転生者のぎしき
昨日投稿したつもりが、できていませんでした。申し訳ありません。
※途中、17才での飲酒シーンが出てきますが、未成年者の飲酒を奨励するものではありません。10代の飲酒は身体的にも法律的にも良くないものですので、未成年の方はご自愛くださいね。なお、作中では17才が成人年齢となっています。
ギャビさんの時計が帰ってきたその日、私たちは、ささやかな祝杯を上げた。
とはいっても、まだ事後処理はあるし、被害者が被害額を全て取り戻せたわけでもないので、ごくごく内輪でだ。
いつもの執務室に飲み物や食べ物を持ち込んで、テーブルに並べたんだ。
事情聴取だのなんだのが全て終わって戻れたのは夕食時どころか深夜と言っていい時間だったけど、有能なエセル家の使用人の皆さんは、ちゃんと私たちのために夜食を用意しておいてくれて、私は手伝ってくれたマリエさんと一緒にそれを運んだ。
道々ライナス様が私が戻るまで寝ないで待っていると言い張って大変だったことや、奥方様から連絡を受けた領主様が明日の午前中には出張先から戻ることを教えてもらって、こちらも若様が実際に戦えて驚いたことなどを話す。
執務室の前でマリエさんのカートを引き受けて、礼を言ってもう下がってもらった。彼女は明日も早くから仕事なのに、こんな時間まで待っていてくれたんだ。
「お前は…呼べばいいだろう」
「あ、…ありがとうございます」
カートに乗りきらなかったお皿を持ったまま執務室の扉を開けてカートを押し込もうと苦労していると、呆れた顔をして若様が手伝ってくれた。さすがナチュラルにレディファストだ。
「まったく、どうして助けを呼べないし、待てないんだ」
「…普通貴族様に、『ちょっとお皿持って下さい』とは申せません」
大皿持ってても貴方は違和感ないけど。なんだか日中のお説教の続きが始まりそうになったので、私は話を変えようと視線を巡らした。
すると、手伝いに来なかった方、非レディファストのロンが、机に大量の瓶を並べていた。
「これ、全部お酒ですか?」
「この前ロンが出張先で仕入れてきたんだ。大体がポン酒という酒だな」
なんだか、日本酒チックな名前だな。
「米で作った酒だ」
ロンの解説に、ああ、やっぱり日本酒かと納得する。
きっと、転生呑兵衛…いや、転生杜氏がいたんだろう。そう思いながら、カートの上のお皿を並べていく。早くしないと、せっかく料理長が準備してくれた温かいミネストローネや冷製肉と野菜を挟んだサンドイッチや、他の美味しそうな料理を置くべき場所がお酒の瓶に占領されてしまう。
腰の軽い若様がここでも手伝ってくれて、程なく祝杯の準備が完成した。
それぞれの前にグラスが並べられる。
「お前は飲めるのか?」
ロンに聞かれて、私は頷いた。
前世では、成人以降の飲み会で困ったことはなかった。具体的に言えば、ビール中ジョッキ5杯くらい飲んで、ちょっと顔が赤くなる程度だから、たしなむ程度というよりはウワバミに近かったんだと思う。もともとこの世界に飲酒年齢の制限はないし、夏にこの国での成人年齢17才を迎えたから、気分的にも飲酒オーケーになった。
「ただこの体で飲んだことはないので、前世の感覚で飲めるかは…」
「ちょっと待て!」
と若様が大声を上げた。
「何ですか?!」
びっくりさせられた非難を込めて見回せば、若様は目と口を開いて、驚いたような怒ったようなおかしな顔をしているし、ロンまでいつもの無表情をやや動かして呆れた顔をしていた。
「何で言わなかったんだ?!」
「ヘスター・グレン…さすがに成人の年の誕生日くらい教えろ」
ああ、そういうことか。
「そんな話をしている場合ではありませんでしたし」
「どんな場合でも成人の祝いはする」
それくらい、世間知らずな私も知っている。姉二人も、成人の年の誕生日には家族や友人を集めてうちの食堂でパーティーをしたから。でも、私はそういうことをする予定はなかった。
「ちょうど外出禁止期間中でもありましたし、私の場合はただの家族の夕飯になるだけですので。家族からは贈り物が届きましたし」
呼ぶ友達がいない私には、もともと大した意味のない行事なのだ。
ただ、この夏の軟禁状態を思い出してか、若様はぐっと言葉につまってしまった。開きっぱなしだった唇が今度は苦しげに引き結ばれる。
「それは申し訳なかったが…せめてうちで祝いくらいしたのに」
