転生者のじじょじじょう
翌日の昼、戻らない予定の若様が帰ってきた。
「話がある。来い」
いつも通りの、命じ慣れた人間らしい言い方だ。
私は運び出した土偶を土に戻そうと裏庭で奮闘していたところだったけど、大人しくついていって、若様の部屋に入った。
狭いわけではないけど、執務室に比べると密室を感じさせる空間だ。それでも、えいと思い切って扉を閉める。
若様があ、と困ったような顔でこっちを見た。
「話をするのですよね?」
わざわざ執務室ではなくてこっちにきたってことは、聞かれては困る内容なんだろう思ったから、閉めたのに。不思議に思っていると、疲れたように片手で額を抑えられた。
「…まあ、いい。そこに座れ」
だんだん声に苛立ちが混ざってきたのが分かったから、素直に腰掛ける。若様は座らず、私から離れた窓際に立った。
「単刀直入に言う」
言われたとおり長椅子に座って何を言われるかと待つ私を、若様は怖いほど真っ直ぐに見て、言った。
「捜査にはしばらく関わらないで欲しい」
…すっと額が冷たくなった気がした。
分かっていても、直接言われるとまた…
目眩を感じる私に若様は、抑えきれない苛立ちを吐き出すような息を吐いた。
「黒猫屋から連絡があった。お前、勝手に連絡をとったらしいな」
ああ、それで。私は、どんどん頭の芯が冷えていく中で口だけを淡々と動かした。
「何もこちらからはしゃべっていません」
若様がぶんとひとつ首を振り、金の髪がきらきらと乱れる。
「そういうことじゃない。そうじゃなくて。…捜査に関われば、どうしても聞きたくない言葉や見たくないものに触れることになる。捜査から遠ざけているのは、お前に辛い思いをさせたくないからだ」
私もまた、凍ったように冷たい首をきっぱりと横に振った。
「辛くなんて。むしろ私は」
「頼むから」
私の言葉は、若様のよく通る声に遮られた。
「事件のことはとりあえず忘れて、ゆっくり療養してほしい。…自分を大事にしてくれ」
そのとき、私の中に強い思いが沸き上がった。
喜びでも、感謝でもない。
むしろなぜ思うようにさせてくれないのかという怒り、憤り、憎しみにも似た思いだった。
ああ、この凍えるような冷たさは、怒りのせいなのか。
凶暴なほど激しいそれは、私の胸を突き破るようにして言葉になる。
「…大事に決まってるじゃないですか!」
若様がびっくりしたように目を丸くした。
「大事にしてくれですって?言われなくたって私は、自分が大事ですよ。忘れろですって?それができれば、とっくにそうしていますよ!」
「ヘスター?」
「そんなの無理だから、だから仕事がしたいと言ってるのに!そうしないと、私が、生きていけないから!」
あまりに大きな声を出したせいで息が切れて、私は肩で息をした。それでも少しも熱くないし、荒ぶった気持ちは収まっていかない。
「おい、大丈夫か…」
若様の気遣うような戸惑ったような顔に、また怒りが湧く。私を気遣ってくれる気なら、どうして私を邪魔するんだと。ここまで言っているのに、何を戸惑っているんだと。
今や指先までが雪か氷で出来ているように、握った拳は冷たくて開きようもない。それなのに、唇だけが勝手に動く。
「捜査をさせてもらえないから、私、自分で動くことにしたんです」
「落ち着け」
「気に入らないなら首になさって下さい!私は一人で勝手に調べて、犯人を捕まえますから」
「ヘスター」
「やめろといったって、首にされたって、絶対、やります。やらないと駄目だから。もう」
「分かったから、少し落ち着け!」
大きくなった若様の声に、反射的に身体がびくんと震えた。
それを見た若様が、凍り付いた。
それで、二人固まったまま馬鹿みたいに見つめ合うことになる。
凍り付かせてしまったことに気付いて、その分私の温度が、戻る。
「…お前の望みは、分かったから」
いつもの半分くらいに抑えた声量で、なだめるように、若様が言った。
私は、いたたまれなくなって俯いた。
迷惑かけた上に心配してくれた相手に、勝手に怒って、あげく怯えて気を使わせて。
自分の不安定さが、恥ずかしい。
膝の上の拳を見つめる私に、静かな声が降ってくる。
「捜査に戻りたいなら、もう止めないから。だから、落ち着け。どこかへ行こうとか、一人でなにかしようとか、それだけはやめろ…頼むから」
最後の一言は、囁くほどに小さな声だった。
命じることに慣れた人の、懇願。さっきも言われたその言葉に込められた思いが、今度は私の胸をちくりと刺した。じわりと、そこからまた氷が溶ける。
「…私」
「うん」
息を整える私を、若様は待ってくれた。
「犯人を捕まえないとと思うのは、自分のためで。どうしてか、そうしないと、自分がもう一度死にかけているような、苦しめられているような、気がして」
「…うん」
「私、本当は、助けられたかった。前世で、誰にも助けてもらえないで死んじゃった自分がかわいそうで、悲しくて」
「うん…」
「…だから今までだって多分、無意識だったけど、自分の代わりに助けていただけで。自分のためなんです」
ああ。言わなくていいことまで言っている。利己的できれいじゃない自分の内情なんて、わざわざここでばらす必要ないのに。
