転生者のじじょどりょく
若様が戻ったのは、小一時間ほどしてからだった。
どうしたらいいか分からなくてとりあえず部屋の前で待っていたら、奥方様の部屋から彼が出てきたんだ。
顔が、赤いような青いような、怒っているような苦しんでいるような…
私まで5歩くらいの距離を残して立ち止まると、若様はおもむろに口を開いた。
「…どうしてもしたいのなら、侍女を任せてもいい」
私はがっかりした。
半分は、侍女がつくのを嫌がった若様と交渉して、それくらいならと捜査に戻してもらえるんじゃないかと期待していたから。若様が了承してしまった時点で、私は賭けに負けたことになる。
「…分かりました」
もう消化試合にすぎないけど、それでも自分で言い出したことだから、侍女の仕事を全うしようと腹を括る。
当初の目的とは違うけど、奥方様の言うとおりこうなったら、リハビリのつもりで務めよう。それに少しでも若様の私生活の負担を減らせば、仕事がスムーズに進むかもしれない。もちろん私の望みは、別でまた考えるとして。
「今日は、もう下がれ」
お言葉に甘えようか。そう考えたとき、はっとハンナさんに言われていたことを思い出した。
どうしよう。忘れたふりをしてしまおうか…
「どうした?」
迷っているうちに若様に見とがめられてしまった。私は仕方なく、口を開く。
「その…お召し替えのお手伝いは、どうしましょう…?」
できれば遠慮したいというかちょっと勘弁というか、はっきり言ってまだ無理だ。裸の姿なんて想像するのも無理なのに着替えの手伝いなんて絶対できない。逃げるか、固まるか、泣き出す前に逃げるか、逃げ出せずに固まるか…結局手伝えないの一択しかない。
まあ、こういう聞き方をすれば若様はきっとすぐに必要ないと言ってくれるだろうと、少しずるいけどそう思ったから言えたんだ。
ところが、私の予想に反して、若様は目をかっと見開いて固まってしまった。
どうしよう、ちゃんと断ってくれないと、どうしようもないんだけど。まさか、断ってくれないなんてことは、ないよね?
「若様?あの、…お召し替えのお手伝いは…その」
「いらない!…あっ悪い」
大声に思わずびくっとした私に、即座に謝る。
「ご不要でしたか。そうですよね、分かりました」
「いや、その前に、本当に続けるのか、結局…」
もしかして、私が交渉材料にするために奥方様のお話にのったことが、若様にはもう分かっているんだろうか。私はなるべく普通の声で言った。
「ええ、ハンナさんや奥方様にも一度やると申し上げたことですから」
でもそう答えてから、急に不安になった。
若様は、もともと侍女を煩わしいからと断っていたんだ。その事が交渉材料になるならと思ったけど、失敗した今、若様が本当に嫌がることを無理矢理やろうとは思えない。
「その…ご不快でしたら、やめますけれど」
「いや!お前が不快なわけがない!大歓迎だ、が!」
若様はまた、顔を複雑な色に染めながら言葉を途切れさせた。
「…そうですか?分かりました」
侍女を止める機会を失って残念なような、不快だと拒絶されなくて安心したような、複雑な気分で部屋を下がる。第一、そもそもの目的は達成されていない時点で気分が上がるわけがない。
でも、仕方がない。
私は私で、今出来ることを探そう。
翌日、最初の仕事として、若様の起床を促しに行く。
ノックを続けても返事のない部屋の主に呆れながら、これをやるのは二度目だなと、半年前の自分を思い出す。ロンの出張中に寝坊した若様を、ハンナさんの頼みで起こしたんだ。以前とはまた違う理由で深呼吸をしてから、極力近づかないように遠巻きに歩いてカーテンを開け、声をかける。
「マーカス様!朝です、起きて下さい」
「…」
「おはようございます!もう明るいですよ」
「…まだ暗い…」
半分眠りながら口答えするとは。呆れて思わず振り返ってしまった布団の主は、綺麗な尊顔を片腕にのせて目を瞑っている。長い濃い金色のまつげが滑らかな頬に影を落とし、赤い唇はわずかに開いている。生気に溢れる瞳と快活な笑顔の抜けた彼は、びっくりするほど中性的で、無防備な天使そのものだった。
