転生者のかすめるゆびさき
昼寝から目覚めると、すぐに午後のお茶を出された。
色とりどりのマカロンや素朴なクッキーが出されて、明らかに私の好きなものを揃えたんだと分かる取り合わせに頬が緩んだ。ベッドの側に座ったマリエさんが、さりげなく先に食べて見せるのもいつもにはないことで、気遣われているなあと胸が温まる。大丈夫、とまた自分に確認するように、安心させるように唱えながら、それを頂いた。
お茶が終わって、後片付けから戻ってきたマリエさんから、若様が来たと告げられた。
本当はこっちから出向くべきところを、ベッドから出ないようにと言われている私のために来てくれたんだ。だから私は、座ったままでなるべく居住まいを正した。
若様は、入り口から入ってくると、ベッドから大分離れたところで立ち止まった。
そして、なんとも言い難い顔をして、黙ってそこから私を見た。
ほっとしたような、悲しんでいるような、怒っているような、ためらっているような。
若様がしゃべらないので、私は自分の伝えるべきことを話し始めることにした。
「…昨夜は、大変失礼いたしました。今日も、無断でお休みをして…」
「そんなことは、どうでもいい」
遮られて口を閉じると、若様もはっとしたように口を閉じた。
そしてまた黙って、目を伏せる。
「…あの?」
声をかけると、若様が口元を抑えた手をゆるゆると下ろして、こちらを見た。
「…話しかけても、大丈夫か?」
ああ。そういうことか。
ようやく理解できて、私はできるだけはっきりと、頷いて見せた。
「もう、大丈夫です。ですから、あの、座って下さいませんか」
自分の部屋でもないのにおかしいとは思いながら、突っ立ったままの若様と控えていたマリエさんの上で目を彷徨わせる。マリエさんが心得たというように頷いて、若様にベッドサイドの椅子を勧めてくれた。
若様がきくしゃくしつつもそこに腰を下ろすと、私はほんの少しほっとした。
あんな叫び声をあげて、泣いたりしたから、若様は私との距離に迷っている。
これは私のやったことだから、私が詰めてみせるしかない。これから今まで通り仕事を続けていきたいなら。
「昨日は、ありがとうございました。護衛をつけていただいていたおかげで助かったのだと聞きました」
迷いながら、私は言葉を選んだ。謝れば否定されるだけで、若様の心配もできてしまったこの距離も代わらない。だから、とりあえず感謝の言葉を。
「…お前が嫌がったからと離れてつけさせたが、読みが甘かった。すまない」
なんで、謝るんだろう。
私が謝るところなのに、なんで若様が。そう思って見つめると、若様の緑の目が、痛みを堪えるように細められた。
「あれは、エリザベス・ダドリーの差し金だった。お前を妬む娘に、毒を渡したんだ。…だから、私のせいだ」
すまない、ともう一度言って、若様は頭を下げた。
金色のふわりとした髪が垂れさがるのを見ながら、私は自分が驚いていないことを感じていた。
なんとなく、そんな気がしていたというのもある。それ以上に、私にとって今回毒を飲まされたこと自体より前世の方が衝撃的だったというのが大きい。
「頭を上げて下さい。救っていただいて頭を下げられたら、私は跪かないといけなくなります」
「…すまない」
「私、マーカス様にお話ししたいことがあるのです」
だから顔を上げてほしい、と請えば、のろのろと金の髪の下から双眸がのぞいた。
今度は、私が目を伏せてしまった。
話さないと、いけない。
私には、話す義務があるし、なにより話したいことがある。
そう思うのに、いざ口を開くと、唇が震えた。
「ヘスター…無理をするな」
とうとう言わせてしまったこの言葉に、自分が情けなくなる。
一つ首を横に振って、呼吸を整えた。
「大丈夫ですから。…私がお伝えしたいのは、ですね。まず…もうご存じだと思いますけれど、思い出した前世のせいで、少し今混乱しているということで…そのせいで、叫んでしまったり、お騒がせしたりしてしまったわけなのですが…その」
