転生者、ヒーローをもとむ
私の短い足では到底間に合わないから、途中で馬車を拾った。人を引きかねないスピードを出させた御者さんには悪かったけど、手持ちのお金をまるごと渡して、馬車が止まりきらないうちに飛び降りる。
目的の店はどこにでもありそうなありふれた看板を掲げて街並みに紛れていた。一階の店舗部分には小さな窓が二つと扉が一つあるだけで、看板さえなければ民家にも見える。ただ、この道路に面した間口の狭さは商業地区特有の作りで、私の見立て通りならきっとこのウナギの寝床のような土地の裏道に面して、馬車を止めるスペースがあるはずだ。
小窓にはカーテンが引かれていて、外から中の様子を伺うことはできない。
それにしても、静かだ。しんと静まりかえった店先を見て、悪い予感が頭をよぎる。
手遅れだった…?
そんな、まだ若様たちが倉庫の方を囲んでから、30分くらいしか経っていないはずだ。
あっちをおとりに逃げるにしても、後の始末が全部もう済んだなんてこと、あるだろうか。まさか。信じたくない気持ちで、私は店の扉を押した。
ガラス張りの扉は、ゆっくり内側に開いた。
「こんにちは…」
客を装って声をかけてみる。
空っぽの棚、ショーケースも何もない店内に、私の声が妙に響いた。
もともと何かの店舗だったところを、改装して使っていたのだろう。商品も接客道具も何も置いていないけど、便利屋ならそれも元々かもしれないし、もしかしたらいろいろ持ち出した後だからかもしれない。分からない。
ただ、人の気配が無いのは確かだ。私の呼びかけに答える声はおろか、人の動く衣擦れの音すら聞こえない。
商品が無いとはいえ店なんだから、鍵を開けたまま、こんな風に無人にすることは普通、考えられないだろう。
…逃げられたんだ。
諦めがじわりと胸の奥から湧いてきた。
また、思いつくのが遅かった。一番知識があるはずの私の、頭の回転が遅いせいで。あと一歩のところで、逃げられてしまった。
「ギャビさん、ごめん」
時計、取り返せなかったよ。
私は、空っぽの店の真ん中でしゃがみ込んだ。
どっと疲れを感じた。
馬車を降りるときにでもぶつけたのかすねが痛い。そういえば上着も着ていなかったと、肌寒さを感じて腕を撫でた。
ふと、何かが焦げるような匂いがした。
火の気なんてないはずなのに、どこから漂ってきたのだろう。
…どこから?どうして無人の店内に、そんな匂いがする?
私は、扉を閉めたはずだ。どうして空気が、動いた?
はっとして立ちあがったのと、目の前の影が動いたのは同時だった。
ガン、と床に何かが打ち付けられる。
私がつい一瞬前まで座っていた床に。
「…っ!」
声にならない悲鳴をあげて、後ろへ下がる。
床に食い込んだ得物を目でたどれば、それは大柄な男の手に握られていた。
初対面で棒を振り回すこの男が、真っ当な店員であるはずがない。
それでも、私は一縷の望みをかけて首を傾げるしかなかった。
「あの、ここ、便利屋さんですよね?私、依頼があって…」
「はあ?」
苦し紛れの言い訳は、やっぱり一言で切って捨てられた。
それはそうだ。だってこいつ、最初から私に殴りかかったんだから。
とぼけるのを諦めて睨み付ければ、男はいらいらと得物で肩を叩きながら、こっちを見下ろした。見るからに頑丈そうな火掻き棒だ。アレで、私を殴ろうとしたのか。金属の、尖った棒を見てぞっと背筋が冷たくなる。
男が口を開いた。
「お前、祭りであのクソガキどもと舞台に出てた奴だろうが」
ばれてた。そんなのはもう今さらだけど、それでも自分の愚かさに、顔が引きつっていく。
男はまた、棒を私に向けた。
「何しに来たかしらねえが、死んでもらうしかねえな」
死ねといわれて、素直に立ってはいられない。でも、その言葉はすでにみっともないほど震え出していた私を恐怖で縛るには十分で、広くない室内で私に出来る抵抗はたかがしれていた。
よろよろとしか動かない足で、あっという間に壁際に追い詰められた私は、また、正面から近づいてくる男を見つめるしかなくなった。
「うろちょろしやがって…」
