとおっかなびっくりだったけれど、十分くらいの時間をかけて、なんとか楓さんは赤ん坊を寝かしつけることに成功した。
「ふう、どうにか泣き止んでくれたわね」
「やけに手慣れてましたね」
「そうかな?」
「それで、この子、どうしますか? やっぱり警察に……」
「それはダメ!!」
「しーっ、静かに」
「あ、ごめん……。でも、それはできないわ。今、新しく子どもをつくることは……その……偉い人の命令で禁止されてる。だから、偉い人のところに行ってもどうにもならない。もしろ最悪の場合……」
「……そんな……まさか」
「とにかく、警察は絶対ダメ」
「だったらどうしたら……」
あいにく、ウチの両親は共働きで日中は家に居ない。
彼女が一人暮らしのなのは知っている。事情はウチと大差ないはずだ。取り得る選択肢はそう多くはない。
「……ねぇ、望月くん」
今日の彼女には驚かされっぱなしだった。
学校や紙の上のデータからは分からない、いろんな雪見楓を見て、触れる事さえできた。
そして、今も雪見楓は僕の想像の遥か上を飛んでいく。
「私たちでこの子を育てちゃダメ……かな」
それは、問いかけではなくお願いだった。
それも彼女から僕へと向けた初めてのお願い。
……だから。
いや、後から思い返せば、この接続詞はあまりに言い訳じみていたけれど、とにかくその時の僕に、断るという選択肢は存在していなかった。
ほとんど反射と無意識だけで頷いた僕へと、彼女は笑いかけた。
……ああ、できるなら、この廃棄場がもっと明るかったら、彼女の顔がもっとよく見えたのに。
◇
大きな音を立ててドアが閉まる。ここは望月家の自室だ。
黒兎が家に帰る頃には、いつもの夕ご飯の時間はとうに過ぎていた。
端末には、お決まりになった両親からの『遅くなりそう』の伝言。同じく不在の妹からの連絡は入っていなかった。
帰り際に買った出来合いの総菜と冷凍の白米を温めて、一人で食卓を囲み、一番風呂に入る。
それから二十分後。
髪を乾かし終わるなりベッドに飛び込もうとして、黒兎は不意に鞄の奥に眠っているメモ帳の事を思い出した。
……結局、あの赤ん坊は彼女の家で預かることになった。
ある意味、当然と言えば当然の帰結だった。
いくら家を空けている時間が長いとはいえ、望月家の両親は立派にこの家に住んでいる。隠れて赤ん坊一人を預かるのは不可能に近い。
その点、この極めて限定的な状況において、一軒家に一人暮らしという雪見家の事情はぴったりとはまっていた。……それはそれで思うところはあるけれど。
今頃は、何かの拍子で目を覚ました赤ん坊を、もう一度寝かしつけようとしている頃合いかもしれない。
黒兎は鞄の中からメモ帳と端末を取り出した。
『その、もしよかったら、なんだけど……友達登録してくれたりしないかな』
『うん、いいよ』
端末の中には、拍子抜けするほどあっさりと入手した彼女の連絡先が入っている。
流石に悩んだ。気が付いたら端末を手に三十分くらい固まっていた。
悩んだ末に一言だけメッセージを送ることにした。
そんな、選びに選び抜いた記念すべき初メッセージがこちらである。
≪もう寝た?≫
……送ってから、三十秒くらいベッドの上を転げまわった。
「何が≪もう寝た?≫だよ!? なんだよそのチョイス!? もう三分くらい考えたらそのチョイスだけは絶対ありえないって気づけただろ!!」
ほんの少し前のどうかしていた自分に激しくツッコミながら、急いでフォローの一文を追加で送信した。
≪その……赤ちゃんは≫
そして、すぐさま通知が入っていないか横目で確認、それからまたベッドで転げまわる、と、そんな奇行を三セットほど繰り返して、やっと端末が震えた。
≪あ、今日はご飯いらないから≫
光の速さで確認したメッセージは、妹からの遅すぎる業務連絡。
「……今、そういうのいらないから」
……結局、彼女からの返信があったのは、それから十三分後の事だった。
≪うん≫
返事は簡素にたったの四バイトだけ。
「いや、でも、このシンプルさが、逆にセンスにあふれているとも言えるよね」
とりあえず、返してくれただけでも良かった。これで既読だけついた状態で返信が無かった日には、一晩眠れないままで明かすところだった。
胸をなでおろし、充電器を手に取ったところで、もう一度端末が震える。
「はいはい、知ってますよ。これは期待させといて呉羽先生の無茶振り連絡とかそういう――」
そう悪態をつきつつ端末を確認すると、今度は一枚の写真が画面に表示された。
「ふふふ……」
……そこに写っていたのは、あどけない寝顔を惜しげもなく晒したあの赤ん坊の写真。
それは、黒兎がひそかに期待していたのものとは少し違っていたけれど、自分でも頬が緩んでいるのがわかった。
「あ、そうだ、メモ帳……」
黒兎は、鞄から引っ張り出してからすっかり忘れていたメモ帳の事を思い出した。
背表紙をつまみ、彼女との約束通りゴミ箱に投下する寸前で、黒兎の手が止まる。
ほんの気まぐれ、気の迷い。そういう類のもの。
彼は何を思ったか、メモ帳の余白に一文だけ書き加えて、机の三段目の引き出しに仕舞う。
“雪見楓、16歳、K市立高校2-4、現在は帰宅部に所属、――子ども好き。”と。
◇◆◇◆◇
「次回予告のコーナー」
いよいよ赤ん坊を拾った二人。おまけに楓さんとの距離も一つ飛ばしで詰めて、淡い期待に胸を躍らせる黒兎くん。
しかし、楓さんとの子育て生活はそう甘いことばかりではなく……。
駆け足で突っ走る第二章
次回、第5話「少子化の波は冷たく、ベビー用品店は温かい」お楽しみに!