…失敗した。
見てはいけないものを見たと、当初の心配とは違う意味で後悔しながら、私はベッドへ背を向けた。
「…そんなことを言う人のことはぼん暗と申しますが、世間は明るい朝ですので」
なるべく大きな声で言い切って、とどめに窓を全開にした。
びゅおおと真冬の冷気が吹き込んで、さすがの寝坊助も布団ごとぶるりと震えた。
寝起きの若様は数秒ぼおっと私を見たあと、はっと飛び上がってがばりと布団を被った。
「おはようございます、マーカス様」
「お・おおおおはよう!」
まだ寝ぼけているのか言葉がおぼつかない。起き上がった若様は、もうどこも女性的には見えなかった。ただ、フワフワの金髪があっちこっちに跳ねているほかは羽布団に埋もれている姿が男の人というよりも子どもみたいで、これには少しほっとした。
「二度寝はしないでくださいね」
こくこくと布団の山がうなずくのを見届けて、寝室を出て ほっとした。
着替えを自分でしてもらうことにして朝食の準備に向かう。いつもはハンナさんが運ぶだけ運んで、後は自分でセットしているというけど、今日はテーブルの上に並べてみた。マリエさんが私の部屋でしてくれていたことの真似だから、間違えているかもしれないけど、それは自分で直してもらえばいいとして。
ご飯の間にベッドルームに置かれた籠をもって洗濯室へ向かう。籠には脱いだパジャマなんかの洗濯物が入っているけど、意識してはいけない。
戻ると、若様はもう食事を終えていた。
なんて早食い。たっぷりあったかりかりぺーコンもオムレツも温野菜サラダもその他あれやこれやも全て、きれいに消えている。昼食はそれなりに時間をかけて食べていると思っていたけどアレは合間におしゃべりをしているせいで、食べること自体は速いようだ。まあ、なんでも早い人だから、らしいと言えばらしいけど。
「ヘスター。お前、この後はどうするんだ」
紅茶を飲み終わった若様に聞かれて、私は手を止めて答えた。
「9時前には執務室に参りますが」
まだ、若様が捜査に戻してくれるっていう期待を捨ててはいなかったから、そう言った。
若様は私をじっと見つめた後、頷いた。
「…そうか」
私の期待は、この日も叶えられることはなかったけど。
5時まできっかり執務室で過ごして、それから若様の部屋を掃除した。夕食はライナス様ととるからそちらに任せればいいとハンナさんが言ってくれて、若様の帰宅予定時間まで身体が空いた。
チャンスだ。
私は急いで自室に戻った。
お城の中から一個人としてできることは限られている。それでも、動くのを止める気にはなれなかった。
ここからでも空話ならかけられるし、手紙なら書ける。
街の噂なら、ギルに聞けばまた新しいことがわかるかもしれない。
女の子の流行なら、黒猫屋に聞けば分かるかもしれない。
「…もしもし」
私は手始めにギルに掛けた。
「…それで、知っていることがあれば教えてほしいの」
自分が城にいる経緯だけぼかして、例の信者情報について尋ねる。ギルは街の自警団の一員だし、学生時代からみんなに頼られる中心人物だった。だから、続報を求めるならギルが最適だと思った。
ギルは空話の向こうでしばらく沈黙したのち、口を開いた。
「仕事、まだ続けるのか」
内容が唐突だったから、私は一瞬止まってしまった。
「まだ分からないよ。また新しく詐欺の手口が出てきたんなら、その対策も…」
「お前、それでいいのかよ」
「え」
「利用されてるだけだろ、貴族様達に。そうやって城の中に閉じこめられて、転生者だって言って役職つけて持ち上げても、知識を全部聞き出せばお払い箱だ」
「…それは」
別に。言えないだけで、本当は閉じこめられているわけじゃないし。それに、この事件さえ終われば、お払い箱でもいいんだ。でも、どうしてギルからこんな言い方されなきゃいけない?
