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転生者、しんえんをかたる

「…おかしい」

私は、怒りを堪えるために拳を握りしめた。

力が入りすぎて手の下にあった書類にくしゃっと皺が寄ったので、慌ててのばす。

馬鹿みたいな自分の行動に、ため息が漏れた。

丸2日安静にして、ようやくお医者様から仕事復帰の許可が出た。それを盾にもう一度お願いして、一応は若様の承諾も得られた。

安全のためにと奥方様の決定でしばらくはお城住まいだけど、仕事に戻れば事件解決に向けて動ける、と思っていたからそれも素直に頷いたのに。

安静が開けても、さらに土日を完全に休まされた。

そうしていざと意気込んで迎えた月曜日も今日も、書類整理しかしていない。しかも、全然捜査に関係のないもの。

ちらりと手元の書類を見る。

かなり以前に若様や代行のロンが視察先でもらってきた資料。これはいいとしても、いろいろなところから送られてくる新製品や新名所のパンフレットはなんなんだろう。これが終わったらと指示されているのは、若様が以前に売りつけられてロンに切り捨てられ、処分を待っている数多の不要品の整理。

これだって、いつもなら仕事と言われればやる。だけど。

「絶対わざとだし…」

明らかに捜査に加えたくない若様の意向だから、腹が立つんだ。

これじゃあ、仕事に戻ったとは言えない。

謎の信者失踪が転生者の絡む事件だと気付かなかったのは、私のミスだ。ただでさえ自分のせいで初動が遅れている。それなのに私ときたら、ヘスター条例のお陰で知名度だけはうなぎ登りで、お城に与えられた自室で美味しいものを食べて羽布団で眠っている。そんな自分にますます落ち込む。

…落ち込むと、嫌なことを考えて、焦りがつのる。

頭では若様やロンが捜査に駆け回っていると分かっていても、動いてない身体が、勝手に焦り出す。

どうしても、たった今も騙されている子たちを救いたい。

消えた女の子を捜し出したい。

前世の『私』を助けたい。

「…はぁっ…」

意識的に息を吐き出して、焦る気持ちを紛らわせる。

そんなことを繰り返しつつ、作業を続けて、若様の不要品箱から見つけた謎の土偶を廃品置き場へ運んでいく途中だった。

私は後ろから麗しい声をかけられた。

振り向くと、侍女さんを連れた奥方様が優雅に立っていらしたので、急いで頭を下げる。

「調子はどう?仕事は順調かしら」

尋ねられて、腕の中の土偶に苦笑いしつつ現状を告げた。

「体調は万全です。仕事の方は、どうなのでしょう…大事なところからは、完全に遠ざけられていますから」

うまく不満を抑えきれなかった私に、奥方様は考えつつおっしゃる。

「そうねえ。でも、表立って動くばかりが仕事ではないわ。表に立つ人を支えることもまた、仕事を進めるために大切よ」

それでも、急ぎとも思えない書類整理や不要品整理ばかりでは、事件解決に近づけている気がしない。

曖昧な返事をした私を奥方様は少し眺めて、ぱん、と両手を打ち合わせた。

「いいことがあるわ。土偶運びよりもっと直接役に立って、ついでにあなたのリハビリにもなること」


「まあ、とっても似合っていますね」

「ありがとうございます…」

メイド服だ。メイド服、着ちゃってる。

奥方様の差し金で私が任されたのは、若様の侍女だった。

はっきり言って、いくら美しい奥方様にうっとりしながらとはいえ、私もこの提案に納得したわけじゃない。

ただ、奥方様はこう付け足したんだ。

「…これはマーカスに対して、あなたがもう元気で、どれだけ捜査に戻りたがっているかというアピールにもなるわねぇ?」

この言葉に、私はノックダウンされた。

若様は以前侍女に迫られた経験から、身近に女性の使用人を置きたくないと思っている。だから、さっさと仕事をさせろという脅しにはちょうどいい、と私も思った。

奥方様の前を失礼して、歩きながら濃紺のスカートと白いエプロンを見下ろした。お城勤めで見慣れたとはいえ、自分が袖を通すとなると全く意味合いが違う。別にドレスみたいに華美でも、露出が多いわけでもない。ただ、これを着るのが恥ずかしいのは、私の頭に前世の『お帰りなさいませご主人様』があるからだ。おかしいのはきっと、私の感覚。そうだ、それだけだ。

顔の熱を冷ますためにぴたぴたと頬を叩きながら、侍女頭のハンナさんについて若様の部屋に入る。

「本当に、良いのでしょうか…」

ハンナさんがふくよかな顔に苦笑を浮かべた。

「本当なら、マーカス様にはきちんと侍従をつけてさし上げるべきなのですけどね。ここだけの話、以前男性に惚れられてしまって」

…侍従もだめ、次善の策の侍女もだめ、ということだったらしい。美形も大変だ。

ハンナさんに言われた通り、お掃除メイドさんが手をつけないことになっているという若様の寝室を軽く掃除する。ぱっと見た感じ埃っぽくも乱雑でもないから、自分で定期的に掃除をしているんだと思う。またはロンが…と考えかけて、止めておいた。当人の寝室でマリエさんの御本のあれやこれやを思い出すのは、さすがにルール違反な気がする。

ベッドの下を掃除すると、ころころと埃が球になっていた。それからベッドヘッドやサイドテーブルを拭くと、やっぱり雑巾が黒くなった。忙しい中で自分で掃除しているんだから、いくら騎士学校で身の回りのことをしていたといっても細かいところまでは手が回らないんだろう。まあ、おおざっぱな性格のせいでもありそうだけど。