駄目だ、話出したら、こんがらがってきた。
若様は、いつものおしゃべりを引っ込めてじっと私の言葉を待っている。
「まだ、完璧に大丈夫と言ったら、嘘になりますけれど」
伏せた目からのぞいた若様の拳が、膝の上でぐっと握られる。それを見て、急いで続きを口にした。
「お伝えしたい二つ目というのは、今まで通りお仕事をさせて欲しいということなのです」
言い切った私は反応を待った。でも、若様は何も言わなかった。
それで、心配になって、そっと目をあげて顔を伺った。
やっぱり、駄目だろうか。未だに男の人というだけで近くにいることに緊張するし、もっと近づいたらと思うと、自分がパニックを起こさない自信はない。前世のことだと理解できたといっても、まだぬぐいきれない恐怖が残っているのは感じるから。
そんな状態でこの職場で仕事をするのは難しいだろうと、自分でも思う。本当は一度休職して、もっと落ち着いてから復帰を考えるべきなんだろうとも。でも。
「…ご迷惑をかけるとは、思うのですけれど」
そう言った途端、若様がはっとしたように動いた。
ぶんぶんと首を横に振って、小声で叫ぶように言う。
「迷惑なんてことは、絶対ない。いや、勿論迷惑なんていくらかけられてもいいが、そうではなくてっ」
緑の目が、切なげに私を見つめた。まるで、心の中まで見通そうというように。
「…お前に、無理をしてほしくないんだ」
無理じゃない、と言おうとした。
でも、それより先に若様が口を開いた。
「ヘスターが仕事に責任感をもっていることも、それですぐに戻ろうとしてくれるのも、分かる。でも、辛い思いをさせたくない」
そう言って若様はいつものように私の頭に手を伸ばしかけて、…それに気付いて焦ったようにおろした。
「悪い。…お前の許可なく、触らないから」
だめだ。
このままじゃだめだ、と思った。
ここで避けたら、仕事に戻るなんてとても無理だと思われる。
それに、終わったはずの前世にそのまま引きずり込まれていくような気がした。
この人は、治安ナイトだ。ヒーローだ。
今生で殺されかけた私を助けてくれた人だ。
私の安寧を望んでくれる人だ。
前世で欲しくて欲しくて現れなかった助けの手を差し伸べてくれた人だ。
私は、手を伸ばした。
みっともないほど震える自分の指を、若様の髪に、そっと掠めた。
ほうっと息が漏れた。
「…」
若様は固まっている。
「すみません。でも、触れられました」
戻した指先を、反対の手で握り込む。
「だから、明日から、また仕事をさせて下さい…お願いです」
大丈夫。
大丈夫になる。
大丈夫に、する。
どうしても、この仕事をやりとげたいから。
この人を、避けたくないから。
今生を、投げずに生きていきたいから。
話してしまわないと休まらないのだと何度も主張して、私はベッドの上から若様とロンに仕事の話をさせてもらうことになった。
マリエさんが部屋の隅に同席してくれて、若様は呼ばれてきたロンと2人、今度はベッドからかなり離れたソファに座っている。私の我が儘にかなりの配慮や時間を使わせているなと、申し訳ない気持ちが湧く。
せめてなるべく簡潔に話そう。
「大事なことに気付いたのです。あの、おかしな信者と失踪のことに関して」
若様とロンは、すぐにはぴんと来なかったようだ。
当然かもしれない。私は姉から聞いた話のせいでつい最近も思い出したけど、2人にとってはかなり前に聞いたきりの事件未満の情報でしかないから。
私はもう一度、ことのあらましを話した。
信じると痩せる、きれいになるというおかしな噂のこと。
信者になると秘薬がもらえるという話。
それが二月以上もの間はやっているのに、表立っては美容法としてブームになっていないこと。
痩せたものの目ばかりぎらついて、性格もとがってしまったという信者のこと。
そして、その中に失踪した娘がいたが、駆け落ちだろうと判断され、事件性無しとして処理されていたこと。
「これも、ただの駆け落ちではなかったのだと思います」
「事件ということか」