地味な男だ。似顔絵の手配書には、ない顔だった。
どこにでもいそうな顔をした、ありふれた男だ。
でも、その目は私を殴りつけることへなんのためらいも見せない。
「人を殺せば、罪が増えます」
「捕まらなけりゃいい話だ」
「私を追って、すぐに後発隊が駆け付けます」
「そうかい、じゃあ急いでやっちまわねえとな」
あ、墓穴。
「こんなことして、捕まらないわけない。どうせ捕まるんだから、罪を重ねない方がいい」
「捕まって牢屋につながれるくらいなら、いっそおめえを殺して絞首刑になった方がいい」
「死刑になれば悲しむ人がいる」
「そんなもん、いねえよ」
男の目が、凶悪な光を帯びた。
「お城勤めの恵まれた転生者様には、分かんねえだろうさ」
「…転生者とか、関係ない」
逆らうな、これ以上は時間稼ぎにもならない、逆効果だから逆なでするなと、頭では分かっているのに、口が勝手に言っていた。目は、勝手ににらみ返す。壁際で体格差ありで、こっちは素手で、絶体絶命なのに、何意地を張っているんだろう。でも。
「どういう生まれだろうと、人を陥れていいわけじゃない。むざむざ死刑を望んでいいわけでもない」
言って通じる状況でも相手でもないのに。
案の定、男は不愉快そうに顔をゆがめた。
「もう、お前、そろそろ死ねよ」
私の馬鹿。
馬鹿な私の目の前で、男が火掻き棒を振り上げる。あれで脳天を割られたら、死ぬだろう。
ああ、誰か、助けて。
そう願ったとき、脳裏に浮かんだのは金色の髪と緑の瞳だった。
自分で自分を疑った。
だって、簡単に人に騙されちゃう人だよ?いくら治安ナイト様だからって、中身はアレなのに。あの頼りない、よく分からない自信で明後日の方向に突っ走っていく人を、こんな時に思い浮かべちゃうの?
願望にしたってもう少し頼れる人を思い浮かべようよ、私。
振り下ろされるだろう火かき棒を見つめていたくなくて、私はそっと目を閉じた。
また浮かぶのは、若様の姿だ。
騙されてしょんぼりしょげているときの背中。
自信満々におかしな開運グッズを見せてくるときのきらきらした眼。
見当外れな解釈をしてエスコートをと差しだしてくる手。
ああ、死ぬなら最後にもう一度あの美貌を目に収めておきたかったな。
「覚悟は出来たみてえだな」
男の言葉に、身を竦めた、そのとき。
バン!
「なっ、うわああ!」
突然響いた大きな音と、大きな叫び声。
仰天して思わず開いた私の目に飛び込んできたのは、男の胴をなぎ払った若様の姿だった。
横一線に一振り。
見事なのかなんなのか、剣術に詳しくない私には分からない。でも、その一振りが男の大きな体を吹き飛ばしたのは分かった。
男は立ちあがらない。その間に、わらわらと兵達が入ってきて、男を縛り始め、奥の部屋へも入っていった。それを見て、終わったんだ、と分かった。
つまり、私は間一髪、殺されずに助かったんだ。そう理解して、同時に足から力が抜けた。
「大丈夫か!?」
若様が、剣をしまいながら駆け寄ってくる。
峰打ちらしく、剣にも若様本人にも血はついていなかった。随分、息が上がっている。でも、怪我はない。この場の、誰にも。そのことにほっとして、ようやく口を聞くことができた。
「…若様、剣、使えるんですね」
私の一言は、我ながら間抜けだった。若様は何とも言えない顔になった。
「騎士学校を出たと言わなかったか?」
度重なる間抜けな言動ですっかり忘れていた。そうは言えないので、笑ってごまかす。
「室内ですし…」
「それ相応のやり方がある」
「そうなんですね」
間抜けなやりとりをしている間に、若様は私の目の前にしゃがみ込んだ。
「ヘスター」
「はい」
「大丈夫か?」
「はい」
そうか、と頷くと、若様はすっと息を吸い込んだ。
「この大馬鹿者!何度言ったらお前は分かるんだ!!」
耳がきいんとするような若様の雷は、それから30分近く続いて、その間に店の奥からは幾つもの証拠品が発見された。その中には、燃えかけた店の顧客名簿と、少なくはない額の現金、それにギャビさんの金時計もあった。