一通り掃除が終わると、リネン類を整える。それから執務室と若様のお部屋の暖炉に火を入れて温めた。ハンナさんの合格をもらって、終了。

「ハウスメイドのようになにからなにまでやってもらって、ごめんなさいね」

「いいえ、とんでもありません。あとは、何をすればいいのでしょう」

「そうですねぇ。お食事は広間だし…強いて言えばお茶の用意とお召し替えのお手伝いかしら」

着替え…。固まった私に、ハンナさんはすぐににっこり笑って付け足した。

「勿論、あなたの本業は侍女ではないのですから、出来る範囲でいいのですよ。それに若様は基本的にご自分で全てなさいますから、安心して下さい」

「分かりました。ありがとうございます」

事情を知らないハンナさんに心配をかけたくないと思いつつも、ほっとしてしまった。

それからしばらく、また書類を整理しながら帰りを待った。

賑やかな話し声が近づいて、若様だと分かる。

立ちあがって扉の方へ駆け寄った。

「お帰りなさいませ」

「ただい…へ?す、たー?」

現れた若様は、言いかけた挨拶を放りだして、信じられずに確かめるというように私の名前を呼んだ。

そのままぽかんと口が開いている。

人の目って、ここまでまん丸になるんだ。

「え、なんで、何を、その、」

見事に支離滅裂。

普段は自分がそちら側なので、珍しく人をうろたえさせた私はそんな若様の様子を興味深く観察した。

でも。

「その、格好は…!」

そう言って顔を真っ赤にされたら、そこまでだった。

私は一瞬にして自分のメイド服姿を思い出してしまった。

でもなんで。若様は生まれたときから侍女さんなんて見慣れているはずでしょうが。毎日たくさんの侍女さんとすれ違っているのに、いまさらメイド服に赤面なんて、しないでほしい。

落ち着こうと、無意味に握りしめていたエプロンの皺を伸ばして、私は説明を試みた。

「あの、これは!奥方様から!」

不必要に大きな声が出てしまった。

顔を上げたところで、戸口に立ち止まったままの若様の肩からこちらをのぞいていたロンと目が合う。

「…また、あの人にぽおっとなって丸め込まれたか」

一拍後に、呆れたような声で言われた。

「違います、これには深遠なる理由が」

「メイド服の深淵なんて語るな!」

なんで若様に怒鳴られたの?分からない。

でもそれについて聞き返す前に、怒鳴り声で反射的に震えてしまったた私を見た若様が、はっとしたように一歩下がった。

「悪い…とにかく、母と話してくる」

そのまま早足で行ってしまった若様をぽかんと見送った。

後に残されたのは、私とロンだけだ。

私は、ちらりとロンを見上げた。ロンもまた、若様の去っていった方角から私へと目を移した。

「あの、ロン様…メイド服の深淵とはなんですか?」

ロンが、ぴくりと肩を揺らした。

「…あの馬鹿の発言の意味を俺に解説させるな」

まあ、それはそうだ。

私の側を通って執務室へ入ってきたロンは、長椅子に座ると疲れた様子でこめかみを押さえた。

「それで。そうなった経緯を説明しろ」

「簡潔に言いますと、奥方様の提案に私がのりました」

「奥方様にのぼせたのでないというなら、どういう理由だ」

私は少し迷ったけど、正直に言うことにした。

「…ちゃんと、本来の仕事に戻していただきたいというアピールです」

ロンが顔を上げて、彼の氷の色の鋭い目が私を射抜く。ひるみそうになる脚をぐっと踏ん張って、もう一度言った。

「事件関係の急ぎの仕事が山積みのはずなのに、それをさせていただけないなら、私がここにいる意味はありません。若様の嫌がることをして交渉してでも戻してもらおうと、思ったのです」

「…ーカスは…がらないだろうがな」

ロンの呟きはよく聞こえなかった。

それを聞き取ろうと、ロンの側へと寄る。

「任された仕事と侍女のお仕事をやってもまだ体力は余っていますし、もう、こうしてお二人の側に近づいても平気です」

疑っているのか、ロンは真顔でじっとこっちを見て動かない。

だからえいと気合いを入れて、もう一歩距離をつめた。大丈夫、この人は大丈夫、と自分に言い聞かせて、震えを堪える。

私は、必死だった。

手をのばせば触れるくらいの距離で、頭を下げた。

「だから、若様に口添えしてください。おねがいします!ロン様」

しんと執務室が静まりかえって、どこかの廊下でかちゃかちゃと何かを運んでいるらしい音が聞こえてくる。

返事がない。

不安になって、私はちらっと目をあげてロンの顔色を伺った。

「…駄目ですか?」

ロンが、切れ長の目を見開いた気がした。

でも、一瞬のことで分からなかった。ロンがすっと立ちあがって、自分の机に戻ってしまったからだ。

「ロン様!」

思わずその背中に向かって、呼びかけてしまう。ロンは振り返らなかった。

「まったく。普段『貴様』呼ばわりしておいて、こういう時だけロン様か…」

…言い返せない。図星をつかれて、私は黙ってしまった。

駄目だ、これはもう。将を射んとせばまず馬を射よ、は失敗だ。もう本陣にぶつかるしかない。

あきらめて、自分の席に戻りかけたところに、後ろから声が届いた。

「一応、その心意気に免じて口添えしてやる。ただし、今のあいつはかなり強情だから、確約はしない」

「…ありがとうございます!」

込み上げる感謝のままに頭を下げると、ロンは片目だけ振り返って口の端で笑った。

「別に。面白いものを見せてもらったし、見物料だ」

面白いものって…メイド服か!

こいつは、やっぱりロン貴様だ。


ヘスターが焦りのあまり迷走しています…。

若様が落ち着いてくれれば、それに伴ってヘスターも軌道修正するはずですので、もうしばらくお待ち下さい。

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