「え、ここで?」
私が若様の発言にびっくりすると、その反応に若様は目を見開いた。隣からロンのため息が聞こえる。
「お前は私たちを何だと…いや、もういい」
「そうだな、こいつはそういうやつだ」
わかってもらえたならよかったのかな、と思っていると、不敵な笑い声が聞こえてきた。
「若様?」
思わず顔をあげて伺うと、にっこりといい笑顔を見てしまった。若様の笑顔は珍しくないけど、この笑顔はいつもと違ってちょっと怖い。黒いわけじゃない、作り笑顔でもない、でもなんだか迫力がある。
見えない何かに押されるように、私は思わず後ろへ身体をひいてしまった。
「もう、お前が言うのは待たない。誕生日も服の好みも体調も悩みも勝手に調べるし、しつこく構うことにする」
待って、なぜそうなる。しかも今でもナチュラルにしつこく強引な若様が、意識してしつこくするって、怖すぎる。
私はどうしたらいいのか助けを求めてロンを見た。すると彼は、アイスブルーの目を細めて口角を上げた。
「そうだな、こいつは距離を縮めるのがど下手だから、無理やり縮めるくらいでちょうどいい」
「は?!無理です、ただでさえ苦手なんですから、むしろそっとしておいてください」
「この件に関してお前の意見は聞かない」
言うなり若様がなぜかこちらへくるし、距離を縮めるって、物理的な話なの?
これ以上ないくらい椅子の上で後退した挙げ句のけぞった私に、ロンの目は自業自得だと言っていた。
「とりあえず」
若様が私の手首を掴んだのでびくっとした。
とっさに引き抜こうとしたけど、びくともしない。
そうこうするうち反対の手も伸びてきて、握りこんでいた私の指が開かれた。
そして、そこに握らされたのは、グラス。
「我々のヘスター・グレンの、成人を祝って」
いつの間にかロンまで側に来ていて、酒瓶を近づける。
「ヘスター・グレンの、健康と幸せを」
「へ?」
「幸運と変わらぬ美を」
「び・美?!」
「更なる知恵と良縁を」
「愛溢れる日々を」
ここまできて、ようやく何がどうなったのか分かった私は、肩から力が抜けるのを感じた。
若様とロンは、成人の儀式をなぞっているんだ。
17になったその夜、参加者は大人になった主役を祝ってグラスに酒を注いでいく。本当は集まったたくさんの参加者が一つずつ祈っては酒を注ぐんだ。祈りは多ければ多いほどいいから、主役の家族はできるだけたくさんの参加者を集めるんだ。
それを今、若様とロンは、二人だけで、山ほどの祈りを捧げて祝福しようとしてくれている。
一口分ずつ注いでいた酒でグラスがいっぱいになるころには、私の老後や孫、さらには骨密度のことまで祈られていた。
「さあ」
促されるまま、グラスを顔の前に掲げた。これを一口飲めば、儀式は終了だ。
ただただ透明のグラスを満たす液体をみつめ、その端に口をつける。
ふわりと鼻をくすぐる、懐かしい日本酒の匂い。
くらくらして頬が熱いのは、きっともうこの匂いに寄っているせいだ。
たくさんの、本当にたくさんの祝福で満たされた杯。
私はそれを、ぐっと喉に流し込んだ。
「あ!お前一気に」
「大丈夫かこれ」
若様とロンの少し焦ったような声を耳に聞きながら、杯が空になるまで傾けていく。少し甘めの日本酒が口内から喉、食道へと流れ込み、かあっと胃に広がっていく。
胃が熱くなると、体中もぽかぽかと温かくなってきた。
胸が熱いのも、お酒のせいだ。
ふう、と息を吐くと、一緒にするりと言葉が出てきた。
「…ありがとうございます」
美味しいお酒を飲ませてくれて。お祝いしてくれて。私は、美味しくて、嬉しくて、楽しくなって、笑った。
目の前で美形が2人、驚いたように目を瞠った。
若様、今日は百面相だ。ロンは珍しい顔をしている。それにしても、美形ってどんな顔をしても見られるんだなあ。
それがおかしくて、また笑えてくる。
「とっても美味しい」
こんなにお酒って美味しかったっけ。
前世ぶりに飲むお酒は、ロンの酒好きを笑えなくなりそうなほど美味しかった。
「もう一杯、下さい」
この日私が知ったのは、この体は日本酒一杯で笑い上戸になることと、思っていた以上にここが自分の居場所になっていたらしいということだった。気付いてしまった後者の事実は、甘やかで胸に痛くて、私は自分が泣き上戸でなかったことを酷く感謝した。




