幕間~親子の密やかな攻防~
「母上!何を考えているんですかっ」
部屋に響き渡ったマーカスの声に、母親はゆったりと優雅に振り返った。
「あら、マーカス。血相を変えてどうしたの」
自分によく似た緑の瞳が、焦りも見せずこちらを見る。
自分がこうして抗議に来ることなど、お見通しだったのだ、とマーカスは悟った。それでなおさら頭に血が上る。
「どうしたのじゃありません、ヘスターのことです。なぜ彼女に侍女の真似などさせたのです」
握りしめた拳に力を入れて声を抑えたのは、あまり大きな声だと執務室にまで聞こえると思ったからだ。
けれど、母はそんなマーカスの努力など気にもかけずに首を傾げた。
「真似?そんな言い方は彼女に失礼よ。ヘスターちゃんは、裏方に回るならば徹底的にとプライドをもって侍女まで務めてくれるのだから」
「そうではなくて!まだ病み上がりで不安定なヘスターに、慣れないことまでさせるべきではないでしょう。まして、異性を怖がっているというのに…私の侍女など!」
「では、なにもするなという気?」
怒りを込めたマーカスの眼差しを、母の目はどこまでも静かに受け止めた。
その瞳は息子の激情などそよ風ほどにも感じないというように、ひとつの揺らぎも見せない。
「いつでもいいような廃品整理なんてあてがって、あの子の気持ちが落ち着くとでも?あの子が今回の件に人一倍の執着をもっていることくらい、分かっているでしょうに」
言葉に詰まり黙り込んだ息子に、母親は冷静な、しかし厳しい目を向ける。
マーカスは、ヘスターの様子を思い出した。
つい数日前、目を開いて自分を見た途端に泣き叫んだあの拒絶。
それなのに、翌日には仕事に戻りたいと言いだしたあの必死な顔。
もう大丈夫だと証明しようとして、自分に手を伸ばしさえした。髪の先をかすめた瞬間に、抑えようもなく震えた指先と、それなのにほっとしたようにこぼした、痛々しい笑顔。
あれだけ人との接触や異性の存在を恐れながら、それでもすぐに仕事に戻りたいと言い張るヘスター。あの様子は、尋常ではなかった。
母から聞かされたヘスターの前世から、彼女が前世の自分とこちらの被害者を同一視していることは容易に想像できた。
だからこそマーカスも彼女の話を聞いたのだし、気持ちが収まるならとしぶしぶ仕事場にも戻したのだ。ただ、どうしてもこんな痛々しい状態の彼女を、傷口に障るような話には触れさせたくなかったし、見せたくなかった。
事件は自分たちが解決する。だから、ヘスターには安心して、安全なところで待っていて欲しいと思ったのだが。
マーカスは、力をこめすぎた拳を一度開いた。
自分の思いがヘスターのそれとすれ違っているのだと、母は指摘しているのだろう。そう分かって、怒りは収まっていた。納得したかは別として。
そんな息子に畳みかけるように、夫人は言った。
「…それにね。この状態で万が一事態の終息に手間取れば、被害者の非難の矛先はあの子に向くかもしれないわ」
マーカスの顔がさっと青ざめる。
今回ヘスターの身に起きたことは、マーカス・エセルに恋慕する令嬢による傷害にしろその後のヘスターの動揺にしろ、極めてプライベートな問題であり、詳細を公にするわけにはいかない。
そうなるとヘスターは、事件を誰より正確に理解できる転生者で治安対策補佐官という地位にありながら、大事なときに何をしていたのだと言われかねないのだ。
ヘスター条例の浸透もまだ日が浅く、盛り上がっていた民衆も彼女を庇うより手のひらを返して非難する可能性が高い。
この状態が長期にわたれば、ヘスターの精神状態にも、周囲に与える印象にも、よくない。
恋する若者として、マーカスのように愛しい娘を心配し守ろうと囲い込む姿は、ある種正常な反応だろう。けれどエセル夫人には、たとえ血を分けた息子であろうとも、ゆくゆくは領地を背負って立つ人間である以上、私情でことを見誤ろうとしているのを放置する気はないらしい。そしてマーカス・エセル自身も、自分の立場というものを重々理解していた。
額まで血の気の引いた息子の姿をじっくりと観察して、母親はふいに手を打って見せた。
「何の仕事もさせないであの子を側に置くのであれば、周囲の納得いく理由が必要ね?」
「!それはつまり、婚…」
若様は顔を赤くし…直後に再び青ざめた。
「無理よね?今は」
思い出した過去のせいで男性不信気味のへスターに、思いをぶつけることなどできない。
そして、もろもろの状況から今の状態がヘスターのためになっているとは言い切れない。
言葉に詰まった息子が、自分の思惑通り正しく現状を把握したことを見て取ったのだろう、母親はいたずらに微笑んでみせた。
「それじゃあ、小うさぎに悩まされるか望むようにさせてあげるか、早めに考えなさいね。あ、ただし分かっているとは思うけれど、どちらにしろ絶対に理性を守ること」
今は、狼の出る幕ではないのだ。
敢えてこちらの血を沸騰させておいて直後に氷水を浴びせかけること数回。完全に踊らされていることを自覚せざるをえない。
「…っ分かっています!」
首まで赤くして大声で答えると、マーカスはぶんと音がするような一礼を残して部屋を出た。