私には、顔の見えない空話の向こうの彼がどんなことを考えているのかさっぱり分からなかった。
「お前、痩せたし。なにも向かないことさせられてお前が苦しむことないだろ」
…やらされてるわけじゃない。苦しむからやるななんて、言われたくない。私は、頼み事をしていることも忘れてむっとした。
「それでいいし。向かなかろうが、やるって決めたの。私自身が、やりたいことなの」
思った以上に硬い声が出た。
そうか、と言ったギルがどんな顔をしていたかは、分からない。きつい言い方に後悔した私が何か言うより早く、ギルが言った。
「…消えた子の親だけど、探すのを諦めたって聞いた。娘から手紙が来て、駆け落ちだから探さないで欲しいって書かれてたって。それで俺らも、手を引いたんだ」
感じの悪い返事をしたのに律儀に答えてくれたギルに感謝しつつ、急いで聞き返す。
「手紙が来たの?それ、本人の?」
「知らないけど、そうなんじゃねえの。親が認めてるんだからさ」
「その手紙、借りられないかな」
この国の郵便物には消印なんてない。でも、郵送ならそれなりの表書きとか、お金を払った印だとか、そういうものが残っている。
無理は承知で頼み込んだ私に、ギルも、『期待はするな』と言いつつ引き受けてくれた。
ほっと一つ息を吐いて、それからまた空話を握る。
「はい、もしもーし」
「黒猫屋?私、ヘスター」
「おお!もういいのかぁ?」
「うん。心配ありがと。あと、マカロンもごちそうさま」
黒猫屋は私が駅で倒れたことをいち早く聞きつけて、お見舞いに私の好物を届けてくれていた。
「あのさ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだよ。協会がらみか?それとも、また事件?てか、お前、もう仕事してんの?大丈夫かよ」
少し声音を変えた黒猫屋にどちらともとれる曖昧な返事をして、さっと話を進める。
「ちょっと、若い女の子に詳しい黒猫屋に聞きたいことがあるの。あのね、最近女の子にはやってる、やせ薬とか、おまじないとか、知らない?」
「…まあ、なんかお得意さんがちらっとそんなこと言ってたかもしんないけど」
「それ、詳しく聞かせて」
「詳しくったって、大したこと知らないって。痩せたんじゃないかって聞いたら、『わかる?おまじないの成果ね~』って浮かれてただけで、ダイエット法なんて詳しく聞かないし。ああ、ちょっと顔色悪かったから、えくぼが魅力的なんだから痩せすぎないでって伝えたかな」
これは、絶対だ。
「その人の名前、教えてくれない?」
私が勢い込んで言うと、黒猫屋は渋った。
「あのね、ヘスターちゃん?顧客情報をそんな簡単には教えらんないって。事件ならさ、若様がちゃんと説明して正式要請してくれるだろ。そしたら協力するから落ち着け、な?」
「…わかった」
空話を切ると、私はため息をついて机に突っ伏した。
黒猫屋は駄目だったかあ。やっぱり、ちゃらちゃらして見えても、彼は商売人だ。きちんと手順とか守秘義務とか、そういうものを考えるのは黒猫屋の立場からしたら当然のことだから、無理は言えない。
まあ、収穫もなかったわけではないし。
黒猫屋の顧客にもやっぱり同じような症状の人がいるってこと。
それから、ギルから聞いた手紙のこと。本当に駆け落ちなら、最初っから探さないで欲しいと書き置きしていけばいい。わざわざ後から手紙を出したのは、逆に怪しいと思う。探されているのを邪魔に思った誰かが、書かせたのかもしれない。
手紙が手に入れば、また何か分かるかもしれない。
私はどきどきしながら、執務室に戻った。
侍女 かつ 自助努力 です。