若様が、明言を求めた。
ロンは話の行き先を見定めようとするようにじっと目を伏せている。
私は、はい、と頷いた。
「私は、前回逃がした黒幕が起こした事件だと思っています」
2人の目が、射るように私に向いた。
それに怯えないように、深呼吸をして声を整える。
「信者が飲んでいるのは、毒です」
毒や服薬に関する記憶は、私の中で禁忌になっていたんだと思う。
あれだけのヒントがあれば、すぐに気付いてもおかしくなかったのに、私は気付けなかった。
思い至ったのは今朝目覚めてからだ。まだ自分自身のことで動揺していたけど、その上からガツンとハンマーで殴られたような気分だった。
間違えたんだ、と思った。
よその領に送る黒幕の特徴なんて考えているんじゃなかった。黒幕は、まだこの近くにいたんだ。もう他所に行ったと思って私がこの件を棚上げしてる間に、奴は魔の手を広げていたんだ。
「前世で、痩せるまじないと称して若い女性に毒を売りつけるという犯罪があったのを思い出したのです」
若様とロンが顔を見合わせた。
「毒など飲めば、効き目がないとすぐに分かるんじゃないか?」
「誰が好きこのんで自分から毒をあおる」
やっぱり、この国の常識にこの手の犯罪は存在しないらしい。
これで犯人が、転生知識をもった例の黒幕だという可能性がまた濃くなった。
「痩せるというのは、毒のせいで食欲が落ちたり頬がこけたりすることによる錯覚で、信者というのは、その毒についての秘密を守る人間のことだと思います」
私に仕事復帰を急がせたのは、この類似だ。
前世の『私』の死因との重なり。被害者と前世の『私』との共通点。そして、行きつくだろう最悪の結末の、類似。
そのことに、私は耐えられないほどの焦りを感じていた。
被害者を見過ごすことは、もう一度自分が死にゆく過程を眺めるのと同じ。今生で被害者を助けられなかったら、今度こそ私はどうにかなってしまう気がする。
沸き上がってきた焦りを、深呼吸をして逃す。
「その秘密にからんで、失踪したという娘は消されたと」
「または、違法な毒を飲んだことをたてに言いなりにされたか」
ロンと若様が、難しい顔で言い合っている。すでに毒をなぜ、という戸惑いは脱したらしい。
いつも通り話が早い。
私は頷いた。
「痩せるですとか集中できるですとか、そういう甘い言葉で誘って、依存性がある弱い毒を売るのです。最初は安く、しかも食欲が落ちて痩せるのを喜ばせて、気付いたときには身体はぼろぼろでお金もないのに止められない、という状況に追い込むのです」
「酷いな。美しくなりたいという女性の思いにつけ込むのか」
若様が拳を腿に叩きつけた。
「許せん」
その動きに止めかけた息を、気付かれないように静かに吐き出す。
「そういう毒はこの国では聞かないが、エルドラのような医療国家ならばすでに存在しているかもしれない。ラダの葉などの遅効性の毒は徐々に人の精を削いでいく。一般に依存性はないが、組み合わせ次第ではそういうものも作れるはずだ」
ロンが氷のような鋭い目で床を睨みながら、言った。静かな怒りを秘めたその目を私に向けないようにしているのかもしれない。彼は、この部屋に入って座ってから、ほとんど身動きをしていなかった。
「ロン、お前は医局にいって毒について聞いてこい。私は失踪した娘のことを当たる」
「実物が手に入れば、解毒についても調べるべきだが」
「そちらは私も考えてみる。毒だとすれば、早くしないと死人が出る。急ぐぞ」
私が話したことは、すでに私の手を離れてどんどん対処が進められていく。
そのことに感心しながらも、胸に暗い思いが込み上げる。
もっと早く気付くべきだったのに。
そうすれば、この人たちなら今頃全て解決していたかもしれない。
慌ただしく挨拶して部屋を出て行く2人を見送りながら、私は立てた両膝に顔をうずめた。
「…疲れたでしょう、ヘスター。さあ、少し休まなくちゃ」
そっと布団を掛けてくれるマリエさんの優しさに甘えて、私はベッドに横になった。