でも、若様の声は優しかった。
「それのどこが悪い。同じ目にあっても、多分私ならあっさり忘れて人のことなど気にも留めずに生きる。恨んで、自分がされたことを人にしてやろうと思うやつもいるだろう」
そうだろうか。
私は、疑り深く言った。
「優しさで人を助けたいわけじゃ、ないんですよ」
いつの間にか近づいていた若様が、私の数歩前に片膝をついてしゃがんだ。俯いていた私の目に、目を合わせてくる。
「誰もがお前と同じように他人を助ける方向に行動できるわけじゃない。だから、ヘスター、お前はちゃんと、優しいよ。優しくて、私が思っていたよりずっと、勇ましい」
私は、なんと言っていいか分からなくなった。話がそれたことにも気付いていたけど、もうどうしようもない。
「私が出会ったのがお前で、本当に良かった」
…そんなことを、弱っているときに言う。
この人は、分かっているんだろうか。私が今、ふとした瞬間に落ち込んで卑屈な考えに陥りそうになることを。自分が愚かで醜くてどうしようもない気がして、そのたびに奥方様の言葉を思い出して深呼吸していることを。若様のことだから、きっと分かっていないんだろう。それなのに、私を肯定して、心底そう思っているというように目を輝かせて褒め称えてくる。
苦しいこと、悲しいこと、話がそれて漏れただけの些細な卑屈まで、この人の前に出すと、夏の日差しに照らされた氷のように、溶けて地面に染みこんでいく。
私は泣きたくなって困った。俯いても、しゃがみ込んだ若様から顔を隠すことは出来ない。
「私が悪かった。お前に、自分の思う最善を押しつけようとした。お前の気持ちをちゃんと聞いて、考えるべきだった…母上にもロンにも、言われていたのにな」
違う、本当は若様は悪くない。
それなのに謝ってさえくれた彼は、とどめに新緑の色の瞳に慈愛を湛えて、こう言った。
「一緒に、悪いやつを捕まえよう、な?」
とうとうこぼれ落ちた涙を見つめて、若様が困ったように笑った。
「ぬぐっていいか?」
情けないけど、それはまだ無理だった。
自分から心の準備をして近づくのと、触られるのはまた違った。それでも、言われた内容は優しくて、温かくて、嬉しくさえあった。怖いのに、なぜなんだろう、断りたくないと思った。
だから、答えないでハンカチを持った若様の指先を両手でつかんだ。
自分の濡れた頬を覆うように、その白い布を導く。
触れた瞬間、震えが走ったのは、私だけではなかったと思う。
そのことに、私は涙を流しながら笑ってしまった。
「そういうわけなら、びしばし仕事を振る」
さすが、安定の『ロン貴様』。
私が若様と合意に達して執務室に戻ると、ロンはすぐに山ほどの仕事を私のデスクに積み上げた。
「これが、疑わしい毒物をピックアップしたもの」
「こっちが失踪した娘の家庭環境」
「これは、街で噂の調査をした報告。明日までに読んで疑問点をまとめろ」
…いや、勿論、嬉しい。ずっと読みたかった捜査資料だから。
でもそれとは別に、お前は鬼か、と言いたいのは、その量が尋常でないからだ。いつか禿げて銀髪ガッパになれと呪ってきたけど、実はすでに妖怪の類だったか。
徹夜を覚悟していた私の前から、あっさり若様が山の半分以上を取り上げていった。
「捜査をする以上、私の指示を聞いてもらう。体調管理が最優先だ」
これに対してロンは意外にも異議を唱えなかった。ここでまた門を閉じられては大変なので、私も生真面目に頷いてみせた。
すると、若様はよくできましたと言わんばかりににっと唇の端をあげて笑った。久々に見る快活な笑顔だ。
「そっちの山は今日読んでもいい」
素速く書類の山を胸に抱くと、やっぱり、ようやく救命胴衣を手に入れたようにほっと気持ちがほころんでいくのを感じた。
これで、私もちゃんと動ける。息をすることができる。
「ありがとうございます…!」
お礼を言ってから、私からも報告することがあったことを思い出した。
「あの実は、ギルから事件に関係しそうなものが届いているのです」
手にはいるか分からないといいながらも、ギルは今朝早速例の手紙を届けてくれていたんだ。それを説明すると、若様は一瞬嫌そうに眉を寄せた。
「お前、そんなことまでしていたのか…」
「マーカス、終わったことだ。事件の物証は歓迎する」
すっと手を出して待つロンに、執務室の机から出した手紙を包み紙ごと渡す。
ロンは、私がその手に載せ終えるまで、全く手を動かさなかった。徹底して、一定の距離以上自分から近づかないようにしてくれる。本当に感謝してるけど、いちいちお礼を言えば否定されるだけだと分かっているから、私は無言で気持ちを込めて見つめた。
すると、すいっと目が逸らされた。
…まあ、これがロンだ。つれないけど、それでも誰より細やかに気遣ってくれる。きっと、最初のあのとんでもない書類山積みもロンなりの何かだ。多分。まあだから、私はいろいろ気にしないことにした。
「…手紙はこちらで調べておく」
「よろしくお願いします」
そこで若様が口を挟んだ。
「あ、土偶の箱の整理はもうしなくていいからな」
「マーカス…お前、まだあのがらくたに未練があるのか」
二人の言い争いをバックミュージックに、私は早速資料をめくった。




